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2013-03-16

エリックマリア氏のソロライブが5月11日決まりそうです

3月15日仕事帰り西大寺駅

長女が4月から社会人になり東京に住むことになり、住居探しや、引越しの準備などなど何かと慌ただしく、妻や母の事細かな気配りは、男の私なんかにはやはり不可能な領域との思いを感じながら、いよいよ巣立ってゆくのだという思い、出会いと別れの春が我が家にも訪れています。

 

娘の出発と、私の再出発が重なっているのもこれも何かのさだめだと思います。

 

さて、まだ決定ではないのですが、5月の11日に場所は未定ですが、エリックマリア氏のソロライブを岡山で企画することが叶いそうです。昨日メールが届き、11日なら可能だとのお返事が届きました。何かとあわただしくはありますが、すべてを前向きに、冷静にベストを尽くし実現したく動き始めました。

 

こんな素敵なチェロ奏者に、私の人生で巡り逢え、個人的再出発で企画できるなんてことは何に感謝したらよいのかという気持ちです。響きのいい場所を探します。場所が決まったら、すぐこのブログで書かせて頂きます。

 

何かを手放すことによって、新たな出会いが始まる。もうこの年になるとなかなかに、心からワクワクするような感覚のようなものは少なくなるというのが世の常、なのかもしれないとは思うのですが、幸いにして感動するバネのようなものが、いまだ人生いたるところに青山ありという感じで、私の中に湧いてくるというのは、あり難いことだと、天に感謝する私です。

 

感性とか、感動するということは、はなはだ個人的なことです。大勢の人と観劇するとか、試合を見るとか、観客や観衆が(多い少ないということは置いといて)いないと音楽会も含めあらゆるイベントは成立しない。お節介ではあるのですが、自分が見つけた宝物のようなアーティストを企画するということ自体が、私にとってはかなりイベンチュアルなことなのです。一人でも多くの方に聴いてもらいたいと、そのことが、今を生きるエネルギーになり61歳を奔走するわけです。

 

企画し実現に向かう中で、私の中の全体が活性化するわけです。入場料を頂かないと実現しないという現代的摂理を抱えながら、ウキウキハラハラドキドキしながら当日に向かう、なんて芸当は人にはめられない。がしかし、21年間も続けているということは特別な秘密は何もないのですが、感動する心のバネが、(つまり私の場合)あったがゆえに続けられてきたのだと思えます。

 

ようやくこの年にして答えられそうな気がするのは、何故生きているのかと問われたら、ヒトという生き物は他者(人間以外の生き物とも)と生きる喜びを共有でき、感動する心を、授かっている器である、と答えたい。だからこそ私の場合この年まで生きてくることができたのだと、今素直に思えるのだ。

 

話は忽然と変わるが、この他者との交感が生き物として、はなはだ困難な時代状況がこの20年くらい続いているというのが、私の中での認識なのです。私の企画も受難続きなのですが、だからこそまた、私自身も時代に試されているわけです。人間として企画者として、どう生きて表現するか。

 

エリックマリア氏の響きには、苦悩の果ての闇を照らす、肯定的な人間だけが出せる響きがあります。企画者としては、その響きを今を生きる(苦悩を抱えた)方々に聴いていただけたらとの、思いです。

 

 

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