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2024-04-28

GW、次女家族が帰ってくる朝に想う五十鈴川だより。

 GWに入った。今日午後次女家族が2泊3日帰ってくる。孫の葉君7月で3才に会うのは久しぶりである。意味も何もなくただ嬉しい。こればかりはお爺になったものでないと味わうことのない、老いゆくなかでの何かが与えてくださった喜びとでもいうしかない。これ以上は、爺バカのそしりを免れないので、打つのは控える。

さて、今年も4ヶ月が経とうとしているが、このGWはひとくぎりという意味で、本当にありがたいお休みである。自分でも古稀を過ぎてお陰さま、お陰さまと、まるで念仏を唱えたくなるほどの、健康で穏やかな日々が過ごせていることにたいしての感謝は、喩えようもない。

この4ヶ月の間に、私の日々の生活の中で起こった出来事の折々は、努めて五十鈴川だよりに打つようにしているが、それにしても穏やかな日々の生活の中で、にわかに予期せぬ嬉しい出来事が続くと、心中貧乏性の私は、いささかあらぬ心配をしてしまいかねないが、ままよなるようにしかならないし、水は流れる方に流れる。私は私のあるがままの流れに身を任せている。

丸4年ぶりに、奇特なリーディング音読参加者とのレッスンを5回ほど終えて、GWに入ったのだが、私にとっては色々な意味でよいOFF時間である。これからに向けて私自身が学び、充電するためのまたとない時間が過ごせるからである。

それにしても、古稀を過ぎてから自分でもあちらこちらに出掛けなくなった自分がいる。明かに老いてきているのだという自覚が進む最近の私なのだが、私はその事を肯定的に前向きに考え、リーディング音読だけはできるだけ錆び付かないように、と心かけている。

その一番の根拠は、リーディング音読の参加者が継続して参加しているという事実である。一番嬉しいのは、個人レッスンでもやりたいという参加者がいることだ。その事実、私のレッスンについてきてくださる参加者は、私自身の今を生きるバロメーターである。

これは肉体労働にも言える。実力が伴わなければ、肉体労働はできない。18才から日銭を稼いで生きてきた私は、いい意味でのその日暮らし感覚がある。ギリギリ生活を今に至るも生きている、という感覚が抜けない。繰り返すがいい意味でである。ギリギリで踏ん張り、わけのわからないフラジャイルな自分と向かい合う感覚を生きる。

音読も草刈りも私の中では根っこは同じなのだという感覚がある。丁寧に刈る、丁寧に音読する。持続力、集中力、根気力。その事を理解してくれる(くれなくてもいっこうにかまわない)かたは少ないが、わかってくれるひとはいる。

わかってくれなくても、私のレッスンに何かを感じる感性がある方がいるから、継続しての参加者がいるのだと、ささやかにどこか自負している。そして思う、何とシェイクスピアを音読することはエネルギーがいることかと。毎回のレッスンを終えるとくたくたに疲れる。だが心地よい疲れである。

妻丹精の我が家のバラの花

自分で言うのもなんだが61才でシェイクスピアの音読を30年ぶりに再開して10年以上、今私はシェイクスピアのリーディングが以前にもまして、肉体的には大変だが楽しい。それはレッスンしがいのある生徒さんに巡り会えているからである。

毎回のレッスン、参加者の顔を思い浮かべながらどのシーンをリーディングしてもらおうかと、テキストを私自身がぶつぶついいながら考えている時間が楽しいのである。私自身の人生の持ち時間は(元気に音読できる時間)限られているので、取り急ぎ今年一年で、やる気のある参加者には、できるだけ多くの作品群の、魅力的登場人物の台詞の抜粋リーディングをやりたいと考えている。

そのためには、私自身があまり読んだことのない作品を、松岡和子先生の翻訳で初心にかえってしっかりと音読したいのである。孫が帰ったら、私のGWのかなりの時間は、シェイクスピア作品の音読に充てることになる。


2024-04-27

6月16日【マルセを生きる】出版を祝う、故マルセ太郎の泥の河DVD上映とマルセ梨花さんのトークイベントに寄せる一文。


 2001年1月22日、お亡くなりになったマルセ太郎という知る人ぞ知るがいる。この方の娘、梨花さんが昨年11月、22年の歳月をかけて、【マルセを生きる】という本を上梓した。

その本を読み、一人でも多くのかたにマルセ太郎という比類のない芸人の存在を知ってもらう、DVDの上映と梨花さんのトークでの出版を祝う企画をやることに決めた。日にちは6月16日場所は私が働いていた中世夢が原の神楽民俗伝承館である。下記の一文は私が私がそのフライヤーに寄せたものである。

2023年11月、故マルセ太郎さんの娘、梨花さんから【マルセを生きる】という 芸人マルセ太郎に魅入られた人たち という副題のついた本が送られてきた。知る人ぞ知る芸人マルセ太郎が亡くなったのは、2001年1月22日、あれから22年の年月が流れている。私はかけだし企画者として40代半ばたまたまマルセさんを二度企画している。いずれもスクリーンのない映画館。まるごと映画をマルセさん独自の視点で切り取り語る、これまで誰もやったことのない独創一人芸である。最初は働いていた中世夢が原の神楽民俗伝承館で、小栗康平監督の泥の河を、二度目は私の住む街西大寺の五福座での黒澤明監督の生きるである。マルセを生きるに収められているほとんどの方が書かれた文章はマルセさんが没した年に書かれたものである。ご縁があったことで私も拙文を寄せた記憶があるのだが当時刊行には至らなかった。しかし、梨花さんの父マルセ太郎に対する畏敬の念と、このままマルセ太郎の誰もなしたことのない未到の荒野を敢然と一人行く芸の世界を、このまま埋もれさせてはならない、との一念は時が経つにつれ深まり、梨花さんの中で熟成発酵し(梨花さん、息子竜介氏のコラムが素晴らしい)【マルセを生きる】という見事な結晶となって忽然とマルセさんが甦ったのである。見事という他はない。私はこの本を手にして一言理屈抜きに感動した。そして72才の私に今やれることは何か、考えた。結果、私はマルセを生きる出版を祝う、マルセ太郎のDVD上映と梨花さんのトークをやることに決めたのである。その第一回の場所として私が選んだのは、マルセさんが泥の河を語った場所、中世夢が原の神楽民俗伝承館である。故マルセ太郎を知っている人はもちろん、知らない若い人にも是非足を運んでほしい。歌の文句ではないが、私の希望(ねがい)はただそれだけである。



2024-04-26

【逃げても、逃げてもシェイクスピア】翻訳家・松岡和子の仕事というご本が松岡和子先生から送られてきました。

 昨日で4月の労働は終えた。金曜日朝の五十鈴川だよりである。青天の霹靂という言葉がある。月曜日午後4時過ぎ、労働バイトを終え家に戻ると、妻が松岡和子先生から本らしきものが届いているよと知らされた。すぐに封を開けるとやはり本であった。初版4月17日に出版されたばかりのホヤホヤの新刊。表紙に愛猫を抱いた満面笑みの先生の写真が。だが著者は違う。タイトルは【逃げても、逃げてもシェイクスピア】サブタイトル、翻訳家・松岡和子の全仕事とある。草生亜紀子というかたが書いた本である。

シェイクスピアのお導きに感謝

いま五十鈴川だよりをうちながら、2年前下北沢の本多劇場のロビーで、39年ぶりにまさに偶然お目にかかったときのことが昨日のことのようによみがえる。読みかえしてはいないが、そのときのことは、五十鈴川だよりに打っているはずである。今更ながらあの日の出来事がなかったらと、想う私がいる。というのは長くなるので務めて簡略に記すが、きっとあの日の出来事が、もう一度初心に帰って、年齢を忘れ、松岡和子先生の翻訳での音読リーディングをやるという気持ちを奮い起たせたのだと思える。

今年3月23日から奇特な主に岡山在住の面々と、先生の翻訳でリーディング音読を始め、5回ほど終えた翌日に、先生からのご本が届いたあまりのタイミングのよさに、いまだ驚きを禁じ得ない。

【逃げても逃げてもシェイクスピア】という奇妙なタイトルの本は全5章からなっている。プロローグ、父と母・学生時代・仕事、家族・劇評、翻訳・シェイクスピアとの格闘、エピローグである。本の帯にこうある。

引き揚げ後の暮らし・シェイクスピアからの逃走・この人と結婚するかも・初めての翻訳・戯曲翻訳の世界へ・シェイクスピアに向かう運命の糸・自分が新訳する意味は何か?・書かれていないことを決める苦悩・挫けそうになった作品・完訳の先に続く挑戦。

その夜から読み始め翌日には読み終えた。読んだあとで、明らかに何か言葉には表し得ようもないタイミングでの、私の思い付きリーディング音読へのエールとでもいうしかないほどの励ましの本を、いただいたのだとの至福感が、読後いまだ私を包んでいる。その事が私に五十鈴川だよりを打たせる。

そのようなあんばいの私、この本から私が受けた感動をにわかに綴ることはいまは控える。ただ、あまりの松岡先生の両親の素晴らしさには脱帽、何度も涙腺が緩んだ。30才で亡くなられた弟さんへの思いの深さ。姑との確執。夫の看とり。などなど。生老病死、どなたでも避けられない生きて行く上での諸問題が松岡和子先生の人生にも繰り返し訪れる。

が、先生は敢然と向かい合う。困難がたち現れる度に先生は覚悟が座る。何と素晴らしいことかと打ち負かされる。この方の翻訳日本語でリーディングをやりたいと思った私の直感は、正鵠を得ていたのだと自負する。本多劇場でいただいた名刺のご住所に我が家の八朔をお送りし、その中に音読リーディングのフライヤーも同封したのだが、ご本と、いただいたお葉書に、さりげなく岡山での音読会はいかがですか?とあった。誠実なお人柄が、さりげないお心遣いが文字から伝わってきた。身が引き締まるおもいがした。

明日は第6回目のリーディング、まだ始まったばかりなのだが、【逃げても、逃げてもシェイクスピア】は私にとって座右の本となるのは間違いない。これからの私の宝になり大いなる味方になる。ささやかな存在の私ではあるが、シェイクスピアのお導きで松岡和子先生と巡り会えた運命に感謝し、体が、声が出せる間は貴重な仲間(生徒さんと)と松岡先生の翻訳で、未到彼方高く聳えるシェイクスピア作品群を音読リーディングする覚悟である。




2024-04-21

2024年、4月19日、20日二日連続土取利行さん企画・プロデュースイベントに立ち会えた至福の五十鈴川だより。

 19日午後7時からサンポートホール高松で行われた、【異響同塵 古代サヌカイト&チェロ 異次元コンサート 土取利行&エリック・マリア・クテュリエ セッション、ゲスト松田美緒】を体感、聴いた。

何故か手元にある昔のチケット


19日午前中で仕事を切り上げ、余裕をもって高松につき会場で静かに開演を待った。一部はエリック・マリアのソロと松田美緒さんの歌とのコラボ。続いて二部に入り、生まれて初めて土取利行さんが演奏する古代石器サヌカイトの生音で聴いた。

前半はソロ、後半はエリック・マリアとのセッション。音の密度が研ぎ澄まされている。サヌカイトの音の神秘に心底おののいた。

サヌカイトとチェロの響きの交歓、歌(詩と)チェロの交歓。カーテンコール。3人による夢幻的交歓。サヌカイト、チェロの響きの神秘、声の響きの神秘、彼方からさんざめいてくる波動に耳を澄ます。

なにか大いなるものに包まれ抱かれる安堵の原初的回帰感覚、聴き終えて言い知れぬ静かなある種の幸福感が私の体を満たした。いまはただこの稀有なセッションに立ち会えたことの老いの喜びを、わずかに五十鈴川だよりに打てるだけで幸せである。

土取利行さんに出会ったのは私が26才のときである。かけがえのない若さを抱え、当時私はロンドンに演劇を学ぶためというめいぶんを掲げ、劇場の街、ウエストエンドエリアを夜毎徘徊していた。シェイクスピアの舞台を見るために自費遊学、生まれて初めての自由自在生活、遅蒔きの青春を満喫していた。

ある日、タイムアウトという情報紙に【ピーター・ブルック演出、ユビュ王】という文字が目に入った。場所はテムズ川のウォータールー橋のそばの劇場ヤングヴィック座。芝居が始まりビックリした。何と日本人である土取利行さんが、あのピーター・ブルックの劇の音楽を担当していたからである。

私は二十歳のときにピーター・ブルックが演出したシェイクスピアの夏の夜の夢を東京日生劇場で観たことがあり、そのあまりの斬新さに度肝を抜かれた経験が、結果的に私を土取利行さんと出会わせたのである。今から46年も前の忘れもしない出来事である。(人生の折々、シェイクスピアはいまだ私を未知の世界に誘う、音読しかりである)

もしあのとき、タイムアウトという催し雑誌にピーター・ブルック演出、【ユビュ王】という文字が目に入らなかったら土取利行さんに出会うことはなかった。打っていると思い出が去来する。

あの偉大なピーター・ブルックも先年お亡くなりになった。46年の歳月が流れるなか、土取利行さんとの交遊は奇跡的にという表現しか思い付かないほどに続いている。氏のいまだ続く多分野に及ぶ膨大なお仕事の、折々を垣間見ているにすぎない私だが、その未踏の芸術家としての歩みの一部を、間近で体験できたとの幸運は筆舌には尽くせないものがある。

話を戻す。長くなるので、簡略して事実のみ忘れないうちに打っておく。ライブセッションが終わりロビーで、エリック・マリアと10数年ぶりに再会した。(実は私はエリックを岡山のオリエント美術館でソロライブを企画したことがあるのである。改めてエリックはすごい演奏家に成長していた)ビックリ、エリックはすぐに私を見つけ笑顔で近づいて来てくれた。メールアドレスを交換し、旧交を温めた。

最終電車で西大寺に戻り、昨日は再び午後一時から多度津の海岸寺というお寺で、エリック・マリアが空海ご生誕1250年を祝、奉納する演奏を体感するために出掛けた。土取利行さんが幼少期を過ごした多度津の海も散策する時間が持てた。土取利行さん、エリック・マリア3人での記念の写真も裏方の0さんが撮ってくれた。空海ご生誕1250年の節目の空前絶後のイベントに立ち会え、なんだか老いて生き返ったかのような至福感に包まれる。

瀬戸大橋を二日に渡って往復したのだが、このようなこともあのようなことも、まさに春の世の夢とでもいうしかないようなイベントに遭遇したこと、が夢ではないことをきちんと五十鈴川だよりに打っておかねばと念う。



2024-04-13

立花隆著【知の旅は終わらない】、途中10章まで読み終え想う。

 四月にはいって一気に我がバイト先のフィールドの芝、多種類の雑草がぐんぐん延び始め、にわかに緑の園の様相を呈してきて、シーズンイン、にわかに私は今年も雑草管理他の肉体労働がはじまった。

あらゆることが新しく始まる春、十分に老人である私でさえ、どこかいまだワクワクする熾火のような感覚があるのが、どこかやはり嬉しい。このような感覚がいまだあるのは、やはり体が健康であるからこそだと天を仰いで深呼吸、見えない何者かに向かって感謝する、そしてその事を五十鈴川だよりに打ちたくなるのである。

月曜日から金曜日まで、朝8時から日中午後3時まで、青い空の下ただただ肉体労働に従事した。朝が早い私は、起きて働くまでの頭がすっきりしている朝、平均すれば一時間以上努めて本を読む時間に当てている。集中力が必要な本はすべて朝に読む。音読もほとんど午前中にやるように心がけている。

夜は知的刺激的な集中力のいる本はほとんど読まない。夜は疲れたからだをひたすら休める。そのような生活を古稀を過ぎてから、一段と徹底しているかのような暮らし向きである。日中の真面目な生活と、夜のいい加減な生活のバランスの上に、今の私の生活が成り立っている。

ただただやりたいこと、いま心からやりたいことに、素直でありたいとのおもいが最優先するのである。だから自分でもいい感じで一日一日が流れていっている。その感覚を大事にしたいのだ。臆面もなくそのようなことが打てる厚顔無恥もきっと健康に生活が送れていることの証左なのだと、いい方向に考えている。

ところで、いま文春新書、立花隆著【知の旅は終わらない】を読んでいる。新書だが407ページある。生い立ちから青春時代、あまりのもの紆余曲折的な知的好奇心のなせるお仕事を自伝的に赤裸々に語っている。全12章、いま10章まで読み終えたのだが、無茶苦茶面白い。立花隆氏のお仕事の大部は私のような無知蒙昧のやからにはとんと理解の及ばない分野が多いのだが、理解の及ぶ分野もある。

そのあまりの多岐にわたる分野への知的好奇心の旺盛さには圧倒的に感動させられる。自分の情動にあくまでも素直なのである。青春時代の発想力の大胆さは痛快そのもの、やはり才能のもって生まれた何かのお導きなくしては、あのような意外性にとんだ行動力、実戦力は生まれてこないというしかない。


いま古稀を充分に過ぎ、立花隆氏の自伝的な語りの文章を読みながら改めて想うことは、人生は一回限りという冷厳な真実である。

シェイクスピア含め、どのような偉大なるお仕事やをされ、人類の未来に晃望や発展に寄与された偉人から凡人凡夫にいたるまで死は等しく訪れる。だが、シェイクスピアの芝居、他、人類の遺産とも言えるほどの優れた書物は不死である。燦然と輝いて手に取るもののそばにある。

昨年釜山を旅したとき、レ・ミゼラブルの舞台を見たことで、原作をたまたま読むことができたのだが、心から読んでよかったし、もっと言えば生きているうちに読めた幸福感に包まれたのである。

たぶんあのときから今年に入り現在まで、読書に対する向かい方が、以前にもまして、真面目になってきているように思える。死者たちが遺した優れた書物の数々。

あらゆることにたいして、気付きが遅く、本を読む速度も遅い、充分に高齢な私だが、辛うじて動き働き音読し、60代よりも知的好奇心は増しているような気がしている。そういう自分にすがって、あくまでも一生活者の限られた読書時間を大事に生きたいと、今更ながら想う。

2024-04-10

【ウクライナ危機後の世界】を読みベリングキャットの存在を知り、もの想う五十鈴川だより。

【 ウクライナ危機後の世界】宝島社新書、薄い本である。2022年7月に出版されている。大野和基さんという国際ジャーナリストが選んだ世界の識者7人にインタビューしたものをまとめた本である。


昨年後半から、私は新聞の購読を辞めた。取り立てて深い理由があるわけではない、がもう十分だとなぜか思ったのである。一日の私の時間、新聞に割いていた時間を他のことに当てるようにしただけである。

情報が極端に入ってこなくなったということは否めないが、余分な情報は一切入ってこないので、今のところ普段の私の生活にはいっさいの支障がない。ますますもって時代に取り残されているかのようなでくの坊老人生活を生きている、といっても過言ではない。

だがそういう木偶の坊的生活が、どこかここちいいのだから自分としては、浮世離れ(世捨て人にはほど遠いが)生活をどこかで楽しんでいる。

話を戻す。そのような生活を送る私がいちばん頻繁に通うのが図書館である。平均すれば一週間に一度は必ずといっていいほどゆく。そして数十分ほど本を眺める。自ずと必ず読んでみたいと思わせられる本とで会うのである。

今の私の生活の知的刺激を受けるもっとも大切な場所である。一日に読む本の時間は限られている。これから私が手にする本はますますもって、オーバーではなく一期一会的になる。大袈裟ではなくそのような厳然たる事実に想いを馳せるとき、ギリギリの今をいきられているある種のよき本との廻り合いに、よかったと安堵するのである。

さて、昨日読み終えたウクライナ危機後の世界、大野和基氏がインタビューした7人の識者で名前だけ知っていたのは、ユヴァル・ノア・ハラリ、ジャック・アタリの二人。ポール・クルーグマン、ジョセフ・ナイ、ティモシー・スナイダー、ラリー・ダイアモンド、エリオット・ヒギンズ、に関してはまったくなにも知らなかった。

そのような私がなぜこのような本を手にしてしまうのか、自分でもよくはわからない。ただ本のタイトルも去ることながら、老人の私ではあるが、いまだにどこか世界の行く末に漠然たる不安感のようなものがあまねく覆い尽くしているかのような、時代状況にどこかアンテナをたてておかないとまずいのではないかという感覚が、ぬぐえないからだろう。

私が知らなかった5人の識者のなかで、もっともビックリさせられたのはエリオット・ヒギンズというオープンソース調査集団【ベリングキャット】の創設者である。小さいが大きい真実の行方に迫る良心集団。エリオット・ヒギンズという一人の人間が10年前に立ち上げた調査報道情報の良心、べリングキャット。名前だけは知っていたがより深く知りえただけでも、五十鈴川だよりに打ちたくなるほどに刺激を受けた。

フェイク情報が極端に蔓延し、にわかには世界の真実がかくも分かりにくく、複雑怪奇魑魅魍魎情報戦が跳梁跋扈する生成AIインターネット世界、最後はやはりヒトの心を失っていない良心の存在に勇気付けられる。老人であることを自覚しつつ、しかし世界にたいしての知的関心のアンテナが錆び付かないように生きる最低の努力を怠るようになったら、それこそ不味いと、どこかでもの想う春である。

2024-04-07

3回目、リーディング音読の朝に想う五十鈴川だより。

今日は午後3回目のリーディングレッスンである。場所は福祉交流プラザうの。参加者集いやすい岡山市中心部にN氏が変更してくださった。このところリーディング音読のことしか打っていないかのような五十鈴川だよりである。私にとってのシェイクスピアのリーディング音読が、この4年間やれていなかったことが、突然未知の方とやれていることに対する言葉になし得ないほどのよろこびが、私の老いゆく体を満たしているからだと思える。

素晴らしい本に巡りあえた

N氏のフライヤーではリーディングは全5回で、発表会までこぎつける予定であったのだが、あまりにもレッスン回数が足りないと言うことで、6月の発表会まで基本的に週1回のレッスンを私の希望ですることにしていただいた。

レジュメというほどのものではないが、レッスン回数が増えるごとに、参加者の個性に合わせてどのシーンをリーディングするのか大まかには考えている。もっと回数を積み重ねたら、自分で音読したいシーンを決めてもらいたいとも考えている。

私のシェイクスピアリーディング音読への想いを、レッスンしながら徐々に伝え、双方向のやり取りの中から、理想を言えば参加者がひとつのチームとしての発表会がなせればよし、と私は現時点で考えている。

人間の心と体は絶えず揺れながら思考する。ことに私はそうである。だから五十鈴川だよりを打つことで最低限の思考の整理をしながら、日々を過ごしている。 

一応、今回のN氏による音読企画は6月の発表会が終われば終了となるが、今後の参加者の取り組みや情熱次第ではあるけれど、私の情熱が許す限り継続してレッスンしたいし、今回の参加者のように可能性に満ちた参加者と出会えるように、N氏に随時参加者を募るフライヤーも頼んでいる。

先日発熱して改めて思ったのだが、いつレッスンがやれなくなるという不足の事態が起こっても悔いのないレッスンを毎回積み上げておかなければと思う。私のレッスン時間は有限なのである。 希望は持たねばならないが、必ず最後のレッスンはくるのである。 

とは言うものの、今日の私は体調もよく五十鈴川だよりを打つ元気もある。今日のレッスンに備えての準備もしている。謙遜している訳ではもうとうない。何度も書いているが無名の私の日本語によるシェイクスピア作品のリーディング音読に、縁あって参加者がおられるという事実が私を限りなく謙虚にさせるのである。

第一回のリーディング、見学されていた方が途中からリーディングに参加し、最後までは参加されなかったのだが、2回目いちばん先にレッスン場に来られ、すでに間違いの喜劇の本を開いておられた。私は体調が思わしくなかったのだが、その女性の取り組み、態度に心がシャキッとなり、見学者の方が二人おられたのだが、ほとんどの時間をその方との個人レッスンで終えたのである。(S氏が4時過ぎに来られるまで)

臆面もなく打とう。老人の無名の私のレッスンに参加費を払ってやって来てくださる方が、おられるということにたいして、一人でも真摯に取り組む参加者がいれば、現在の私の持てる音読技量のすべてを傾注する覚悟が改めて沸き起こったのである。先のことは考えない。

一対一でのレッスン。息を吸っては吐き、息を吸って吐き、台詞に息を、命を吹き込む、今生きている声、年齢を超越し、エイドリアーナになりきる。フィクション、虚構を、現実すべてをいっとき忘れ声を出し会う。出しあえる無私の時間の欠け換えのなさ。(がすべてである)

まさに私が魅入られるシェイクスピアリーディング音読の醍醐味である。その音読のかけがえのなさこそが、きっと私が求めている何か、SOMETHINGなのだと思える。ともあれ、そのような参加者に出会えた事実を、五十鈴川だよりに打たずにはいられない、今朝の私である。                                                             

2024-04-06

体調が戻り、気づけば満開の桜の春に想う、今朝の五十鈴川だより。

 先週から微熱が続き、なんとか2回目のリーディングレッスンを終え、よく月曜から水曜日まで安静にして、熱が下がったので木曜日から肉体労働バイトに復帰、4月にはいって最初の五十鈴川だよりを打つ気になるほどに体調が回復した。

妻丹精の春の訪れ

改めて体の気の充実なくして何事もならずという、当たり前のことの重大さを痛感しながらも、生来の楽天さは変わらず、ダメなときは何をやってもダメと、すぐに諦めるのも私の性格のよいところと、自分を慰める。

パラリンピックの言葉と知りましたが、失ったものを数えるな、今あるものでベストを尽くせ。古稀を過ぎてからはこの言葉が、実にしっくりと来るようになりました。60代の頃とまったく異なって、あれもこれも手放し、現在はどうしても手放せないことにのみ、情熱の残り火を傾注するように、以前にもまして日々の暮らし方をシンプル至極にしている。

手の届く、真からやりたいこと以外はかたくなにやりたくないというか、もっと言えば、これからは一年一年やりたいことにのみエネルギーを集中する。(もちろんオフ時間を大切にしながら)それ以外のことはやらないし、肉体的にやれないという厳粛な事実を生きるのだという覚悟がすわって来たのである。

70歳を過ぎたら義理を欠けという言葉があるが、しかりとうなずくのである。命は有限、以前だったら2日も寝たら回復していたものが、倍はかかるのが老いという冷厳な事実と受け止める。だからといって後ろ向きに生きるのではもうとうない。

3月23日に始まったリーディング音読、早くも明日で3回目のレッスンが行われる。気がつけば桜のはなが満開である。知らぬ間に季節はうつろいあっという間に私の春は過ぎ行く。だからこそ、一期一会レッスンを大事にしたい。いい意味でどこか諦めかけたシェイクスピアのリーディング音読、Nさんのお陰で実現している。その事がにわかには信じられないくらいなのであるが事実である。コロナ以前と以後では自分のなかでの変化がやはりいちばん大きい。

臥せっている間に桜が満開。人生時間が短くなるにつけ、森羅万象が輝く春の訪れの素晴らしさに見入られる。この季節のなか、4年ぶりにシェイクスピアの日本語の音読レッスンがやれる。無名の私のレッスンに連続して参加してくださるかたがいる、ということのありがたさがしみる春である。