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2013-01-24

雑木林で身体を動かし・沈思黙考


休憩時間・疲れた体を癒してくれるいろりの炎瞬き

まさに流れるように時間が過ぎてゆきます。年明けから、夢が原にゆく日は、松林の中の雑木をきり、それを運び出し、車に積み焼却炉に運ぶという、書くのは簡単なのですが、極めて地味で、根気のいる単純作業を続けています。

正味、10日くらいやっているでしょうか。眼に見えて雑木林が、変化してゆきます。私の拙い文章ではその作業内容を上手くお伝えできないのですが、一言でいえば、鎌を手に持ちかがむ姿勢が多く、かなり足腰に負担がかかる労働なのです。でも私は、いろんな工夫をしながら、その労働を演劇的に生きる時間として、楽しんでいます。

50歳を過ぎるころから、夢が原でのあらゆる肉体労働は、肉体訓練の気持ちで取り組んできたからでしょうか、自分でいうのもなんですが、この年にしては、よく体が動くことを、幸せに感じています。

単純に体を動かすということ、億劫ではないということは、私としては幸せなことだとつくづく感じ入るのです。この齢になると70歳は、50歳の時とは異なり、そこはかとなくもうすぐだという感覚が、するのです。

だから私は自分のことですし、少しでも社会のお荷物にならないように、自分の身体は出来る限り自分の足で運ぶということにたいして、精いっぱい自覚的でありたいのです。(病気や、癌は仕方ありません、受け入れ戦うことはしないつもりで今はいます)ブログ一つ書くにしても、健康な体あってこそ、とつくづく思うのです。

私には、歩く、動くということと、書くということは、限りなくセットになってきているのです。

身体と意識はセットだと思います。来月私は61歳になるわけですが、老いと闘うというのではなく、老いを自然に受け入れてゆく中での、身体と意識の変化に、耳をすませ、日々のひそやかな喜びにしたい、なんてことを思うのです。

よく体を動かし、夜はよく眠り、朝日とともに起きる。単純を絵にかいたような、私の中世暮らしです。それももうすぐ終わるわけですが、まだ私の人生は健康であれば、続いてゆくわけです。

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