人の砂漠、沢木さんの本には刺激を受けた |
2023-07-31
老いの身体を活性化する真夏の読書を、ちびりちびり持続する。
2023-07-29
シェイクスピア作品の音読に再び挑み、猛暑を乗りきる私の夏。
猛暑の夏が続いている。蝉時雨の音が今も我が家の回り、かまびすしい。が、お陰さまで私は五十鈴川だよりを打てるほどに元気である。それはたぶんに普通に老いてゆくなかで、色々とやりたいことの焦点を、今年から本格的に絞り、やれることのみに、エネルギーをかたむけるようになったからだと思う。
色々な日本語訳で読めるのが楽しい |
相も変わらぬコロナ禍ではあるのだが、我が人生の有限を噛み締めながら、老いを見据え覚悟を決めたのである。気のすむまで済むまでやろうと。
おそらくNさんのような協力な助っ人が、理解者が現れなかったら、こういう事は実現の方向にはむかわなかったであろう。そういう意味で、手前勝手に私は運の強さのようなものをどこかで感じている。まずは一人でも参加者がいれば、私はやる。
昨年暮れ10数年ぶりに交遊が一気にひょんなことから再開し、多嘉良カナさんのポスターデザインを無償でやってくださり、夜間中学でのシェイクスピア輪読の扉を開いてくださったNさんが、7月のはじめ久方ぶりに私との話し合いのなかで、私の色々な思いを受け止めてくださりい一気に事を進めてくださっているからである。8月はすぐやって来る、がはじめる。
それと、親友が69才にしてシェイクスピアの音読を始めた事が、私にいうに言われぬ新たな情熱の発露を促しているのは間違いない。親友から先日メールが来た。8月岡山でレッスンを受けたいと。私とのレッスンのために新幹線🚅でやって来るというのである。
あとにも先にも親友とレッスンしたのは、日比谷公園での雨のなかでの二日間の、路上レッスンのみである。もちろん私が上京するときには、わずかではあれレッスンするつもりではいたが、岡山までやって来るとは。意表をつかれるとはこの事である。親友は、私が音読レッスンをしないのはもったいないとまで言ってくれたことが嬉しく、やる気に拍車をかけているのである。
私は、自分でいうのも気が引けるが、遊声塾を立ち上げた頃とは全く異なった自分がいるような思いにとらわれている。長くなるので割愛するが、70代のこれからは、60代とは全く異なるレッスンがやれるような予感がするのである。だからやりたい。そのレッスン感覚は雨の日比谷公園路上ライブレッスンでにわかに私のなかにもたらされたのだ。
ヒントは親友が与えてくれたのである。シェイクスピアを理屈ではなく、400年も前に書かれた、かくも魅力的な登場人物が、あたかも今生きているかのように音読する醍醐味、それを面白がって音読するかしないかによって、現代人の我々身体は喜び豊かに変化する、とでもいうしかない事実の気付きである。
そしてその事は、いかに自分自身とういうかけがえのない器を大切に、生きるのか生きないのかという、きわめてシンプルな気づきにあったのである、シェイクスピアのあまりにも人間らしい絶対矛盾的つきぬ言葉の泉は、複雑な現代人の心も揺さぶる。
新しい翻訳日本語の素晴らしさを、己の身体で無欲無心に発する愉しさを。私も親友も見つけたのである。言葉でキャッチボールをするようにただプレイし、今を遊ぶのである。
い。
2023-07-23
運動公園のヒマラヤ杉の木陰でシェイクスピア作品【冬物語】を音読する日曜日
朝一番 、昨日に続いて菜園場の草取りにいってきた。最近は周に2、3回のペースで五十鈴川だよりを打つことで、自分で自分にエールをいれ、生活に一定のリズムを刻めている。毎週毎週やっていること、やれていることを自己確認するための必須アイテムが五十鈴川だよりなのである。
さて、打つのは初めてだが、今年からNHKのラジオ深夜便を意識的に聴くようにしている。特に朝4時からの明日への言葉という、各界の著名な方へのインタービューが素晴らしい。今となってはもっと早くからラジオ深夜便を聴けばよかったと、思わないでもないほどに、素晴らしい人間が、人がこんなにも存在していることに、驚かされること度々である。
新鮮にシェイクスピア作品に向かい合う夏 |
特に私が驚かされるのは、私より年長者で、あまりにも素敵に年齢を重ねておられるかた方が何と多くいらっしゃるということに対する驚きである。自分という器の狭さに気づかされる。ラジオ深夜便を聴くということがなかったら、知らずにやり過ごしていたかもしれないと想うと、遅蒔きながらラジオ深夜便の明日への言葉に、今年どれ程感銘を受けながら刺激を受け生活していることか。
亡き母がラジオ深夜便を聴いていたことを、今更ながら思い出す。母もきっと今の私と同じように、過ぎてきた人生に想いを馳せながら、老いの日々をしっかと生きようとしていたのに違いない。
心身を奮い立たせてくれるような生き方を、実践してこられた諸先輩の言葉は深いところに届く。今朝も絵手紙を書くことを、大学の授業で若いかたたちに教えておられる、79才になられる渋谷とも子先生のお話をベッドで聞いたのだが、感動した。
感動するとまだ、身体が充電されるかのように元気になる自分がいる。一日の始まりによき言葉に出会って目覚めると、単細胞の私などは終日元気に過ごせる。気に入った言葉は忘れないようにメモる。人間なので体調が優れないときもあるけれど、知恵の泉のように身体のすみに宿っていて、今の私の日々の生活に勇気をくれる。人は真に言葉で活かされるのである。
話は変わる。【ペリクリーズ】の一人ぶつぶつ音読を終え、昨日から【冬物語】のぶつぶつ音読を始めた。週に一作品位ずつ、ゆっくり音読すれば月に4作品は音読できる。シェイクスピア作品循環音読。一日に一時間集中音読。気に入った長い台詞は書写する癖をつける。松岡和子訳は初めて読むのだから、初心に帰って読む。暑い夏を乗りきるのには私の場合これしかない。運動公園のヒマラヤ杉の木陰で音読すれば。頭が涼しくなる
2023-07-22
【梅雨が明け・老いの細道・妻とゆく】
梅雨が明け、一気に蝉時雨勢いをまし、夏本番がやって来た。今朝少しでも涼しいうちにと、バイト先の菜園場の草取りに出掛け、約2時間ほど汗だくになって草と格闘してきた。手入れをしないと、わずかな菜園場のトマトやピーマン、オクラなどが草に埋もれてしまう。
草取りができない人は、トマト🍅一個でさえきちんとは育てられないのではないか。もうまもなく、このバイトを始めて丸5年になるが、この菜園場のお陰で、草取り修行の甲斐あって、無農薬なので、かなり虫にやられるのだが、老夫婦には十分足りるほどに愉しみながら恵みをいただいている
今朝収穫したミニトマト |
さて、戻ってみずを浴びさっぱりしての五十鈴川だよりタイム。この間から書斎の片付けと寝室の整理整頓、それと衣類の整理整頓を妻のお陰で無事に終えることができ、寝室空間、書斎空間以前にもまして居心地がよくなった。居心地のいい場所があれば、もうこの歳になれば私などは満足である。
中世夢が原退職後丸10年が経つ。この間の家族の変化は目まぐるしい。一口に10年、おおよその変化の流れが五十鈴川だよりに記されている。よたよた打ち続けたからこそ、いまがある(のだ)。臆面もなく充実した10年間であった、と打っておこう。
あっという間に古希を通過などと打てるくらいに、お陰さまで元気に夫婦ともども生活できていられれる今に喜びを感じ、それをのうのうと打てる厚顔無恥を、私は生きている。もう古希を過ぎているのだから、ありのままに老いの細道を悠々自在に生きるのである。
妻の意外な一面というか、特技に、生活してゆくなかでの日々の創意工夫がある。このところ体調がいいということもあいまって、私の苦手な整理整頓、見てはいられないと思ったのか、一気呵成にやってくださったことにたいして、私はある種の感動を禁じ得ない。
これ以上打つと、老いらくのなんとかと、誤解されるといけないので控えるが、人間は老いつつも思わぬ変化、意外性、成長を見せるという事実に、初めて経験する未知のゾーンのプラス面を知るのである。お互い様の相乗効果で、老いゆくパートナーとしての妻の変身ぶりに(もとからあった資質が顕在化してきたとしか思えない)感動するのである。
お陰で老いの細道時間、ゆっくり動きながら、よく休みながら、好きなことだけに熱中して過ごす夏である。
2023-07-16
いよいよ猛暑の夏到来、知恵を工夫して夏を乗りきる覚悟を想う朝。
居座る梅雨の前線が九州はじめ、列島各地に、今も秋田や東北エリアでは水害のニュースが伝えられる。経験したことのないことは、悲しいかな推し量りようもない。一寸先の事は、これだけテクノロジー、文明の総叡智でさえ予測がつかないのだから、手の打ちようがない。(我が身にも十分に起こりうる)
読むたびに発見がある |
ひるがえり、我が暮らしは、つましくもたんたんと老人生活が遅れていることに、感謝の日々である。年と共によほどのことがない限り、でかけなくなってきた、この3連休もほとんど家からは出ず、主に室内で静かに過ごしている。(音読は早朝の涼しい時間運動公園でやっている)昨日も先週の続きで、部屋の整理整頓、机を交換したりして、机、ベッドの位置も変えた。すべて妻の指導のもとに行ったのだが、ずいぶんさっぱりと片付き、居心地のいい空間になった。(学ぶことが愉しい)
机の位置が東向になった。因みにこの机は渋谷の東急百貨店で買ったもので、40年以上使っている。値段ではなく、愛着がある逸品である。電気スタンドも富良野で買ったもので、ちょうど丸40年使っている。別に物持ちがいいわけではなく、少々値がはっても気に入ったものを長く使うというのは、今もって変わらない。
着るものもずいぶんと長く使い込んでいる。というのは以前も書いたかと思うが、現在体重が60キロ、2年前手術して退院したときは53キロまで落ち込んだが一年以上かけてもとに戻した。夢が原時代より3キロくらい痩せたので、夢が原時代に着ていた、衣服のかなりは着れるし、ジーパンの類いは、まったくもって買う必要がなく、今もはいている。
貧しかった時代、兄や親友にいただいた衣服の数々は、今もって愛用している。小さい頃の生活で衣服の足りなさに十分に苦しんだトラウマ体験が、いい意味で染み込んでいてなかなかに衣類を捨てられない。妻が整理整頓してくれるというので、お任せすることにした。
健康に生活できて、やりたいことさえできれば、あとはもうこともなしである。有限なる聖なる時間、あるがままに気持ちよく生活できれば、もう私は足りている。今朝も運動公園で、久方ぶりに、シェイクスピア作品、ペリクリーズ一幕を音読したのだが、新しい一日を新しいからだで音読する、楽しい。意味もなく体が喜んでいるのが、分かる。
老いつつも、日々新しいからだ、細胞で音読する、贅沢な時間の過ごし方である。足りているということの感覚の深まりは、世代と共に薄い膜が積み重なって、ある日突然体に舞い降りてくる、(ように最近感じる)
言葉・言葉・言葉。からだ・体・身体にしがみつく、私の夏の過ごし方である。
2023-07-12
【間違いの喜劇】イジーオンの長台詞で、本格的にシェイクスピアの魅力的な登場人物を音読する夏。
労働バイトはお休みである。基本的には水曜日はお休みなのだが、この梅雨の時期は激しい雨のときはお休みしたりするし、上京したりするとまとめて休んだりするので、時間の調節を自分の判断でできるこの労働仕事が、ことのほか私は気に入っている。
話は変わるが、親友がシェイクスピア作品の音読を、果敢にあの年齢から始めた勇気、挑戦に心からの賛辞を送るために、私自身ももう一度まっさらな気持ちで、音読を再開している。
もう十分に小田島雄志訳は音読したので、これからは松岡和子訳、と河合祥一郎訳で、先の事は考えず一年、一年音読を続けたい。同じエリアには住んではいないが、相棒も音読しているかと思うと、同行二人ではないがやる気が出る。
もう十分に生きてきたし、元気に声が出せる時間は限られているのだから、好きな作品の好きな登場人物の長い台詞を、繰り返し音読してゆきたいと思う夏の朝である。で、一番初めに読んでいるのが、【間違いの喜劇】のイジーオンの長い長い台詞である。
シェイクスピアシアターで29歳のとき、最初にもらった大役がイジーオンであった。若造の私がよくもまあ、あの老人イジーオンの一代身の上話を語りきったものである、と今にして思う。
シェイクスピアシアター率いる、まさに鬼のような演出家出口典雄(昨年お亡くなりになった)さんの厳しいダメだし稽古の事は、いまだに忘れようもない。結果、あの稽古を耐えたことで、今振り返り思うと、私はその後の人生を生き延びることができ、簡単には諦めないという腹がすわったのではないかと思える。
だから今、実人生でイジーオンの年齢を迎え、新たな気持ちで、新しい翻訳で一番先に音読するには、間違いの喜劇のイジーオンの長台詞が一番ふさわしいのである。親友の挑戦が私を奮い立たせる。これは45年、人生の半分以上、家族もいなかった頃からの交遊の果てにもたらされた至福の果実、実りのようなものなのだと、謙虚に私は受け止めている。
そしてこの果実は、意外な力を私の生活にもたらしている。それは妻の力にもお世話になったのだが、これまでの生活でなかなかに手放せなかった資料や、個人的に大事にしていた、品々のかなりをこないだの日曜日、思いきって処分したのである。
過去の思い出を大切にしながら、過去の珠玉のような思い出にエネルギーを繰り返しいただきながら、これからの未知の時間を泳いでゆくために、限りなく身軽でありたいと思うのである。ふるさとでの行脚、そして親友の新たな挑戦が、過去の荷物の処分をさせたのだ。
ひまわりが・一輪咲いて・夏が来た |
だから今私はスッキリしている。身も心も軽やかな老人感覚に浸っている。このような感覚が老いの体に満ちるとは、思いもしなかった。人間という動物は動く生き物、今にして思うことは、18才で世の中に出て、動ける範囲は狭くなっては来ているものの、精神と想像力の動く範囲は、若い頃よりも深くなってきているという、認識が私にはある。
老いゆく日常生活のなかで、あのあまりにも魅力的なシェイクスピアが創造した劇的な登場人物を音読できる幸せを、相棒と共に噛み締めたい夏である。
2023-07-08
改めてこれから、松岡和子訳、河合祥一郎訳でW・シェイクスピアを音読することにきめました。
もうすでに今年も半年が瞬く間にすぎ、この半年間何をしていたのか、おおよその足跡がたどれるという点で、五十鈴川だよりを打ち続けていることの意味はあると、自己満足自己肯定感、にしがみついている。
なにがしかの日々の積み重ね、あちらこちら寄り道しながらも、足元にきちんと帰ってきて、自分という、考える葦、不確かな実在の調節機能を五十鈴川だよりを打つことで、よたよた、とぼとぼと、今をいきる私である。
年齢的には、もうほとんど社会的な役割は終えているのだから、初めて経験する未知のゾーンを、一日一日悔いなく歩んでいるというのが、正直なところである。あるがままに、自在に自分の気持ちのいいことで一日を過ごしてゆく。
知的好奇心が揺さぶられる |
そういう意味では、つましい暮らし、それはこれまでの人生今に至るも、ずっとそうだったから、耐性がしっかと根を下ろしている。耐乏生活を若い頃から何度もしのいできているし、そのような生活のなかで、いかに凌いで生き延びるのかと言う知恵があるからこそ、今をこんなにも充実していきられているのだと、手前かってに思っている。
体ひとつが全財産だという認識は、今もってまったく変わらないし、古希を過ぎてからはますますその思いは強まり、この動く体の手入れをしながら、先ずは働いている。働ける体は自由になるお金を幾ばくか産み出す。18才から庶民としてのりを越えたお金と言うものを、手にしたことがない。
だから、限られたなかでのやりくりを、今現在も続けている。限られた中でのお金は、私自身のこれまでの人生を、限りなく鍛えてきた。そういう意味ではいまも心身が鍛えられている。知らず知らずのうちに、あるものを最大限に有効に使い、できるだけお金には頼らない、もっと言えば、お金を使わず、自分が気持ちよくなってゆく方法を、探求する習性が身に付いてしまったように思う。
61才で退職と同時に、シェイクスピア作品の音読を、30年ぶりに始めたのだが、コロナで塾は閉じたが、個人的には継続している。音読にはまったくお金がかからない。私が好きなことは(旅以外は)ほとんどお金が不要である。
一冊の本を、労働生活しながら2周間かけてじっくりと読める贅沢な時間は、ようやくにしててにいれた宝石のような時間である。このような生活時間を共有できて遊べる音読仲間がいれば、もうほとんど足りる、という気がする。
ふるさとでの感謝行脚以後、これからの時間をいかに生きるのかの、方途が明確になってきたのである。働ける間は働く。土に親しむ。妻と歩く。散歩する。自転車に乗る。平行してシェイクスピア作品を改めて、初心に帰って音読する。古典を読む。時おり会う孫に読み聞かせをする、等である。
PS シェイクスピアは人間の狂気、戦争のおろかさ、不毛を、途方もないスケールで、時空を越えてドラマ化してる(とおもえる)口が動く間は、音読し続けたい。
2023-07-05
田代隆秀氏、シェイクスピアアシアター時代の先輩の芝居を40年ぶりに見ることができました。そして想う。
先の上京で、わたしは親友の発表会の後、共に早稲田にある、【早稲田小劇場どらま館】で作・演出・河合祥一郎【悪い仲間】をみた。その芝居にその昔シェイクスピアシアターで共に何度も芝居をしたことがある、田代隆秀さんが出演していたからである。
悪い仲間に、田代隆秀さんが出演することは、上京する数日前のM新聞の記事で、妻が見つけたのだが、その記事の写真のなかに、見覚えのある顔が、田代隆秀氏であった。親友の発表会の日の夜が初日だったので、俳優座について当日予約の電話をいれたたところ、空席があり席を田代さんがすぐに用意してくれたのである。
実は田代隆秀先輩は(私より二つ年上)20年前、旅公演で西大寺に来たことがあり、その際わざわざ私の家を探し、訪ねて来てくれたことがあるのだ。その事が急に鮮明に思い出され、なんとしてでも会っておこう、観にゆこうと思ったのである。
親友の発表会、田代さんの芝居、あまりのタイミングの良さに、これまたシェイクスピアのお導きだ、と思うことにしたのである。
20年ぶりの再会、そして40年ぶりに隆さん(と、当時呼んでいた)の舞台を観ることになろうとは。まさに人生は筋書きのないドラマである、というしかない。
やはりわたしは演劇が一番好きである |
結果、行って本当によかった、隆さんは私の予期せぬ観客としての訪問、をとても喜んでくれた。気鋭のシェイクスピア学者であり、翻訳者である、河合プロジェクトvol8【悪い仲間】、チラシにはこうかかれている、シェイクスピア最大の喜劇的人物、フォールスタッフとハル王子をモチーフに現代の戦争問題に迫る。とある。このような芝居に隆さんが現役バリバリで出ていることがなによりも嬉しかった。シェイクスピアの台詞を語るにふさわしい、河合先生のお眼鏡に叶う俳優だからである。(7人全員よかった)
一言、ウクライナでの戦争が始まって以来、私が岡山にすんでいてほとんど演劇を見にゆく生活をしていないので、東京の演劇状況はまったく知らないが、シェイクスピア作品の多くから台詞を引用し、要所要所河合先生の創作も入っている、まさに時機を得た芝居でわたしは浦島太郎なりに、演劇の魅力を堪能した。
上演時間1時間40分、登場人物7人(女性二人)で一人4役位をとっかえひっかえ兵士から王様、王子、フォールスタッフ、主婦。女性兵士等、瞬時にシーンが変わり役を演じ分ける。演劇ならではの斬新な演出の舞台をわたしは眼底に納めた。始まりとラストが秀逸。
早稲田小劇場どらま館は小さい芝居小屋、客席数は70席くらいだろうか。初日ほぼ満席だった。わずかな観客とこのようなもっとも不条理極まる戦争をテーマに絞り、シェイクスピア作品の言葉から現代を照射した舞台を創造した演劇人の心意気を、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。
そして想う。20代の終わり、明けても暮れてもシェイクスピア作品と格闘した3年間がなかったら、いまだにいろんな翻訳でシェイクスピアを音読するなんて事はできないし、やることも思い付かなかっただろう。止まれ、隆さんとの再会、親友とのレッスンは、シェイクスピアを再び音読したくなるには、十分な刺激となった。舞台がはね、隆さんと40年ぶりにわずかな時間ではあったが、早稲田の狭い満員の焼き鳥さんのカウンターでビールを飲んだ。
40年ぶりではあったものの、一気にあの当時にタイムスリップ、会話がこぼれ、旧交を暖めることができた。40年ぶりに見た舞台の隆さんは、舞台人人生を見事に積み重ねて、ひときわ輝く、老いの花を放っていた。カッコよかった。
ほろ酔い気分で次女のところへ帰る中央線のなか、意外や隆さんからショートメールが入った。楽しかったでごわす、と。(歳月は流れたが隆さんらしさは変わっていなかった)次回は事前に上京を知らせろと。私も必ず知らせると返信を打った。
PS 田代隆秀氏は、知らなかったが、昨年読売演劇大賞優男優賞を受賞している。心よりおめでとうございます。
2023-07-04
親友68才の、ロミオとジュリエットのバルコニーのシーン、音読初挑戦を見届けました。そして想う。
前回の上京で、シェイクスピアのロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを、毎週土曜日、全8回音読し最終日に発表するという話を親友から聞いた。その事に関してはすでに五十鈴川だよりに書いているので割愛する。
親友と発表会を終え俳優座の稽古場で |
親友から、もし時間があったら発表会を婉曲的に見に来てほしいというメールをいただいたのは、私が宮崎に帰省する前だったとおもう。もちろん私は見届けるつもりで一泊二日のスケジュールでもゆく予定であった。だが親友から可能なら事前に、一日でもいいから稽古をつけてほしいとのメールをもらったのは、ふるさとから帰ってまもなくの事だった。
そこで急遽、朝一番の電車で岡山にでて新幹線で上京、親友と新橋の駅で落ち合い、降りしきる雨のなか日比谷公園まで10分位歩き(親友が傘を買ってくれた)三神勲訳のバルコニーのシーンを2時間以上13時まで二人稽古をした。始まりはかなりの雨だったのだが、終える頃には雨は上がっていた。(ランチを食べるOL数人がベンチから我々の音読を時おり眺めていた)
なにしろ知り合って45年にもなるという、綱渡りのような奇跡的な交遊、関係性の果てにたどり着いた、シェイクスピアを音読するという親友の大胆な初挑戦、かけ換えのない親友のこんなにも切羽詰まった、(恥も外聞もないとはまさにこの事)顔を私は初めてみた。
よもやまさか、いきなり親友と日比谷公園の野外のとある古い建物の軒先で、行き交う人々の前で大胆不敵にも二人して声を出した。正直、えっと思わないではなかったが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で二人して声を出し続けた。これが大都会のよさである。魔の都東京にすむあまたの人間は他者が何をしていようと無関心でいてくれるのが、このときは実に嬉しかった。
他の芝居の稽古をしている舞台で発表会はおこなわれた |
野外路上レッスンができることがよくわかり、老いつつも限りない自由を満喫した。まるでドンキホーテとサンチョパンサ、二人して行き交う衆人環視のなかでレッスンを終えた。心から楽しかった。
美味しいランチを(親友がすべてゴチしてくれた)東京新聞本社のレストランでいただき、午後のレッスンは雨が上がっていたので場所を移動し、午後3時まで稽古した。
翌、本番当日再びかなりの雨のなか、同じ場所で一時間本番前レッスンをやり、六本木の俳優座に移動、昼食を慌ただしく終え午後二時発表会開始、一部7組、2部7組、参加者28名、計14組のロミオとジュリエットのバルコニーシーンを私は見届けた。午後5時にすべて終わった。
親友は5番目に登場、私は緊張したが、無事にやり遂げた。うまい下手ではなく親友の必死なロミオの姿を見届け、親友の挑戦に心から感動した。記録としてなんとしても五十鈴川だよりに刻んでおきたい。
親友が私を信頼してくれていることのありがたさを、こんなにもじかに感じたのは初めてである。お互い声を出し合いながら、45年にわたる関係性を祝福し合い、まるで子供に帰ったかのようにレッスンができた。年が年だからひときわ感動する。よくもまあ実現したものである。真の意味で親友はアクターになった、と打っておきたい。
シェイクスピアのまさにお導きというほかはない。親友は初めて私のレッスンを受けたのだが、なんと私とのレッスンをこれからも続けたいと言ってくれたのである。嬉しかった。親友とはなんとありがたい存在であることか。そして、またもやシェイクスピアの偉大さが改めて染みてきた。同じ台詞、同じ言葉なのに演者によってこうにも、ロミオとジュリエットが変化するとは。
よき関係性の持続は、自分が変化する勇気を持続する好奇心が、特にシェイクスピア作品の音読には不可欠である。うまい下手は二の次である。要はシェイクスピアの宝石のような人物の言葉を自分の肉体で声に出す喜びを、見つけられるか、見つけられないかである。
わが友はシェイクスピア作品の音読の魅力に遅蒔きといえども目覚めたのである。こんなに嬉しいことが起こるとは。だから人生は面白いのだ。諦めてはならない。人間のからだの、意識の摩訶不思議さ、ヒトという生き物の千変万化をシェイクスピアはあまねく言葉で表現している。
出会って45年、シェイクスピアのお導きで、我々は再び真の意味で友達となったのである。