桃山さんの本は声に出して繰り返し読むことにしました |
熱帯夜が続く中、私はよく眠れているとおもうが、ブログはますますもって、朝しか文を書けない、還暦の夏である。
年と共に本を読むようになってきた私には、50代になり、そしていよいよ60歳代になり、いつでもそばにあり、意識に何らかの影響を与えてくれるという意味では、いよいよもって、書物は晩年の身近な一番の友となりそうだということを、もう何度も書いているが、さすがにこうも暑いと、日中本を読む気にはなかなかなれない。
それでも、本は手放せず、蟻のように汗を書きながらでも、読み進みたくなる本に、出会っている私の現在の、真夏の暮らしである。無知蒙昧で世の中に出て、なんとか生き延びてきた私であるが、もし本を読む楽しさ(知的世界の発見)を見つけられなかったらと思うと、本当にゾッとする。
今私が読んでいる本は、松岡正剛さんの千夜千冊番外録・3・11を読む、である。60冊の本が取り上げられている。私には難しい本も取り上げられているが、書物を読む(本に出会う)ことの水先案内人としては、かってに先生だと思っている私としては、一言でいえば、素晴らしい本というしかない。もしこのブログを開いている方がいれば、お勧めする。
それから、これは何度も手にした本ではあるのだが、青土社から出ている・桃山春衣著・梁塵秘抄うたの旅。これは先週から、遊悠塾で声に出して読んでいる。桃山さんの梁塵秘抄への思いが、深く綴られている、貴重というしかない本(このような本を書いた人は他にいない)である。
声に出して読んでみると、在りし日の桃山さんの声が甦ってくる。桃山さんが、命をかけて取り組んでいた、日本のうた、特に梁塵秘抄への思いが伝わってくる。私ごときようやっと、少しは桃山さんの仕事のわずかを、理解できる年齢になってきたような、按配なのである。幸い残された本やCDがあるから、読み込み、繰り返し聴くことによって、希有なお仕事に生涯を尽くした桃山さんから、これからも学んでゆきたいと思う。
9月7日のポスターには、桃山春衣さんに捧げる・という文言を入れさせてもらった。このような素晴らしいというしかない、真の意味での芸術家としての人生を全うされた桃山さんに、私は何故か、自分の人生で巡り合ってしまったのも、御縁だったのだなあと、ただ、還暦の今、蝉しぐれを聴きながら、9月7日に向かう、猛暑の夏を生きている私である。