今年のお盆は宮崎に帰省することもなく、と言ってお休みをとることもなく、ふつうに働いている。昨日8月15日は敗戦の日であった。
いつも通り職場に出かけたのだが、やはり出勤して働いている人間は少ない、がA専務は普段通り、出勤しいている。
私は毎日、最近は言われなくても、一人であれ、その日やれそうなことは自分で考えて愉しくやるように心懸けている。
幸いなことに、A専務からお盆だから休んでくださいとも言われていない。ほぼ娘たちを育て終えた今、生活に困っているわけでもない。ただ何とはなしに私の足は畑のほうに向かう夏なのである。
来月娘の結婚式をドイツのドレスデンで控え、十数年ぶりにヨーロッパに向かうので、なんとなく静かな夏をただ過ごしたいのである。
畑に向かおうとしていると、A専務に声をかけられ、事務所の小さい部屋で話を聞くことになった。A専務の目指す農の世界の展望や、想いを私に対して話してくださったのだ。何故サンナンでかなりの投資を今も続けながら、継続しているのかの想いを。
まだ入って一年にも満たない私に、虚心坦懐にその念いを、吐露してくださったのだ。かなり長時間のお話になったので、私の理解が遠く及ばないことも多岐にわたって展開された。
がしかし、私がはっきりと受け止めることができたのは、その農に向かいあう真剣な姿勢の背後に、現代競争(狂騒)世界の構造から、離れた視点での、安全な野菜を作り、なおかつそれで安心して質素であれ生計を立てられるような、心の通い合いを中心とした、A専務の想いえがく農の未来像である。
誰か一人が富を独占するのではなく、結果収益を限りなく公平に分配してゆきながら、人間が農を中心に据えながら生きる楽しみを分かち合えるような仕組み、仲間作りをしたいとの思いを、A専務は私に熱く語り続けた。
短い朝ブログでは、とても伝えきれるものではないが、私は年齢を忘れしばし時折感動した。それは、あまりに赤裸々に自分のこれまでの人生をも、知り合ったばかりといってもいいわたしに吐露されたからである。
ああ、だから、A専務は農をやりたいのだという想いが、ストレートに私の胸に響いてきたのである。今朝はそのことだけでも五十鈴川だよりに書いておきたいのである。
そんな熱き思いを私ごときに吐露されても、いささか正直面食らう面がなきにしもあらずだが、ありがたきことと私は受け止めている。私が限りなく信頼できるのは、独学で科学的に土壌のことから、農に関することを、わずか数年で今もなお、しっかりと謙虚に学び続けて、実践していることである。
私にやれることは限られているが、なんとかその想いを実現するためには何をしたらいいのかを、自分の動く体に相談しながら、今日もまた畑にゆこうと思う。
【写真は、妻が丹精したポーチュラカという、なんとも可憐な花、今最も美しく私の眼を喜ばす】
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