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2013-02-14

偶然的必然性でオロを企画することに胎を決めました


21年前、夢が原には企画広報担当職員として就職したわけなので、私はお恥ずかしいくらい必死で(何せ40歳での再スタートでしたから)自分なりにやれそうな、あれやこれやを、文章を書くことも含めてやってきました。

 

先日のブログで、企画者生活に一応のピリオドを打つと書いたのは、夢が原は野外での企画がほとんどでしたし、これまでおもに自分が企画してきたような、野外でのライブとか、かなりのお金が必然的にかかるような企画は、ピリオドをうつということ、です。

 

これからは、夢が原というフィールドではなく、邦楽番外地もそうでしたが、屋内でのあるいは、ミニの企画、肩に力を入れず、しかし独りの人間として、いまどうしてもやりたい、エネルギーが湧いてくる、やらねばならないと思える企画を、これからの時間は企画したいのです。生活はなんとか他のことをしてしのぎながら。

 

さて冬眠中の私ですが、昨日仕事中に、なんと私が昨年誕生日を迎えた遠野から、大切な先輩、友人のT氏から電話がありました。氏は遠野に雪かきのボランティアにいっていて私が行っていたところと同じ場所から、たまたま電話を下さったのですが、偶然私の誕生日でありました。

 

話を続けていたら、なんとT氏も2月13日が誕生日だというではありませんか。いやはや又してもの機縁、これだから人生は面白い。一気に二人して、この何とも言えない偶然的必然性に何がしかの啓示を得たのです。

 

結論から言えば、氏が撮影監督して、昨年封切られたドキュメント、チベットの少年、名前はオロ(タイトルも)のフィルムを、今年企画しなさいという暗黙の啓示だと私は受け止めたのです。61歳の誕生日に、同じ日に生まれたT氏からの電話は、夢が原退職後の、企画第一弾としてはこれ以上望めない作品なのではないかという気がするのです。

 

長くなるので省きますが、チベットは高地の過酷な環境にある邦です。人々はチべット仏教を芯にして暮らし独特の文化を持つ、わたしには限りなく神聖なイメージの邦です。その国の亡命した少年と、チベットに惹かれる日本人監督との淡い触れ合いを静かに描いたフィルムです。

 

大きな国、中国に弾圧されながらも亡命政府をインドにつくり、自国の歴史、文化を守る、チベット民族。安穏と暮らせる独りの日本人の私は、彼らの人間としての限りない精神性の豊かさに、この年になっていろんな意味で惹かれます。

 

ともあれ、T氏とどのような形での上映会にするのかも含め、ゆっくりと実現したく、私の胎は決まりました。そんな訳で、冬眠から覚めたら、春から一気にまた動き始めます。

 

どのような企画も、胎が据わらないと一歩も前に進めない私です。藤原新也さんが撮った、チベットの写真をWMで眺めています。友人知人の力を又、集結することになります。

 

 

 
一人でも多くの方に見てもらいたいと思います

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