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2026-01-25

1月24日午後、倉敷市玉島市民交流センターで山中惇史ピアノリサイタルを聴きました。そして思う今朝の五十鈴川だより。

 縁あって、昨日午後倉敷の玉島市民文化交流センターで、山中惇史(あつし)ピアノリサイタルを聴いた。

昨年11月15日、下関で妻とともに千住真理子さんのヴァイオリンリサイタルを聴きに出掛けた際のことは、すでに五十鈴川だよりに打っている。その時のピアノが山中惇史さんであった。会場でたまたま昨日の山中さんのピアノリサイタルのフライやーが配布されていて、場所がなんと倉敷の玉島、しかも妻の誕生日(妻は仕事でともにゆくことはかなわなかった)。

妻のお誕生日プレゼントになった

妻が行ってきていいよ、といってくれたので言葉にあまえた。事前に電話したら、充分に席の余裕があるので、当日券で大丈夫とのことだったので、寒いし車で余裕を持って出掛けた。着いて残席のなかから席を選んだ。満席で200から250位の小ホール、50位しか座席が埋まっていない。しかも最前列が空いている。私は最前列の7の席を選んだ。

これまで私は最前列で演奏を聴いた記憶がほとんどない。この席からは演奏家の息づかい、手の動きが(わずか五メートル先の)演奏家のその日の全てを直に体感出来るまたとない座席だった。

一部 ハイドンのピアノソナタ 第47番ロ短調(初めて聴いた)。つづいてショパン ピアノソナタ第3番ロ短調(これも初めて) いきなり別世界に連れてゆかれた。来て良かった本当に。

休憩後第二部、自作曲 上を向いて歩こう、ただし足元にお気をつけて、(ユーモアのあるタイトル、パリは美しく誰もが憧れる都市であるが、足元に気をつけて歩かないと大変なことになる。このタイトル、若き日パリを歩いた私にはよくわかる)。

すこしくらい濡れたって歩きたい気分、(彼の繊細な詩人のような感性がキラキラしているピアノ曲)ドビュッシー月の光、ショパン 舟歌、ショパン スケルツォ第2番 変ロ短調(もちろん初めて聴いた)。カーテンコールはドボルザークほか、短い小品を3曲も。素晴らしく堪能した。

長くなるので簡略に記す。山中惇史さんは35歳、おそらく知る人しか知らない存在でである。千住真理子さんのリサイタルに行かなければ、まず昨日の山中さんの出掛けることは無かっただろう。だが言葉は不要、出掛けてしかも最高の席で聴くことが出来た幸運を五十鈴川だよりに打たずにはいられない。(これからも彼の演奏を聴き続けたい)

わずかな聴衆を前に、全身全霊で演奏される、若くても独特の感性、世界を感じた。ある種の清々しさ、繊細で大胆、ユーモア、お辞儀の仕方に深くうたれた。演奏家であり作曲家でもある。まさにショパンの世界に初めて触れさせて貰えたような若き水先案内人、音楽のことにはまったくの門外漢であるわたしだが、構成選曲、すべてが繋がって、山中惇史さんの音楽性に聴きいった至福の時間であった。

さすがは千住真理子さんが競演されている音楽家である。出会いは出会いを紡ぐ。老いゆく細道に新たな楽しみを見つけられたように感じる。音楽、芸術は万人に開かれている。これまでの我が人生ではクラシック音楽に蒙が拓かれるような体験がなかったのだが、いきなり千住真理子さんの演奏を聴いてからは、まるで我が老いの体に、音の神秘が降臨してきたかのような、オーバーではなく体が喜んでいるのが覚る。

まさに季節が熟して、ぽろりと体と心が変身してゆくかのような塩梅、感じたこともない音の景色の世界をさ迷える愉しさを感じている。

これまで音楽を聴きながら五十鈴川だよりを打ったことはなかったのだが、今朝も聴いている。言葉のない音、好きなアーティストの演奏を聴きながら、五十鈴川だよりを打ちたくなっている。(旅先では無理だが)

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