こじんまりとした夢の砦 |
21年通った、中世夢が原を辞めるということは、やはりいろんな意味で、なかなか余人には、伝えにくい思いがあることもあるのですが、昨年の暮れ退院した時点から私の中では、一度全てをリセットしないことには、やがて悔いが残るということを、直感的に自覚し決断しました。ここにいたのでは、新しいヒトとの出会いの可能性は限りなく、少なくなるという思いです。
まだ来年の3月末までは働きますが、意識が変わるとやはり緩やかに全てが変わってゆくということを感じつつ、これからの未来の自分自身の生き方を見つめながら働いています。
そんな中の昨日、本当に久しぶりに、夢が原を辞めるという決断をしてよかったと思える出来事がありました。この数年私の企画する音楽会の音響をして下さっているY氏が、私に逢わせたい御夫婦がいる、とのことで、何かピーンと来るものを感じた私は、Y氏にお会いしたい旨伝えたら、すぐにアレンジしてくれ、お会いすることが叶いました。
詳しくは記す余裕がないのですが、関東から移住され、その素敵な生き方を選択された、K御夫婦の住処は庭瀬の駅からから車で10分位の里山の近くの田園風景の中に在りました。すぐそばをきれいな用水路が流れています。家の内には、なんとヤギが飼われていて迎えてくれました。古い民家を改造し、ガラスアート(素晴らしいステンドグラスの数々)とカフェ(棚には絵本がぎっしり)をされ、静かで落ち着いた晩節の生活が感じられる、何とも素敵な空間(豪華さの対極にある)でした。
初めてお会いするのにいきなりうちとけ、本当に久しぶり、記憶に残るほどに私自身がいろんなことを話す(まるで積年の思いが吹きこぼれたように)ことができたのは、ひとえにK御夫婦の飾らない、懐の深さがあるからこそ、私はまな板の上の鯉のように、お話が途切れることなく、気持ちよく転がったのだろうと、今ブログを書きながら感じています。
それほどに、なんとも言えない安心できる雰囲気が、Kさんち、には充満していたのです。書きながら、またゆきたい思いに駆られます。お二人は毎月第三土曜日、昔の名画の上映会(私もKさんのお宅で毎月何か企画したくなりました)もされています。なんとKさんは、日本を代表する名監督、木下恵介氏の甥ごさんなのです。びっくりです。
驚きは次々に起こり、当日は所用でゆけないのに、私の企画の9月7日のチケットも3枚購入して下さり、何と、いきいき(呼吸・意気)遊心塾にも参加したいと、奥様がおっしゃってくださったのです。感覚的に通じ合える、意気に感じる、遊びあえる塾仲間が増える、嬉しい。私の考える塾は、声と身体を動かして遊ぶことが基本です。
やはりヒトとの出会いの中からしか、豊かな関係性は生まれてこないのだという思いが私を包みました。初めて、夢が原を辞める決断をしてよかったと思いました。
夢が原を辞める決断をしなかったら、先ずKさん御夫婦にお会いする可能性は限りなく低かったと思います。大好きな月を眺めながら、帰路につきました。