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2022-09-21

妻が7拍8日の上京旅から戻ってくる朝に想う。

 台風が去り、一気に涼しくなり今朝などはいちまい多く羽織って膝掛けなどして、五十鈴川だよりを打っている。膝には妻がいなくて寂しいのだろう。花が珍しく乗っかっている。だから膝が暖かくて気持ちがいい。言葉を持たない、わがままな花と、すぐに尻尾をふるメルを妻は本当に家族のように大事にしている、その事の重みを、私も徐々に感じ始めている。

さてその妻が、今日午後帰ってくる。なんとか妻が不在中、花とメルの面倒を見ることができたので、それ だけである程度のお役には立てたとはおもう。食事もなんとか全部調理したし、掃除洗濯も。老いては妻からのいい意味での、自律脱却が肝要と努力した。その事をなんといっても楽しく面白くやらなくては、つまらないとおもう。

そのために自分の時間が少なくなろうとも全く構わない。そこをなんとかやりくりする、そのことがまさに醍醐味、老いの未知の分野にささやかにわけ入る、くらいの遊び心が必要ではないかと、シフトチェンジするのである。何事もゆっくりゆっくりとであれ、前向きに進むのである。

話はいきなり変わるが変わるが、手術をして退院してから、肉体労働はリハビリもかねてすぐに再開したが、右腕の下を切ったがために、それまで折に触れてわずかな回数ではあったものの、還暦以降懸垂を運動公園で継続していたのだが、その懸垂をやめていた。

だが、夏のまだ暑い8月半ばから、思いきって鉄棒にぶら下がることから始め、徐々に続けていたのだが、なんとか2回続けて懸垂が再びできるようになってきた、のだ。古希の再出発というとオーバーだが、できなくてもいい、勇気をもってやる。これまでもそうやって来たではないかと、自分に言い聞かせた。(母校冨島高校が私の体にカツをいれたことは間違いない)

このまま老いて、懸垂をやめたら悔いが残ると思ったのである。最初の一回ができたときの喜びは、手術後の古希のいまだからこそなのだ。大空のもとで、大地を踏みしめ体を移動し働き、秋の夕暮れ運動公園で手を天に向かって向かって伸ばし、大地の引力に逆らって我が体を引き上げる。

妻を待ちわびる今朝の花


たったそれだけの、シンプルと言えばあまりにシンプルな単純な所作。そのことがまるで幼児が初めて逆上がりができたかのように嬉しいのだから、単細胞お爺さんと笑われてもいいのだ。【黄昏て・古希の懸垂・今一度】ってな感じで一日の終わりを迎えるのである。

これからの70代は限られた範囲での自由自在をできる限り満喫する。これまで交遊関係始め、執着していたことなどの一切合切をリセットしたいのである。限りなく自分に素直に、生きなおしたいのである。そういう意味でいったん執着心を卒業し、家族に迷惑をかけない範囲でわがままに、ただ存在したいのである。

臆面もなく打とう、もう古希だから。妻が帰ってくるのが嬉しい。妻とのこれからの人生時間をいかに生きられるのか、私は考え続ける。

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