猛暑の夏が続いている。蝉時雨の音が今も我が家の回り、かまびすしい。が、お陰さまで私は五十鈴川だよりを打てるほどに元気である。それはたぶんに普通に老いてゆくなかで、色々とやりたいことの焦点を、今年から本格的に絞り、やれることのみに、エネルギーをかたむけるようになったからだと思う。
色々な日本語訳で読めるのが楽しい |
相も変わらぬコロナ禍ではあるのだが、我が人生の有限を噛み締めながら、老いを見据え覚悟を決めたのである。気のすむまで済むまでやろうと。
おそらくNさんのような協力な助っ人が、理解者が現れなかったら、こういう事は実現の方向にはむかわなかったであろう。そういう意味で、手前勝手に私は運の強さのようなものをどこかで感じている。まずは一人でも参加者がいれば、私はやる。
昨年暮れ10数年ぶりに交遊が一気にひょんなことから再開し、多嘉良カナさんのポスターデザインを無償でやってくださり、夜間中学でのシェイクスピア輪読の扉を開いてくださったNさんが、7月のはじめ久方ぶりに私との話し合いのなかで、私の色々な思いを受け止めてくださりい一気に事を進めてくださっているからである。8月はすぐやって来る、がはじめる。
それと、親友が69才にしてシェイクスピアの音読を始めた事が、私にいうに言われぬ新たな情熱の発露を促しているのは間違いない。親友から先日メールが来た。8月岡山でレッスンを受けたいと。私とのレッスンのために新幹線🚅でやって来るというのである。
あとにも先にも親友とレッスンしたのは、日比谷公園での雨のなかでの二日間の、路上レッスンのみである。もちろん私が上京するときには、わずかではあれレッスンするつもりではいたが、岡山までやって来るとは。意表をつかれるとはこの事である。親友は、私が音読レッスンをしないのはもったいないとまで言ってくれたことが嬉しく、やる気に拍車をかけているのである。
私は、自分でいうのも気が引けるが、遊声塾を立ち上げた頃とは全く異なった自分がいるような思いにとらわれている。長くなるので割愛するが、70代のこれからは、60代とは全く異なるレッスンがやれるような予感がするのである。だからやりたい。そのレッスン感覚は雨の日比谷公園路上ライブレッスンでにわかに私のなかにもたらされたのだ。
ヒントは親友が与えてくれたのである。シェイクスピアを理屈ではなく、400年も前に書かれた、かくも魅力的な登場人物が、あたかも今生きているかのように音読する醍醐味、それを面白がって音読するかしないかによって、現代人の我々身体は喜び豊かに変化する、とでもいうしかない事実の気付きである。
そしてその事は、いかに自分自身とういうかけがえのない器を大切に、生きるのか生きないのかという、きわめてシンプルな気づきにあったのである、シェイクスピアのあまりにも人間らしい絶対矛盾的つきぬ言葉の泉は、複雑な現代人の心も揺さぶる。
新しい翻訳日本語の素晴らしさを、己の身体で無欲無心に発する愉しさを。私も親友も見つけたのである。言葉でキャッチボールをするようにただプレイし、今を遊ぶのである。
い。
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