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2024-04-13

立花隆著【知の旅は終わらない】、途中10章まで読み終え想う。

 四月にはいって一気に我がバイト先のフィールドの芝、多種類の雑草がぐんぐん延び始め、にわかに緑の園の様相を呈してきて、シーズンイン、にわかに私は今年も雑草管理他の肉体労働がはじまった。

あらゆることが新しく始まる春、十分に老人である私でさえ、どこかいまだワクワクする熾火のような感覚があるのが、どこかやはり嬉しい。このような感覚がいまだあるのは、やはり体が健康であるからこそだと天を仰いで深呼吸、見えない何者かに向かって感謝する、そしてその事を五十鈴川だよりに打ちたくなるのである。

月曜日から金曜日まで、朝8時から日中午後3時まで、青い空の下ただただ肉体労働に従事した。朝が早い私は、起きて働くまでの頭がすっきりしている朝、平均すれば一時間以上努めて本を読む時間に当てている。集中力が必要な本はすべて朝に読む。音読もほとんど午前中にやるように心がけている。

夜は知的刺激的な集中力のいる本はほとんど読まない。夜は疲れたからだをひたすら休める。そのような生活を古稀を過ぎてから、一段と徹底しているかのような暮らし向きである。日中の真面目な生活と、夜のいい加減な生活のバランスの上に、今の私の生活が成り立っている。

ただただやりたいこと、いま心からやりたいことに、素直でありたいとのおもいが最優先するのである。だから自分でもいい感じで一日一日が流れていっている。その感覚を大事にしたいのだ。臆面もなくそのようなことが打てる厚顔無恥もきっと健康に生活が送れていることの証左なのだと、いい方向に考えている。

ところで、いま文春新書、立花隆著【知の旅は終わらない】を読んでいる。新書だが407ページある。生い立ちから青春時代、あまりのもの紆余曲折的な知的好奇心のなせるお仕事を自伝的に赤裸々に語っている。全12章、いま10章まで読み終えたのだが、無茶苦茶面白い。立花隆氏のお仕事の大部は私のような無知蒙昧のやからにはとんと理解の及ばない分野が多いのだが、理解の及ぶ分野もある。

そのあまりの多岐にわたる分野への知的好奇心の旺盛さには圧倒的に感動させられる。自分の情動にあくまでも素直なのである。青春時代の発想力の大胆さは痛快そのもの、やはり才能のもって生まれた何かのお導きなくしては、あのような意外性にとんだ行動力、実戦力は生まれてこないというしかない。


いま古稀を充分に過ぎ、立花隆氏の自伝的な語りの文章を読みながら改めて想うことは、人生は一回限りという冷厳な真実である。

シェイクスピア含め、どのような偉大なるお仕事やをされ、人類の未来に晃望や発展に寄与された偉人から凡人凡夫にいたるまで死は等しく訪れる。だが、シェイクスピアの芝居、他、人類の遺産とも言えるほどの優れた書物は不死である。燦然と輝いて手に取るもののそばにある。

昨年釜山を旅したとき、レ・ミゼラブルの舞台を見たことで、原作をたまたま読むことができたのだが、心から読んでよかったし、もっと言えば生きているうちに読めた幸福感に包まれたのである。

たぶんあのときから今年に入り現在まで、読書に対する向かい方が、以前にもまして、真面目になってきているように思える。死者たちが遺した優れた書物の数々。

あらゆることにたいして、気付きが遅く、本を読む速度も遅い、充分に高齢な私だが、辛うじて動き働き音読し、60代よりも知的好奇心は増しているような気がしている。そういう自分にすがって、あくまでも一生活者の限られた読書時間を大事に生きたいと、今更ながら想う。

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