私が生まれた1952年は、アメリカの占領政策が終わり、再び日本が独立を果たした年である。
あれから、61年間を生きさせてもらった。特に18歳から上京後、はたから見れば羅針盤の無い、田舎者としては無謀とも思える人生を選択してきた私にとっては、よく生き延びてきたものだという思いを禁じることができない。いま、この年齢にようやっと辿り着き、何かに急き立てられることもなく、移ろってゆく自分と向かい合いながら、穏やかに過せる、今の暮らしがことのほかに在り難い。が、のほほんとそんな感慨にふけっている時代ではない。3.11から、確実に自分の暮らし方が、緩やかに変化しつつある。
この世に生を受け、故郷での暮らしを、1期とし、東京での暮らしを2期、40歳からの夢が原での仕事を3期とすると、今年4月から、いよいよ4期に入ることになる。うまく言葉化しにくいのだが、これからどれほどの時間が、自分の人生に残されているのかということはともかく、若いころとは違って思いついたら即行動とはいかないが、これまで生きた時間の中で身に付けたことを活かしながら、ゆっくりと思念し、4期目を春からスタートしたいと思っている。
話は変わり、昨年暮れ、第五福竜丸展示館に行ったことは、一月のブログで触れましたが、その折に買い求めた・ここが家だ・という絵本が今手元にある。無知蒙昧の私はこのような画家の存在すら知りませんでした。第五福竜丸にインスピレーションを得て描いた、ベン・シャーンというアメリカの画家。構成と文章は詩人で、これまたアメリカ人のアーサー・ビナード(この方の本は読んだことがあります。素晴らしい仕事をされている)
一発の水爆で、一度に何百万人のヒトを、大量に殺戮できるといういわゆる悪魔的、核爆発破壊兵器の恐ろしさを、第五福竜丸を描くことで50年も前に(私が11歳)ベン・シャーンは伝えています。(1969年に亡くなっています)ビナードさんは、1967年生まれですから、私より12歳も若く才能もすごい。国籍の異なる、それも原爆を落とした国の人が、人類の一人として核エネルギーでまき散らされる、放射能の見えない恐ろしさを、芸術的に表現し伝えていることに、ささやかに企画を続けてきた人間の一人として、遅まきながら何度も繰り返し見入っています。
またもや話は変わり、進歩って何だろう、幸福とは何だろう、生きるとは、なんてことを、高校生になったころから考え始めた私にとっては、受験勉強をするなんてことの具体的意味が自分の中で全くよくわからず(それよりもなによりも学校の勉強ができず)時代についてゆけない、悶々とした高校生活を送っていました。
私が、高校を卒業できたのは、高校2年生の時父の仕事が転勤になり、生まれ故郷の、のんびりとした高校に転校し、たまたまM君という演劇部の同級生に、あんた演劇部に入らんな、と声をかけられたことによる、男が足らんとよ、と。
当時、映画館にゆくことくらいしか、居場所を見いだせなかった私は、演劇部に居場所を見つけたのだ。授業にはついてゆけなかったけれど、俄然学校にゆくことが苦にはならなくなった。元来本質的に、軽佻浮薄、楽天的なところがあり、おだてにのりやすい私にとっては、似たような面白い人物たちがたむろし、他愛もないことを心おきなく話せる演劇部に、私は一抹の光を見出したのだ。
今振り返り、演劇部に入ったことにより、か細く痩せた少年は、声を出し仲間ができたことで生き返ったのだ。この世を劇化し、フィクションとして、いやがうえにも眺める癖のようなものは、いまだに私の中に、大きいということを実感している。
役者は自己を劇化し、途方もなく自由に遊ぶ精神を具現化する存在なのだと思うが、そのことを私はたまたま演劇を学ぶことで、最も影響を受けたウイリアム・シェイクスピア(たまたま思春期入れ込んだに過ぎない、他の劇作家はあまり知らない)からほんの少し学べたように思う。
シェイクスピアは、エリザべス朝時代の、(1600年前後)歴史的大転換期を生きた、(今も又いろんな意味で大転換時代だと思う、だから世界中で、新しい解釈で演出し直される)英国が生んだ一大劇詩人として、燦然とその名前は、全世界にあまねく知れわたっている。
最も多感な田舎の高校生の時、悶々とした日々に見た、フランコゼフィレリ監督のロミオとジュリエット。私と同世代の悩める若者たちの青春群像劇、(1968年、当時パリをはじめ世界の悩める若者は何かにいらつき・理由なき反抗・をしていた、もちろん日本でも)素晴らしい俳優の朗誦・名台詞の数々と、イタリア、ヴェローナの中世の街並み、衣装色彩、音楽、全てに私は心を奪われた。気障に表現するなら、田舎者の少年の心に世界への扉が開いたのだ。
魔法のような言葉で、人間の真実性を劇的に浮かび上がらせる、天才。あの当時の階級社会、時に恐ろしいほどに人間の闇の奥底を描く、的を得た宝石のような言葉の数々は永遠に色あせない。
TO、BE、OR、NOT、TO、BE、THAT、IS、A、QUESTIONという言葉は、今を生きる我々にも、無数の言葉で翻訳できる。この核の時代、どのように生きてゆけばいいのか、いけないのか、と。
思わず、話が横道にそれ、長くなってしまった。還暦を過ぎたというのに、いまだ青臭さの抜けない私がいる。ベン・シャーンの絵本・ここが家だ・を途方にくれながらも、春の日差しの気配の中、61歳の肉体の声で、小さな声をだして読んでいる。
1954年、3月1日、夜明け前、何とも美しいマーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカは水爆実験をした。ハムレットの最後の台詞、後は沈黙、この意味は。
再出発はこの絵本を読むことから始めます |
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