35年の付き合いの友人が撮ってくれた東大赤門を背にする |
一体ぜんたい、この地球の上でなにが起きているのかを、キチンと伝えてくれる、まともな感覚の人間、まっとうな人間(なにがまっとうなのかの議論は、今は置きます)の、少なさ、そんなには多くはいこと(私を含めてのことです)を、わずか60年の人生で沁みて感じるこの頃です。がしかし、いろいろ探していると、やはり中年オジサンに、希望の火を灯してくださるお仕事を、している方が数多くいて、個人的に救われます。
探す(とりあえず知る)努力をしないといけないということを痛感します。自分自身を反省するのです。流されてはいけないと自戒します、それも若い方々の中に。私も含めた中年オジサンたちの、覇気の無さはいかんともしがたく感じるのは、私だけでしょうか。だから、私は心ある元気な中年人に会えることを、切に望んでいます。琴線に触れあえる会話の成立する方を。
風邪でひっくり返っていたのですが、熱が下がり、鼻水も逍遙を得るを得たので、溜まった新聞の書評を読んでいたら、1976年生まれの亀山亮写真集・アフリカ・が取り上げられていて、思わず新聞を切り抜いた(買います)。切り抜いたからといってどうということはないのかもしれないのだが、必死で現場に命がけで入り込み、世界の痛ましいというしかない、現実を伝えることを、職業にしている人の写真集。書評氏が伝えてくれるからこそ、かろうじて知ることができる、この事実の重みは希望の火にさえ感じられ、私には大きい。
何故こういう事に、私の何かが反応するのかは、このブログで書くには整理が不可能なので控えますが、添田唖蝉坊の唄に惹かれるのも、根本のところで現代世界と対峙する、感じるアンテナが、小さき者や弱者をないがしろにするような、事実に対していかんともしがたく、いわば単細胞的に義憤を感じるところに起因しているのです。
その種子は、やはり父親の存在を抜きにしか語れないという気がするのですが、そのことに関しては、いつか時間をかけて、ゆっくりと自分の生い立ちも含めて、書いてみたいと思っています。こうまでにも弱者が、強者の犠牲にならざるを得ないような、時代状況は一体いつまで続くのでしょうか。
現代の世界的大状況の議論はさておき、原子力発電にせよ、IPS細胞にせよ(現段階では私にはなんのコメントもできない、同次元では語れないことではありますが)、夢のような領域に人間世界が入るというのは、私には個人的に、命とは何かということについての、認識のあまりの深まりの無さ、想像力の欠如が空恐ろしく感じられるのです。
ノーベル賞は(素晴らしい賞だとは思いつつも)、自然に寄り添い地球上に暮らす多くの民に、幸福の明かりを灯し続けているのか、添田唖蝉坊流に言うならば、ああ、わからないというのが、正直な気持ちです。
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