松岡正剛氏の今も続く千夜千冊はまさしく知の開拓者 |
風邪で体調を崩しいていましたが、その間も何とか夢が原での仕事や、身過ぎ世過ぎをしながら、なんとか普段通りには動けるようになってきました。
お休みは、まってましたとばかり、個人的にやりたいことにほとんどの時間を費やせるので、嬉しいです。明日夢が原に往かなくてもいい日の夜は、つまりは今のところ、毎週土曜日の夜が一番夜更かしできる、だから珍しく、土曜日の夜に何気なくブログを書いています。
私は手紙を書いたり、個人的な仕事は集中して午前中にやることにしているので、おもに土曜日の夜が、いまのところまったくの、リラックスタイムなのです。ひとりでボーっと身体も頭もやすめる時間というのは、仕事柄他者と関わることが多い私には、極めて貴重なのです。
そのような私にとっての一番の友は、何度も書いていますが本です。テレビやフィルムなども、たまには見るのですが一方的に流れる映像や音声に身をゆだねるのは、年々控えるようになってきている自分がいます。(自分時間が必要大切です)
そのことをどのように感じたらいいのかとも考えるのですが、知るという本を手にしての悦びに、他のメディアが、やはり及ばないということに、私の場合尽きるようになってきたということなのだと思います。
静かな時間を、気にいった本を手に過せる時間というものは、まさに至福の時間なのです。特に私の好きな作家や、関心や興味のある分野の本を手にしている時は、一刻も早く読みたくて、いまだ少年時代のように心がワクワクする自分がいます。
小さいころは、周りに本がなかった環境のせいだと思いますが、あんなにも本はわたしにとって身近ではなかったのに、今では本さえあれば、なんとか生きてゆけるというくらいに、本との時間が身近な私です。
さて、本といえば9月末日、奇跡の本屋さんといわれた松丸本舗がわずか丸3年で閉店したということを、たまたまこの間上京する前、岡山駅の本屋さんで、(やはり何かが呼ぶのです)店主であった松岡正剛氏が、事の顛末を記した本・松丸本舗主義を見つけ、買うことで知った私ですが、そのかなり分厚い本を、ようやく時間を見つけて読み終えました。
関心のある方は、是非手にしてみてください。このような前人未到のお仕事を多岐にわたって継続される方と、同時代に生きて呼吸しているということの喜び。氏のお仕事から、わずかであれ、知的体力を身につけさせて頂いているということの感謝はたとえようもない。
松岡正剛氏や、土取さん、桃山さんのお仕事は、いまの時代趨勢の中では評価されにくいのかもしれませんが、個人的にははなはだ残念というしかありません。がしかし仕事は残ります。
そのことは、松丸本舗主義を読み終えて痛感します。本は読み終えても、手元にあるだけで、何かを語りかけてきます。記録は大事です。70過ぎたら、手元の近くに気に入った本に囲まれて暮らしたいと夢想する私です。
日高事務所でも、共読会なんかもやりたいです。いくつになっても多分野の本を(人を世界を、認識しきり結ぶ、哲人です)繋げる天才編集(偏執)人が松岡正剛氏なのだと、私は畏怖しながら理解しています。
桃山春衣さんを偲ぶ会や、NRAJIA(遷都1300年事業)で、お話しぶりを耳にしたことがありますが、その茫洋感はたとえようもなく、なにか思考し続ける知的巨人というしかないオーラを放っていました。
10/22駒回しを教えていただいた3人組です。普段ではなかなかできない貴重な体験ができ、とても楽しかったです。駒まわしが教えられる母親を目指します。本当にありがとうございました。
返信削除コメントありがとう。こま回しが教えられる母親を目指されるとのこと、母と子の情愛が薄れてゆくような時代趨勢の中、あなた方のような女性がこれからの未来を明るくしてゆくものと思います。おじさんも身体の動く限り、わずかのことを伝えたく思います。またお会いしましょう。
削除10/24に、夢が原ではお世話になりました。
返信削除今の子どもたちが身体的な感覚を失いつつあることは
(これは私たち大人もです。)痛切に感じます。
今日のお話を聞きながら、
養老孟司氏の著作を思い出したり、
このような時代の流れから
再び脚光を浴びている?鴨長明の「方丈記」の中の
「歩くことにより健康になった・・・。」という
部分などを思い出したりしました。
「駒の種類が多いのは、木の種類が多いからだ。」
という発想がすぐに私には浮かびませんでした。
しかし、バーチャルの世界に浸っている子は
気づいていました。なぜかが不思議でした。
今度どうして気づいたのかを聞いてみたいと思います。
コメントありがとうございました。他者と触れ合うことの中でしか、なかなかに、人間は己の姿を見つけられ何のではないかという気が私自身はしています。自分と他者とをそんなに狭い枠の中でくぎって考えるのではなく、違いながらも、緩やかにすべてはつながっているのだということを見つけてゆくことが楽しいのではないかということを、夢が原で私なりに見つけました。また、チャンスがあればお会いしましょう。それにしても考えることは面白いですね。
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