晩秋、静けさと寒さの中、禅宗の円通寺に、邦楽番外地、添田唖蝉坊の歌の世界を、土取利行さんが年齢を超越し、まるで唖蝉坊が憑依したかのように、沸々とたぎるかのような、澄んだ唄声が響き渡りました。唄う人も聴く人も、何か別世界にいるかのような音楽会を企画者として、体感し見届けました。全くコンサートではない、魂に触れる唄声の会。
思いがけない、限りなく即興に近い、一期一会の玉島ならではの、唖蝉坊と土取さんが結びついた音楽会が終わってから、3日目の朝です。正直、いまもなにも書く気が起きないのはどういうわけなのか自分でもよくわからないのです、がとにかくやれた、無事に終わったという安堵感がいまだに身体を覆っている感じが、抜けないのです。
9月、11月と、2回の邦楽番外地に、企画者としてほとんどの乏しいエネルギーを注ぎ込んだ一年が、またたく間に過ぎた歳月として、還暦という一年は転機の一年として、邦楽番外地しか、企画しなかった歳として、深く刻まれることになりました。
四十歳から企画者として再出発して21年目、ようやっとこんな企画ができるようになったのだという、ある種の極めて個人的な感慨にどうしてもおそわれてしまうのです。このような企画に足を運んでくださる方が(とてつもなく忙しく、あらゆる行事や、催しがひしめいているなにがなんだかよくわからない、わかろうともしない混迷の現代に)いるのだろうかという、ある種の覚悟がいる企画がやれたこと。
薄氷を踏むような、というしかない、限りなく時代の流れに沿わないような企画に対して、きちんと足を運んでくださる方々が、おられたことにたいする嬉しさや感謝の念は、企画者にしかわからないものがあります。とにかく一日でも早く、来られた方々にこの場を借りて深く感謝をお伝えしたく、ブログを書いています。
当日、受付やそのほか、こまごまとした細かいことに、手伝ってボランティアして下さった、親友のK氏や新しい仲間といえるIさんや、Kさん。音響のYさん、私の妻。本当にありがとうございました。最小のスタッフ。禅宗のお寺にふさわしい裏方でした。全く無駄がなかった。
あらゆる意味で、ギリギリの企画でしたが、新しい地平を切り開けるような展望が私の中に育ってきているかすかな予感がしています。ギリギリの中でやれることの豊かさを知りました。ギリギリの中でしか見えてこない、もの、こと、が少し、見えました。
土取さんと出会って35年、たまたま11月25日は、私が18歳で上京した歳、三島由紀夫氏が自決した日でした。あの日のことは鮮烈に記憶しています。あれから42年です。
翌日雨・郡上八幡帰る前・珍しい二人だけの写真 |
今回も盛況だった様子、安心しました。本当にお疲れ様でした。2ショット晴れ晴れとした良い写真ですね。
返信削除tumurasama.コメントありがとうございました。私もいい写真なのでブログに載せました。今回も土取りさんからいろんな話を聞くことができました。歌を歌わなくなった唖蝉坊さんは5年間の四国お遍路の帰り、円通寺に立ち寄ったそうです。ぜひ土取りさんのブログを読んでください。唖蝉坊さんが、立ち寄った、羽黒神社や郵便局(旅館になっていましたが、建物は残っていました。良寛煎餅を作っているお店も。たいへん美味しい煎餅なので、上京の折、持参いたします。ともあれ、玉島は失われた、大正ロマンの雰囲気がかすかに残っている、貴重なところなので今度、ご案内したく存じます。いやあ、企画とは旅することです。
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