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2012-11-18

親友(朋友)からのカンパにしみる秋

三浦の小学校でジャンべを教えるK氏

このブログでも何回か書いたことのある、神奈川県に住んでいる35年来の友人で、私の大きなイベントには、必ずボランティアにきてくれている、K氏から予期しないカンパが送られてきた。(一円たりとも無駄にはしません)

 

氏とは、どういうわけか馬が合うというのか、ほとんど芸術や文化の話なんかしたことがないにもかかわらず、長きにわたっての君子の交わりが続いている。私が氏に対してなにかをするということはほとんどなく、一方的にいつも何かを頼むということが多いのだが、氏は嫌な顔をしたこともなく、引き受けてくれるまことに持って、不思議なヒトである。

 

衣類や、バンドや、そのほか帽子や、ナイフやその他もろもろ、頂くばかりであげた記憶がほとんどない。今も彼にいただいた品々は大切に使っている、彼の記憶と共に。

 

私の定年の際も、法がいな御祝いをして下さった。何せ26歳からの付き合い、私よりも年下なので、随分と暴言もはき、恥ずかしい姿も多々さらしてきた仲なのだが、一年に一度か二度、会って共に旅をしたり、東京街歩きをしたりして、一献酌み交わす仲なのである。

 

お互い男同士、野暮な会話は一切しない、ひたすら童心に帰って共に遊ぶ。理由なき遊び友達というのが、一番当たっていると思う。手先が器用で太鼓が大好き、アフリカの太鼓ジャンべを毎週ボランティアで、三浦の子供たちに教えている。私と違って、表立ったことはほとんどしないが、3人の娘さんをきちんと育て上げ、家庭人としては私などとは及びもつかないくらいきちんとした日本の父である。

 

それにしても、遠来の友に対しての思いがけないカンパに、私はいたく感心を通り越して、感動してしまったのだ。氏の行動はいつも思いがけない、若いころから氏には苦しい時に度々助けてもらったが、還暦になっても関係性の中身が不変というのはまことに持って、奇特な間柄というしかない。

 

還暦を機に、氏には思い切って訊ねてみたいこともあるのだが、そんなことをしたら謎が消えてしまうので、やはり謎は謎のまま向こう側の世界に往くまで、とっておこうという最近の心境の私だ。

 

私のことを、奉兄と呼んでくれるのだが、兄としての資格があるのかないのかは、まったく私には自信がない。これからもおそらく生きている間は、賢弟に御世話迷惑をかけて往くことになる可能性がある。賢弟に恥ずかしくない企画を打つしかない、兄のような心境の今の私だ。

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