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2025-11-03

小さな旅、最後の日の朝、吉祥寺駅のマクドナルドで打つ五十鈴川だより。

 昨日午後新潟日報で催された縄文シンポジウムに参加し、午後五時すぎの新幹線ときに乗り午後7時東京につき、中央線特別快速で三鷹に、そこからバスで次女の住むマンションの前で降りると、午後九時だった。

次女のところでぐっすり寝て、朝食を頂き、今日午後八王子での音楽会に参加する前、つかの間リヴィングルームでうっている。そばで4才の葉と次女がポケモンカードを楽しんでいる。風香は明日で生まれて3ヶ月、バウンサーでいい子している。でないと次女はカード遊びは出来ない。今回の小さな旅も今日が最後である。(とここで中断)

周さんが撮ってくれた、お散歩写真。

ここからは、吉祥寺駅のマクドナルドで打っている。あまりにお天気がいいので、葉と次女はお留守番しお別れ、周さん、風香と私の3人で、井の頭公園を散歩しながら吉祥寺駅に向かった。ひっきりなしに落ち葉が、バウンサーで眠る風香の上に降ってきた。周さんがその落ち葉を何回も取り除いた。

おおよそ30分以上、義理の息子の周さんと世代を越え密度の濃い、親子の会話をしながらのお散歩をすることが出来た。最後に思い出の3人でのお散歩がかなって、いい時間が過ごせ、ほんわか私は幸福感に浸った。周さんとはマクドナルドでお別れしたが、すぐに五十鈴川だよりが打てるように設定してくれた。

今回の旅を総括するのには、気持ちが熟成しないととても無理だが、午後の音楽会まで時間があるので、思い浮かぶ徒然をうつ。10泊11日の最後に音楽会にゆけるなんて幸せである。千住真理子さんがゲストで出演する、だけでたまたまチケットを求めただけである。

24日に家を出て、結局東京に6泊、那須塩原に1泊、新潟に3泊した今回の旅は、小さな旅ではなく、現在の私の年齢では、大きな旅となったような気がしている。そのことをうまくは綴れないのだが、事実の行動、実践を記すべく、五十鈴川だよりを打つ。

昨日までは越後新潟にいたのに、今は吉祥寺駅のマクドナルドで、五十鈴川だよりを打っている自分がいる。やはり新潟は長岡での縄文遺跡博物館を含めた、現地での体感気分が濃厚に体に残っていて、にわかにはこの都市空間に体がおっついていない。だが、百聞は一見に如かず、と言う以外にはない嬉しさ、充実感が今の私の内面を彩っている。臆面もなく打つ、老いる老人の燃える秋を感じている、のだ。

未知の縄文世界への一人旅、寒さ対策もあり、最低限の衣類ほか本など、中型リュック満杯の荷物を担いでの旅は、それをものともしない体力が必須である。今しばらく、日本列島、この世に生まれし在りがたさを、春夏秋冬愛でる旅を続けたいと言う一念が、湧いてきている。いよいよこれから、そのためにはどう生活すれば良いのか、思念している。


2025-11-02

11月2日午前中、新潟駅前のホテルのロビーで寸暇打つ五十鈴川だより。

 一昨日、猪風来さんの宇宙創世のモニュメントがある、長岡の馬高縄文館を訪ね、昨日は新潟歴史民族博物館と、十日町にある縄文博物館(火炎土器がいちばん多く出土している)をゆっくりと見学した。その事をまずはキチンと打っておく。

猪風来さんの作品に遇いました

31日は午後からかなりの雨で、一ヶ所しか行けなかったが、昨日は夕刻まで雨が落ちてこなかったので、2ヶ所なんとか行くことが叶った。縄文博物館は新潟市内からはかなりはなれている。

今日午後新潟日報のホールで行われる縄文シンポジウムは市内中心部にある。そこの近くにホテルをとったため、2日間、長岡に行き、そこからバスや在来線を利用したのだが、本数が少なく、大変ではあったが、その分よけい記憶に刻まれた。

今日、予報では雨模様だったのに起きると日が燦々と照っており、この2日間とはうって変わってのお天気なので、私の気分もすっかりいい気分ある。未知の新潟わずか3日間ではあるが、来て本当に良かった。そのいちいちを五十鈴川だよりに、今は打たないが、これから数年間、元気な間、新潟含めた東北エリアを、旅往きたいとのおもいがつのっている。

ところで昨日、朝いちばん歴史民族博物館を訪ねたとき、なんと猪風来さんのドキュメンタリーを撮っている、パイプラインのTさんや監督にばったりあったのには向こうも私も驚いた。時間が無かったので早々に別れたが、意外なことが起こるのが旅なのだから、これもまた思い出となった。

一年間、猪風来さんご夫妻と親密に過ごす事がなかったら、まず間違いなく、新潟の縄文博物館を訪ねる旅は生まれなかった。そして、自分でも思いもよらない老いの情熱が湧いてくることもあり得なかった。契機になる出来事に未だ反応する自分がいる。要は自分に正直に生きているだけである。昨日まで打ち込んでいたことを、止めたわけではない。昨日までの自分に、新たな時間を生きる自分が加わっただけである。

だが、これからの新しい時間生きるのに、縄文世界はゆうに言えない何か眼には見えないある種の豊かさを、もたらしてくれそうな予感がしている。もっと打てば、これまでの私とはおさらばしそうな、出来そうな予感なのである。今朝はこれ以上は打てない。

昨日十日町まで長岡から在来線で越後川口を経由、飯山線に乗り換え、往復した。信濃川流域、これまで眼にしたことがない風景、家々、水田地帯に生きる人々を目の当たりにした。あまりの雪国の奥深さ、長い雪の季節と、全く異なる夏の季節を、今もこの地に住む人々は生きている。厳しい大自然と共に、一万五千年以上生活した縄文人の末裔たちの遺伝子は、今も生きている。

宮崎でノホホンと少年期まで生きてこられた私には、想像も及ばない世界、生活である。縄文火炎土器はこの地に、長く長く生き生活した縄文人が創造した、傑出した土器なのだと府に落ちた。

日本と言う国も言葉もなかった、遥かな昔々も大昔、縄文人は生活を創造した。すごい世界に誇れる人々、この地で縄文人は大地と共に生きていた。そのことに想いを馳せるとき、なにやら偉大な御先祖たちの叡智の光を浴びたい、と旅に出掛けたくなったのである。。