母と妻と私の3人でむきました |
世間は一気に解散総選挙で何かとかまびすしいし、ほとんどニュースも斜めにしか見ないような私の最近の暮らしです。とくにGW・TIMEのNHKは個人的にまったくつまらなくて、天気予報以外はみる気が起きないというのが、正直なところです。
私の最近の関心事は、この年になると余計なことにかまけている、浮かれている時間はない、そんなことより静かにひたすら暮らしたい(なにもしないのではなく、やれることを見失わないように)というのが、還暦おじさんの偽らざる心境です。そういう意味では、私も少しは大人(温和)になったのかもしれないが、外見的には静かなではあるのだが、内面的には苦い、言うにいわれぬ感情がいまだ突き上げてくるのも、いかんともしがたい正直な気持ちだ。
そんな持てあましの感情は、座して静かに過ごすとに尽きるというのが、中年オジサンの見つけた、生活なのです。まだ働いていますし、通勤時間の長い私の暮らしでは、何よりも健康でないと、ブログも書けないし、何度も書いていますが、昨年退院してからは、ことのほか睡眠をよくとり、身体に留意するようになりました。毎日の心身のお手入れが、特に体に必要です。
自分の身体を見つめて休める。可能な限り病院には行かない、穏やかに意識が点滅する心身を、持続する。これからはこのことをささやかな糧にして、いかように生きてゆけるかを、探求したいと考えずにはいられない私だ。
何度も書いているが、考えることはなにもいらないから、じつに安上がりで楽しい。身体を動かし声を出したり、書いたり、読んだり、つまり私の生活は限りなく昔に帰っているということなのだと、自覚するわけです。還暦を過ぎたのだから、原点に還り、もう一度お砂場遊びをやりたいのですね。
バーチャルではなく、リアルに老いてゆく自分と向き合いつつ、隠居したいという、誘惑が日増しに募る、秋の夕暮れという、趣きなのです。寿命が異なるからなのだとは思いますが、杉浦日向子さんの本によれば、江戸時代には50歳前にはかなりの方が隠居していたそうです。響きもいいし、蟄居する御隠居、野暮なことはしない、理想です。
ひなびて、しおれて、往き倒れる、昔はほとんどがそうだったのだと思うのですが、自然に枯れる、詫びしき美。私も含めた現代人が、根源的な死ということに関して、あまりにも物事を深く考えなくなっているというお粗末さは、いかんともしがたく、この世相を覆い尽くしているというのではないかという気がいたします。
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