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2013-01-14

一月14日に思う

私の椅素にまるくなる風太


お正月気分が消え、私個人は、上手く表現できないのですが、明らかにこれからの自分の暮らしが変わってゆく、その最初の年になることが、いよいよハッキリしてきた、という予感の幕開けの年になる気がしています。

昨年暮れからお正月にかけて、これまでの21年間で溜まっていた、もう不要になってしまった、本やモノや写真の整理を随分しました。ずいぶんすっきりとしてはきましたが、また仕事が始まったので、そのままになっているところもあるのですが、4月からはしばらくの間余裕できるので、なんとか心機一転けじめをつけられるくらいには片付け、さっぱりして未知の時間に歩み出したいと思わずにはいられない私です。

それにしても、何とまあ現代人は、物に執着して(自分のことですよ)生きているのかと、自縄自縛の思いにとらわれます。還暦以後は10年くらいかけて、徐々に減らしてスリム化しながら、眼の届く範囲に、死ぬまで手放せない大切な物を置き、それらに囲まれて暮らすのが、目下の願いです。が理想はままならない(ままならない中で、精一杯生きることが、すなわち肝要です)、何を成したかではなく、何を為そうとしたかが大切とは、どなたかの有名な言葉。

娘の婚約がもたらしたものは大きく、何やら私の人生の今後も予断を許さないような気配で、いろんなことを勘案すると、わずかでもいいから私にできる仕事があり、家からさほど遠いところでなく、身体を動かせる仕事であれば、何でもやるというくらいに、心境の変化が、起こってきつつあります。

人間は変わるのです。娘たちのお荷物にはなりたくないし、可能ならほんの少しでも彼らのためにも、経済的なことも含めて、ささやかに今しばらくは応援したいという気持ちが、起こってきたのです。ですから、生きてゆくための仕事と、自分がやりたい仕事(これはお金にはならないので)の両立で往こうと決心しました。

とはいっても、これまで散々時間に追いかけられていましたから、4月から、3カ月くらいは43年間のこれまでの生活を振り返る時間を持ちたいと考えています。

ドイツ人のレイ君という新しい息子が突然私たちにできたのです。(正式には結婚してからですが)昨夜も我が家に泊まりに来て、パソコンを直してくれました。朝一番玉野で行われる、弓道の試験にゆくため、私が先ほど西大寺の駅まで送って行ったのですが、これからゆっくりと息子として、もてなすことができるように、私もまた変わってゆかなければならないということを、感じ始めています。

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