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2013-01-27

妻のお誕生会に思う


一月も余すところあとわずかとなってきましたが、私には本当に珍しく、静かで落ち着いた日々を過しています。内なる何かがやはり変わるつつあるという、気がしております。

 

世界や社会は刻一刻動いています(アベノミクスとか、アルジェリアの悲惨な出来事とか)が、私の周りは穏やかな時間が流れてゆくというこの、この平凡な平和なひとときというものは、限りなく貴重なものなのだという自覚が、私にはあります。

 

この間、私の妻の誕生日を家族全員で祝いました。長女の婚約者のレイ君も参加してくれ、やはりいつもとはちょっと異なる、皆の思いのこもったささやかではありますが、暖かいお誕生会となりました。

 

何よりも、娘たちの成長が私をして驚かせました。お料理のすべてを、娘二人が担当し、特にレイ君は、台所でずっと娘のサポートをし、ワインやプレゼントまで準備して、妻のお誕生日をお祝いしてくれました。レストランでの食事会は、私はあまり好きではなく、お金もかからず、子供たちも昔から家での食事が好きで、外食はしたがらないのです。

 

ところで、話は変わりますが、私の父の晩年の姿というものが、私が歳を重ねるようになってから、以前にもまして浮かぶようになってきたということを、以前もブログで書いたような気がします。短いブログでは書くことではなないかもしれないのですが。

 

晩年退職後の父は、どこかに出かけるときは、いつも母を伴っていました。若いころの父の姿からは全く想像できませんでしたが、徐々に、ゆっくりと、穏やかな父に変身しながら、老いらくの時間、ほとんど囲碁を打ちながら過していました。

 

そしてときおりの旅が、父には欠かせない晩年暮らしでしたが、旅のお供は母、はいつもおしどり夫婦のようでした。若いころ、母にさんざん苦労をかけたので、とにもかくにも子供より母を、晩年は大切にしていました。晩年の父の表情や後ろ姿には、裸一貫戦後引き揚げてきてからも含め、5人の子供を育て上げた男子の満足感と共に、時代にほんろうされた、悲哀感も漂っていました。

 

おそらく確実に、私も父のようにこれからは妻との時間が中心になり、老いてゆく中での、夫婦時間というものを、見つめてゆくことを第一にしたいという思いが強くなりました。小津安二郎監督は、東京物語やその他の作品で老いてゆく夫婦像(その時代の中での)をみつめています。妻は、私を活性化させます。家族あっての私の企画なのです。

 

父の気持ちが、ほんの少し感じられる年齢になりました。来月私は61歳を迎えます。

 

 

 

 

 

 
妻のお誕生会・娘とレイ君が作ってくれたお料理

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