脱原子力を目指すたった一人の自民党議員 |
東京では、何万人もの方たちが原発再稼働も含めた、政府の原子力発電に対する政策に対して反発のデモが行われている。岡山に住んでいると、そのあまりの温度差に(自分も含めて)何か釈然としないものを、私自身感じながら生きている。
20年前娘が2歳の時、岡山に移住した大きな理由の一つは、もし何事かが東京で勃発したら、想像したら居ても立っても居られない気がしたのも理由の一つである。
田舎育ちの私は、空気のいい穏やかなところで子育てをしたいと、思ったのである。あれから、20年がたち、まさかの原発事故が我が国で起こってしまった。
そのことに関しての一切の責任や、深いところでの事故検証も国民には知らされないまま、福島の方々は置き去りにされ、または離散し、その解決も放置し、またもや原発を動かそうとしている、日本という我が国にたいして、私も含めた国民は、責任を持って意思表示しないといけないと、考える。
先日の、藤原新也さんのブログは(朝日新聞に掲載した)、鋭く政府に切り込んでいて、胸に迫る。全く同感する。(誰でも読める)いまわれわれが、有史以来どのような状況に庶民がおかれているのかを、庶民がまずしっかり考えなくて、いったいどうするのかという気が、庶民の私はするのである。だからブログを書かずにはいられないのだ。
丸山健二さんのブログは、もっと過激な言葉がるる綴られている。このような言葉に反応してしまう感覚を、持ってしまう私は囲炉裏通信の読者にも是非知らせたいと、まあいわば余計なお節介かもしれないことを、こうやって書かずにはいられないのである。
ところで、話は変わり今日から4日間、上京します。日高事務所の今後のために、いろんな人に御挨拶したり、48年ぶり音信のとれた、小学校6年生の時の同級生に会ったり、友人の関わったチベットの映画を見たり、と多様な用事での久しぶりの、上京である。
企画をする人間としてはやはり、最低2回は上京しないと、感性が弱まるような気におそわれる。企画者にとってあまりにも居心地がいいという、岡山の空気ばかりは吸っていられないというのが、正直な気持ちなのである。
それと、これも何回か書いているが、東京は18歳から22年間を過している、私にとっては、特別な思いのある大都市であり、そこで出会った、大切な年来の友人に逢えるということはかけがえのない喜びなのである。
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