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2022-01-30

妻と薪づくりウォーキングに出掛ける前の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりの朝、という時間が、打てる余裕が、生活にあるというひと時が、老いゆくコンディションを整えるということが、ゆるやかに、好きになってきつつある。(他愛もない拙文なり)

もう間もなく丸10年近く 、1448回も打っているなんて自分でも驚きだが、自己慰安自己満足を自覚している私としては、いつの日にかの最終回を、悔いなく迎えるためにも、前回も書いたが柳に風、どんな日も陽はまた昇る、この世の片隅での超個人的なつれづれ戯れを、まるで子供に還ったかのように打てれば、もうそれでよしとする、ってな按配でゆきたいのだ。

わが故郷の五十鈴川のように、小さき細き流れを、与えられた命を全うにまっとうすべく、日々蛇行しながら為すがまま、為さぬがままに流れてゆきたい、のである。

ってなことを打っているうちに、一月も残すところ今日も含めあと二日である。世の中はオミクロン株の急拡大で大変な様相だが私個人は、恐れはするが、どこか覚悟を決めている生活をするしかない中、極めて穏やかな生活を持続できている。

精神安定剤としての私の薪

きっと極めて困難な状況下に置かれている方たちのことをおもえば、超極楽的に生きられている現在を、青い冬空の元肉体労働に勤しみながら深呼吸、今を感謝し生きている。

さて話を変える。先週末から薪づくりに勤しんでいる。とあるところに伐採したまま放置されている、ストーブに適した木材を大量にいただけることになり、切り倒して積み置かれた土場から引っ張り出して車に積み、家に運んでそれを下ろし、家庭用のチェーンソウで切り、それを積むという一連の作業を、やっているのである。

書くのは簡単だが、薪づくりにはそれなりの体力が必要なので、かなりの根性がいるのであるが、わずか正味二日間くらいの間にずいぶんの薪ができた。とくに昨日はひとりでほぼ一日薪づくりに精を出したので、かなりの薪を積む子ことができたし、今年の冬は暖房用の薪の調達は必要なくなったのだが、せっかくいただけることになったのだから、来年用の薪も作ることに決めたのである。

実は、昨年手術をしたことで、薪の調達にエネルギーがさけず、今年は冬用の薪が足りないと案じていたのだが、思わぬ大量の薪の調達がかなうことになり、ちょっとほっとしている、のだ。

何かと大変な世相ではあるが、家に薪ストーブがあるということが、私にもたらす有難さは何はなくとも大きいというほかはない。日中どんなに寒くても、家に帰ればあの暖かさがあると想うと、頑張れるのである。

ことさらな話はしなくても、薪ストーブがあれば冬の夜長、妻も 私もメルも花も暖房がとれる。くれぐれも火の用心点検をしながら、家の中に燃える生きている火がもたらす、人間に与える精神の安定は、何ゆえなのであろうか。(焼き芋もできる、煮込み料理には最適)

いきなりのゾロアスター教とか、護摩を焚くとか、闇夜を灯す篝火とか、太古から火は灯りついづけて、人間の奥深いところに語り掛けてきたのに違いないし、私もたぶん難しいことはわからないが、特に冬は薪の炎の揺らめきに癒され、家を建てて以来、この20年間の冬時間を過ごしてきたのだと思える。

だから老いてゆきつつ、冬の時間を有意義に過ごすためにも、薪の調達はオーバーだが、必死で取り組むのである。今日は妻との約束のウォーキングの日なのだが、薪の調達もかねてその周辺を歩くことに決めた。

妻は私と同じくらい薪ストーブをこよなく愛しているので晩年の夫婦時間、ウォーキングと薪づくり、野菜作りの3点セットで共に過ごす時間があれば、もうほかにことさらな会話は不要である。

というわけで、午前中は薪づくりとウォーキング、今年になり私は6回目、(妻とは2回目)である。

2022-01-28

1月28日金曜日、真冬の早朝の五十鈴川だより。

 早朝の冬は身が引き締まる。今朝はまだそんなに厳しい朝ではないが、大寒から私が生まれた日くらいまでがもっとも寒い冬なのだと思う。この冬の朝を乗り切れば梅がほころび、日もかすかに長くなりはじめ、寒暖差を繰り返しながら、春がやってくるというわけだ。

私だって人間だから、冬の寒さがこたえることは多々あるのだが、いつも想うことは暖房器具などのなかった昔人たちの、とくに大多数の一般庶民たちの暮らしである。靴下なども潤沢にあるはずがなく、穴の開いた靴下を私などもはいて小学校に通っていたものである。今は昔という言葉があるが、なれというものは恐ろしい。

生活ベースを基底において思考してゆく、物のありがたみがわかる。低いところから世の中を眺めてゆく癖を感知する、そのことが、私には面白いのである。お金もかからない。

話は変わるが、今年から週一回くらいのペースでウォーキングをはじめてすでに5回歩いている。今週末妻と二人で、6回目のウォーキングをする予定である。無理なくいかに面白く自分なりのコースを見つけられるのか、という新たな愉しみが湧いてきつつある。

それにしても、肉体労働といい、ウォーキングといい健康にひざや足腰が動いてくれなかったら、まったくかなわないのだから、在り難いことこの上ない。ほんとうに手術後私は体のコンディションに留意するようになってきた、(感がある)。

再三打っているかもしれないが、見たい番組などがあってもほんとうに目に蓋をするかのように午後9時半までには、床に就くように心がけている。そしてできるだけ規則正しく起きるように心かけている。

冷えたコーヒーを温める

命を、生き方を見直す。間もなく、術後1年近くになるがすこぶる体調がいいからこそ、ウォーキングも思いついたし、音読塾をはじめ、企画などもやりたくなってきたのは、まず間違いない。五十鈴川だよりも、以前にもまして肩の力が抜け、柳に風のような按配でその日の風まかせ気分で、打っている。

いつまで打てるかにはまったく関心がない。 いま、今日、1日をできるだけ悔いのないように過ごす、そのことにしか関心がないというか、コロナ下のこの2年以上の生活、古希を目前の日々の生活の中で、老いつつもずいぶんと鍛えられているのだとの実感がある。

やがてコロナが終息することを願いながら、この今の閉塞環境をいかに倦まずに生きられるか、生きられないか、と自分との問答を繰り返す日々である。倦まないように今日という1日を、できるだけよき日にするためにも、無明の闇の中を生きた先人たちに想いをはせ、今日を生きるばねにあやかる私である。

寒さになど、負けてはいられないのである。寒さの中でやれる面白いことを、陽が沈むまでは働くことも含め見つける。それこそが老いゆく今の私の一番の愉しみである。【靴下の・ありがたさかな・冬の朝】


2022-01-26

老いてゆきつつも世界の出来事には関心のアンテナを立てておきたい、と想う朝。

 平和ボケをしているといわれてもしようがないほどに、もう初老凡夫の私には昔ほどの怒りや嘆き、またやるせないおもいなどが、強く湧いてこないことがだんだんと増えてきているように思える。

これが老いてゆくということなら、甘んじて受け入れてゆくほかはないが、いかんともしがたい大きな流れの渦を、どこか老いの狡さのような感覚でもってやり過ごしながら、一抹の強い関心だけは、失わないようにしないとまずいし、もう本当に深い老いを自覚したら、五十鈴川だよりも打たないだろうし、土取さんにも会いに行ったり、音読自在塾を始めることもしないだろう。

世界のどこかで今何が起こっているのかについて、関心力、好奇心力を失ったらまずいと 言う感覚は、2001年にニューヨークで起きた同時多発テロ事件から、私の中でいちだんと増してきたことは間違いない。だがあれから早くも21年の歳月が流れている。感性の劣化は否めない。だがどこか途方にくれつつ、あきらめつつもあきらめないのである。

世界の動き、肝心な出来事に耳を澄ます感覚は失いたくはない、だが、時は非常に流れる。しかしやはり世界の動きあまりの不条理感極まるような出来事に関して、無関心なままであることは、やがて大きなつけとなって自分の生活にも波及してくることは、歴史が証明している(ように凡人の私にも思える)。

吉井川河口の四手網

だからどこか安穏に生活できているときにこそ、世界の出来事の深層を〔真相)を読み解いてくれるような、信頼するに足る論客、人間力の存在が私には必要である。

例えば40代の終わり、もし中村哲先生の御本を読むことがなかったら、イスラム世界のアフガニスタンというという国の複雑な国の歴史には全く理解が及ばず、ひょっとしたら人生を終えていたかもしれないのである。(謙虚に素直に知るということの、困難さと同時に大切さを今更ながら思い知る)

いらい知ることの、信頼するに足る方の発言や情報を、私はない頭で、注意深く世界の出来事を知るように努めているのだが、五十鈴川だよりでは、ほとんど時事問題や、一知半解的に、よくはわからない出来事に関しては触れていない。

しかし時折、ウクライナでいまなにが動き、起ころうとしているのか、ウイグル、香港、ミャンマー、カザフスタン、アフガニスタン等々、記しきれない。

老いの想像力を全開にして初老凡夫のささやかなアンテナを立てておかないとまずい、かろうじて常々頭の片隅で思い続けていること、五十鈴川だよりにきちんと記しておきたい。

 

2022-01-23

ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾は、ささやかに【企画も妄想老人として具現化して再出発】したく思います。

昨日午前中ヒトに会い、今日も午後、ヒトに我が家で会うことになっている。今日会う方とは、岡山に越してきて、この30年の間に電車の中とか、とある場所などでお目にかかることがあり、めったには会うことがないので顔はほとんど忘れているのだが、向こうは私の顔をよく認識していて話しかけられるのである。

特段に深い交流が続いている関係の方でまったくなく、どちらかといえば今までほとんど交流がないといった方なのだが、今回どういうわけか、私の方からお電話をして我が家に招いた方なのである。

なぜそういうことになったのかは自分でもよくはわからないのだが、古希を迎えるにあたりこのコロナ渦中ではあるが、そのことを踏まえ、コロナがいつの日にか収まった時に、何か私にやれそうな企画を、どういう風の吹き回しか、10年ぶりにやりたくなってきたのである。

還暦を迎え、企画をすることはもう十分にやったので、煩雑なことをインターネット時代にてきぱきと処理することも含め億劫になり、限られた人生の持ち時間を考えた時に、やりたかった音読に情熱を傾けたくなり、遊声塾を立ち上げて、音読にどっぷりとつかる60代を過ごしていたさなか、そこにコロナが顕れたのである。コロナは長引き、私は遊声塾をあきらめ新たに一人で音読自在塾を始めることにしたのである。

孫たち世代に何か伝えられる企画を為したい

全世界に猛威をいまだに振るっているコロナ、オミクロン株の国内での急激な6波の拡大の最中、閉塞感が極まる中、私はもうすぐ古希を迎える、そして私は考え、思いを全身に行き渡らせる。このまま老いてゆくのかゆかないのかと。なぜ音読自在塾をやりたいのかと。

結果、私は今またどういうわけか、再び音読だけではなく、実現できるかどうかはさておき、私がかって中世夢が原で企画をしていたことなどを知らない人たちが(孫たち含め新しい人たち)随分いるし、まあそういったことはどうでもいいのだが、早い話、音読しながら企画者としての私も、老骨に鞭打つのではなく、老骨を愉しみ、その気骨を示すような企画が打てるのではないかという気が、何とはなしにまるでお告げのようにわが体に湧いてきたのである。

昔の私は若く元気であったので、おもい付いたら即行動に移せたのだが古希の躰ではそうもいかない。だが、やりたいという湧き上がる情熱は依然と全く変わらない。その情熱の根拠が自分の中であきらかであれば、思案しながら緩やかに歩を進められる。走るような企画ではなく緩やかにしか歩けないような、地にしっかりと軸足を置いて、老い人の揺らぐ企画を打ちたいのである。生きているうちに。

だから新しい縁のあるこれはと思える人物に声をかけ、何か 老若男女が楽しめる私らしい企画が、古希ならではの企画ができるのではないかとの変な自信、妄想老人的な想いが忽然と湧いてきたのである。

そのことを、こうして五十鈴川だよりに打ちながら、コロナ下、冷静に 自粛蟄居生活をしながら実現に向けてプランを練り続けたいのである。そのためには、これまでとは違う新しいヒトと出合い、私の思いを直接伝えることから始めることにしたのである。

2022-01-22

1月19日午後、高松まで土取利行さんに会いにゆきました。冬の寒さの朝に想う。

 うれしい土曜日の朝が来た。故郷の日向灘を震源地とする震度5強の地震を真夜中知り、すぐ兄に連絡を入れた。幸い大事には至っていないとのことで、また床に就いたが目が覚めたので起きた。

今週は水曜日の午後に、とんぼ返りで高松にゆき土取利行さんに会ったりして、何かとあわただしかったので、すこし体は疲れているが、精神は元気である。なぜ土取さんに会いに行ったのかを打つには、こまごまとまた打たなければならないので、詳細を打つのは控える。が、少し打っておこう。

土取さんのふるさと、さぬきのサヌカイトの演奏会のプランが、コロナのために宙に浮いたまま2年以上が経つなか、そして今またオミクロンの猛威が収まる気配が見えない中、土取さんと手島圭三郎さん(原画の展示と、映像と朗読と演奏)とのコラボ企画なども、新たに 計画される運びとなり、私もほかならぬ土取さんの取り組みなのでお声がかかり、末席でお話を伺いに行ってきたのである。

一度生で聞いてみたい縄文鼓

このところともにお仕事をしている松田美緒さんも来られていた。私はいつものように土取さんの今現在のおもいのお声を、変幻自在多岐にわたるおなしを終始聞いているだけであったが、それでも昔よりはいくばくか話の内容についていけるようになっている自分がいた。

汲めども尽きせぬ泉のように、音の神秘について、これまで人生を賭しての探究で体得したおもい、蓄積知見を、生徒に授業で語るかのように披歴してくださった。バウルのお話、ミルフォード・グレイブスのお話などは、めったにきくことがかなわぬ内容で、そのお話と元気に語り続ける氏の姿を確認できただけでも、出かけて行ってよかったことを、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

毎回思うことだが、土取さんは私にとっては25歳で出会った時から未知の国の音楽についての、水先案内人である。あれから35年、そのことは今もって全く変わっていない。私にととっては、まったく未知の異能人というほかはない存在なのだが、何故か不思議というほかはないが、縁が切れずに関係性が続いている。そのことがはなぜなのかは 実は私にもよくはわからない。

だがはっきりといえることは、土取さんとの出会いがなければ、現在の私はなく、中世夢が原で の企画を実現することは、まったくかなわなかったであろう。身の程もわきまえず未知の世界の扉をこじ開ける勇気も育みえなかったことだけはまず間違いない。

土取さんの世界を理解しえていたから企画がかなったのではなく、理解が不可能なほどに遠かったからこそ、企画したかったのかもしれないと想うのだ。そしてそのことは、今もって全く変わらないのだということを、私は感じている。未知な世界を無知な頭で感じのぞいてみたいのだ、少々やけどしても。

理解できないから惹かれるのである。ある程度の距離感をもって遠巻きに、しかし熱い云うに言えない共感性のようなものが私の中に生まれてくるのが、自分でもよくはわからない。

だが、凡庸な私には見えない世界の彼方を氏は見据えていることだけは私にもはっきりとわかるのである。その見据え方が、時に恐ろしいくらいの射程で人類の行く末を見据えている、稀な音楽家なのではないかとのおもいが私にはするのである。

蛇足でもっと打てば、人類の一部の欲まみれの人間がこの数百年に冒した地球自然破壊(私もその中の一人である)に音の神秘でもって警鐘を鳴らし続けている勇気ある稀人、形容する言葉が私にはないが 、あえて打つなら縦横無尽に逸脱する芸術音楽家なのだと、私は思っている。


2022-01-17

古希目前、思わぬ夫婦とメルの3人で初ウォーキング、そして想う。

 昨日の朝の飛行機で次女と孫が帰京し、母も家に戻り3週間ぶりに妻と二人だけの普段の暮らしが戻ってきた。

まさに何やら火が消えたかのような我が家になってしまったのだが、一抹どこかほっとしたところもあって、まあこれでまたしばらくは 老夫婦での日常生活に戻れるとの安ど感が(老夫婦の役割を果たせた)湧いている。

と、ここで話を変えるが、昨日昼食後早くも今年4回目のウォーキングに妻を誘ったのだが、二つ返事でゆくという。メルもつれて。そこで妻は初めてなので、初日に歩いたコースを歩くことにし、車で吉井川に移、そこに車を置いて土手沿いに河口を往復8キロ近くを二人して歩いた。

午後1時20分から2時半まで、 お天気ではない曇り空の下メルと3人でいろんな話をしながら歩いた。二人でこんなにも長い距離を歩いたのは暮らし始めて、もちろん初めてである。

意外といっては大変失礼だが、最初なので半分の4キロくらいで十分だと思っていたのだが、メルの力と、河口の風景の素晴らしさが、彼女の歩きに力を与えたのだろう。こちらが驚くほどに足取りも軽く歩いていたので正直驚いたほどである。

長い距離の初散歩、妻とメル

そこで私は提案した。これから私と妻のお休みが合う日はウォーキングを共にしようと。私の提案を妻はあっさりと受け入れてくれた。歩き始めるところまでは車で移動し、そこから景色のいいところを、ゆっくりと最低一時間以上散歩することに二人して決めたのである。

古希からメルを介して、二人しての共通歩き散歩が始まることに、何やらそこはかとなく、嬉しさ感が増す私である。

孫たちの成長してゆく姿を一日でも長く心穏やかに見守るためにも、まずは一番心かけなければならないことは、我々の心身の健やかな元気さをたもつことであるからだ。

そのことの気づきの深まりを十分に感じたお正月であったことが、おそらくはウォーキング思いつかせ、実行していることの証である。まだたった4回くらいしか歩いていないのだが、とにかく始まった。夫婦でのちょっと長めの散歩時間が何やらとても楽しみである。

いずれは足元の西大寺だけではなく、遠足気分で遠方の地での思い出作りウォーキングもやりたいと私が言うと、つまもこれまたあっさりと同意してくれ、何事も口に出してみることの大事をあらためて思った。

山登りなどは私がやり、ついでに麓周辺を二人で歩き、最後温泉に入るなどという愉しみも見つけられるし、何よりも二人して人生を下ってゆく時間の一部を共有できることがうれしい、私である。これ以上打ちたいことが次々とあるのだが、野暮のそしりというものである。次回、そろっての休みは1月30日である。

2022-01-15

【木枯らしや・父の言葉が・古希浮かぶ】今朝の朝に想う。

 肉体労働のない休日は早く起きないことに今年から決めた。7時近くまで布団から出なかったのは、多分思い出せないほどに昔である。だが間もなく古希を迎える今年から、生活を緩やかにシフトチェンジしながら、けっして無理はしないように、そして体のケアーをしながら過ごそうと決めたのである。

ところで、昨日、そして一昨日と風が冷たく外ではかなり厳しい寒さの中での労働になり、私の中で瞬時ためらう気持ちがわいたのだが、考えを変えてとにかく現在の体がどれほどこの寒さと風に耐えられるかを試すにはちょうどいい機会だと思い仕事に向かった。

こまごま打つのは控えるが、結果は一昨日はフルタイム、昨日は家族との約束があったので半日、無事に働くことができた。とくに一昨日は体感温度を厳しくする風の中を終日動いたし、今年初めて手の先がかじかんで、結構難儀したのだが働けた。

職人的にというとオーバーだが、自己責任、まかされているので切りのいいところまでやっては、熱いお茶で体を温め、休んでは動き休んでは動きをひたすら繰り返していると、庭木の剪定や、フェンスに絡みついたつる草の枯れたのがとりのぞかれ、働いた分だけの仕事が片付いている。

この達成感が私に合っているのだろう。結果的には やったぶんだけの仕事を十分にこなすことができた。このことはこの先これ以上の寒波がやってきても、十分に対処できる自信のようなものを私に与えてくれた。

この十年来の夏の暑さもそうだが、年相応にこたえる日が多くなってきつつあるのは事実なのだが、それをうまく乗り越えるすべのようなものを模索している。

お正月早々素晴らしい本にめぐりあえた
とくにこの数日の寒さは、青春の終わり、31歳から34歳まで過ごした富良野での体験を思い出す。足掛け3回厳冬期の富良野での体験が、今の私の労働をどれだけ支えてくれているのかがよくわかるのである。

あの四季を通しての、だだっ広い大地の上での過酷な労働体験を通過してからというもの、私は以後の肉体労働というものがいまだにつらいと思ったことがまずない。まさに人生観を変えてたのだなあ、と今にして想う。

もうちょっとやれば終わるというおまじないのような言葉を何度もつぶやきながら富良野ではじめて本格的な肉体労働を四季の中で体験できたことの、あり難さをいまだ感謝せずにはおれない私である。

【木枯らしや・父の言葉が・古希浮かぶ】。人生の持ち時間が少なくなるにつれて亡き父が若いころの苦労は買ってでもしろと、繰り返し言っていたものだが、その言葉の重みがいまにしみてくる私である。若いころの艱難辛苦が今の私を支えている。

まったく人生は長距離レースであることをいよいよもって知らされる古希間近である。いつまで続くか先が見通せないコロナ下、根気比べのように天の下での一人労働を自問自答しながら愉しみつつ春を待つ準備をしたい私である。

2022-01-13

33年ぶり、次女の息子葉君をお風呂に入れ、そして想う。

 老いバイトがある日はいつにもまして早く目覚めるが7時間は十分に休んでいる。よく眠れる体があり、この静かな朝時間があるからこそ、五十鈴川だよりが打てる。そして間もなく古希の体にもスイッチが入り動き始める。

そして大切な食欲、昨年の手術後しばらく食欲が落ちていたが、秋ごろからやはり労働力のおかげで以前の様な食欲が戻ってきている。青空天然自然の力を得て元気に生活できる、ありがたき体に感謝する。

ところで、この二日間、次女の孫の葉君をお風呂に入れた。間もなく5カ月の孫を。かくも小さき命を、お風呂に入れたのは33年ぶりである。服を着たままの娘と、裸の私で葉君の体を洗ったのだが、ゆうに言えない感情がわが体に満ちた。気持ちよさそうに湯船につかる孫の輝く命に、圧倒されたのと同時に、いやでも自分の老いを自覚したのである。だがそれは物悲しい自覚ではなく、老いゆく我が身をより深く考えさせる良き自覚なのである。

今年90歳を迎える母とのお正月写真

長女、次女ともに彼女たちが小さいころに何度もお風呂に入れた記憶が、しばしよみがえった。

その次女がかいがいしく、葉君にひっきりなしに語り掛けながらお世話をやいている姿に、平凡な母親の献身を垣間見て打たれたのである。

命は生まれ変わり世代は変わり時代も変わる。またとない入浴体験をさせてもらった。

小さき命をあやす次女の声が、お正月からずっと我が家に響いている。間もなく次女と葉君は東京に帰るので、老夫婦二人の静かな生活に戻る。ちょっと寂しくなるが、家族の変容、成長をいまだしばらく見守るべく、一年でも家族のお役に立てるような老人になるための訓練の元年に、古希からの時間を生きなおしたいと思考する私がいる。だからなのだろう、歩き始めたのは。

何が書きたいのかは判然としないのだが、判然としないま打たずにはいられない五十鈴川だより。打っていると今日も元気に新しい日を新鮮に生きねばとの思いが湧いてくるのが不思議である。

2022-01-12

今年初めての定期検診に想う。

昨年人生で初手術の後、退院して3ヶ月に一度手術してくださったM先生のところに、定期検診にゆき毎回血液検査をしていただいている。午前中今年初めての検査に行ってきた。肝機能、腎機能すべて正常値、若干ヘモグロビンAICが高い6・4なので、これいじょうは上がらないように気を付けて生活しながら、定期健診を続けましょうと、おっしゃってくださった。本当に良き先生に巡り合えた幸運に感謝せざるを得ない。

お酒を断ったことと、好きな甘いものを極端に減らしたことで、この年齢でもかなりの体の変化が起こることに、老いながらもそこはかなく希望が灯るかのような検査結果に、どこかしら安堵と、持続する志の大切さをあらためて数値を見て感じる。何かを断つことで灯る何かもあるということの証左である。

私は弱い器である自分をどこかで自覚しつつも、目的をもって克服することを心かけてやれば良き結果が伴うということを、この半世紀実行しては反省しつつ生きてきた。反省する力をどこかに蓄えながら、老いゆく自分の体、命と付き合う覚悟を定期健診の度に確認しながら今年もいよいよ本格的に始まったとの感を深めている。

ところで早くも、今年始めたウォーキング3回目を病院に行く前約1時間半吉井川河口を歩いた。何はともあれ決めた休日ウォーキング、持続継続根気を楽しむ。今日は平日だが仕事をお休みした日は、わずかではあれ歩くことにしたのである。

今朝の吉井川河口からの日の出
意外な気付きの深まりをどこかしら愛でるような感覚でもって歩くと、思いもかけぬ景色や人に出会う。動くことによっての視界の変化が愉しいのである。一方的に切り取られた映像の画面を見せられるのではなく、自分で視界を切り開くように歩くのが自由自在で愉しいのである。

大地を踏みしめ歩くことで、何やら昔人に帰依してゆくかのような、現代のせわしなさから、しばしタイムスリップしてゆくかのような心持に陥ってゆく贅沢な時の流れ感をしばし味わえるのである。

意外な人との出会いや、風景との出会い等々、これから折々五十鈴川だよりで折々打てるのでは、と愉しみは増す。遠方への見知らぬ旅はたまさかで良いのだが、普段は日常生活の中にこそ、生きる喜びを見つけ奏でたいと、凡夫は想うのである。

2022-01-09

2022年、初行脚2時間無事に終える。

先程年頭に考えた歩くこことを実現してきて、帰ってきたばかりで、お休みがてらコーヒーを飲みつつ打っている。どれくらいの距離を歩いたのかはわからないが、正味2時間は歩いた。

6時半過ぎ、まだうす暗い夜明け前に家を出た。どこを歩くのかは決めてなかったのだが、足は自然と車の少ない吉井川の土手へと向かった。歩くのは初めてのコースである。土手沿いをひたすら河口に向かって歩いてゆく。途中から車が入れない土手沿いに入る。吉井川河口にはたくさんの鴨が群れをなして浮かんでいる。広いかこうの穏やかさがなんとも言えない。

私と同年代か、もしくはもっとご年配の方がすでに歩いている。犬を連れている方もいる。休日ではあるが、私よりも若そうな方は見受けなかった。

車のいない土手沿いを歩くのはとてもいい。川沿いを歩くというのは実にいいものだ、とあらためて発見した。西大寺に移住して30年になるが、吉井川の河口を土手側から眺めながら初めて歩く。そのあまりの、夜明け前の薄明りの風景から、刻一刻日が昇ってきて川面を照らしながら、徐々に明るくなってゆく様は、唖然とするほどに見とれてしまう見事さで、おもわず一句が口から出た。

獅子舞に見入る葉君

【朝焼けに・背中押されて・初歩き】古希から歩き始めることを思い立った私だが、おもい付かなかったら、河口からのあまりの素晴らしさを目の当たりにすることはなかったかもしれない。

思いついたら吉日というが、まさに然りである。それぞれの年代で思い付くことがあり、その思いつきに身をまかせ(身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ)浮世を泳いで今を迎えていることをおもうと、古希目前のこの思い付きは、我が身に新たな歩くことの楽しみのような来福をもたらしてくれるかもしれない。

とまあ、初歩きにしては最高の景色が拝めたことは、慶賀の至りと打たずにはいられないのである。景色に魅入られてゆくかのように行脚することの喜びを、見つけてゆく愉しみがにわかにわが体に広がったことが、何はともあれ本日の初歩きの収穫となった。

歩くことで風景に溶け込んでゆくかのような感覚を味わえたことは、喜びというほかはない。できるだけ車の少ないところを選んで、これからは私の好きな場所、好きな風景を探して何よりも足腰を大切に、歩けることを大事に、家族を大事に、犬も歩けば的に年を重ねてゆきたい、と思う。

距離ではなく、歩く過程に重きを置いて、大地を踏みしめてゆきたい。まずはだ一回を無時に行脚できたことの感謝をしっかりと打っておく。

2022-01-08

もう1週間、次女と孫と母との生活が続く朝に想う。

 今日から3連休である。お正月気分から肉体労働に復帰し最初のお休み。といってもオミクロン株の広がりは、個人的に極めて不気味であり、当分はひとりでの音読自在塾を続けてゆくつもりである。もともと、一人でやるつもりで遊声塾をあきらめたのだから。

刻々と時代状況は変化してゆき、おのずと私自身も超スロウにささやかに変化しながら、日々を送らざるを得ないのは致し方ない。だがこれからを生きねばならない若い方たちと違って、もうほとんど社会的な役割を終えた、仏教用語でいうところの、遊行期を自覚し始めた私には自閉的な生活を余儀なくせざるを得ないようなコロナ下の生活を、ヒトとほとんど交わらない肉体労働のおかげで、この年齢ならではの思わぬ充実した生活が送れていることへの感謝は、先の五十鈴川だよりで打っているとおりである。

もし自分が、ずっと若かったら失職していたかもしれないし、コロナ渦中の下、このように 能天気に五十鈴川だよりを打つことなどは、まったくできなかったかもしれない、などとも考えると、世代いかん、置かれた状況でかくも千差万別に生活は異なる。

はじめてこの方の本を読んでいる

私に場合、いずれにせよはっきりと自覚しているのは、今日一日をいかに生きるのか、遊行期、いかに質素に極楽とんぼのように過ごせるか、過ごせないかというような、誤解を招いてもいいのだが、まじめであり不真面目であるかのような、いい加減な日々の過ごし方を、方の力を抜いて、と心のどこかで考える自分がいる。

さて、今年もいつものように話を変えるが、おとといから次女と孫の葉君が再び我が家に滞在している。次女の友人が1月半ばに結婚するので、それまでいることになったのである。

義理の息子は一足先に帰京している。というわけで、もう一週間、間もなく生後半年になる葉君との生活が続く。それまではおじじとして何か役に立つことがあればと思っている。

今年の5月で90歳になる母も同居しての、5人での生活が今しばらく続く。古い命と(十分に生きた命と)新しいまさにこれからの命の同居生活。母の存在はこれからの自分の老いの道行きの未来を、いやでも考えさせずにはおかない。

老いてなお、ひ孫の面倒をしている、お台所で刺身をさばいている姿を見ていると、老いたりとはいえ、いかに普段培ったこれまでの人生が浮かび上がってくるのかを教えられる。動き他、超スロウもうではあるし、往年の面影を知るものには、正直寂しいのだが、私の身近な老いゆくお手本として、しっかりと見届け学びたいと私は五十鈴川だよりに打っておきたい。

このお正月、その母を娘や義理の息子たちが、暖かく接してくれたことに対して、なんとも言えないありがたさを感じている。ヒトは老いて死ぬ。その厳粛な摂理、当たり前さは、遠からずわが家族にも現実的に訪れるのだということを、新しい命の輝きの前で、あらためて思ったお正月でもあったことをきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。



2022-01-07

2022年は、歩くことを基本に音読生活を送りたいと、念頭に(年頭)想う朝。

 お正月気分がいまだ抜けきっていない私だが、肉体労働のおかげで、ゆるやかに新しい年が始まったとの実感が少しずつ湧いてきつつある。

そのようなさなかのオミクロン株の急激な広がりは、先の五十鈴川だよりでも触れたが、全く予断を許さない6波である。だが私個人としては、過密を避けてのこれまでと同じように対処しながらの様子見せいかつをつづけるくらいのことしかできないのだが。

ただただ、静かなる生活に倦まないように心がけ、終息をいのるくらいのことしか できないので、この件に触れるのはよすが、年明け早々からのちょっと、またもや気を引き締めなければならないのだとの、報道の過熱さである。

そのような中、今一番の心の落ち着き場所は、肉体労働アルバイトである。お天気に恵まれ冬らしい寒さの中、青い空の元、今現在の動ける身体と対話しながらの適度な体動かし仕事は、責任を持って任されているので、自由自在に自分の了見でできるので、変なストレスがなく楽しめている。

今年最初に一気に読んだ本

このような老いのアルバイトがあればこその、能天気につづれる五十鈴川だよりなのである。間もなく古希を迎えるわが体だが、ストレスなく体が動かせることがこんなにもありがたいことだとの気づきは、はじめて手術を体験したことがやはり大きい。

老いるということは、歩いたり立ったり座ったりの、いわば当たり前にできていたことが、できなくなるという厳然たる事実の重さへの気づきの深まり。病気やケガ他、いつ何時あるけなくなる、声がだせなくなるのか未知なのである。

だから何事も悔いなく日々を努めて有意義にと、ケセラセラ、オーバーではなく覚悟を決めるのである。

どうしたら楽しく仕事が持続できるのかを考えながら、今年も何とか一年つつがなく五十鈴川だよりを打ちながら、過ごしたいと思うのである。

年頭に当たって、ささやかに想うことは歩くこと、ウオーキングを少し意識的にやりたいという気持ちが湧いてきたことである。帰省の度に故郷を歩きたいのである。そのために長い距離を歩く訓練を積みたいのである。

五十鈴川だよりは曲がりなりにもなんとか続けているが、手術で今のところ弓の稽古がとん挫してしまったので、一番手軽にできる歩くということを、もっと意識的に取り組んでみたいのであるが、果たしてどうなりますか。

まずはだい一歩から。お休みの日週に一度か二度、少し長い距離を歩くことから始めようと、今の時点で考えている。平日は労働中にずいぶん歩いているのでやらない。お休みの日、とにかく異なる近場の景色の異なる場所の移動を、ともくろんでいる。

ついでに音読もしながらと、虫のいいことも考えているが、さてどうなるのかはやってみないとなんとも言えない。還暦を過ぎて遊声塾をはじめ、古希を迎えての音読自在塾 は、歩きながらのまずはひとり音読を基本に、過密を避けて(オミクロン株を避けて)静かにゆっくりとスタートしたいのである。

家族に何かあったら、すぐにやめるということはすでに打っているのだが、在り難いことにやれる状況なので、やれるときにやれることを悔いなくというのが、私のささやかなる信条なので始めたい。


2022-01-05

明けましておめでとうございます。2022年最初の五十鈴川だより。

 明けましておめでとうございます。2022年最初の五十鈴川だよりである。なんとも言葉にしえないかのような初めて経験する稀な御正月を過ごせたことの、有難さをしっかりとまずは打っておきたい。

昨年末も打ったが、母(今年90歳になる)、二人の男の子、孫、家族全員9人で、穏やかに健康に、お天気にも恵まれ元旦を過ごすことができた。

元旦に次女家族が夫のふるさとに、そして長女家族が昨日大阪に向かい、母も自分の家に戻り、我が家は元通り妻と私の普段の生活に戻り、私は昨日から肉体労働アルバイト生活に復帰した。

とはいうものの、いまだお正月の余韻が体のあちこちに残っていて、五十鈴川だよりを打つ気分には程遠いのだが、 わずかではあれ自分の気持ちの足跡を打たないと、これまた気分が落ちつかないというアンビバレントにある私である。

めでたさも中くらいなるおらが春、ではなく。言うまでもなくこのような不思議な御正月を私は初めて経験した、いわば私自身の老いの自覚が深まったお正月をはじめて迎えたのだということをしっかりと打っておきたい。

娘たちが作ったカレンダー

何よりも義理の母とひ孫が共に過ごせたお正月、このコロナ下で、今のところ無事に寿ぐことが成ったという事実の重さをしっかと打たずにはおれない私である。めでたさも感極まれりおらが春、と。

そのこまごまの一部始終を打つことは不可能だし野暮というもの、私の胸の中にしかと留め置きたい。オミクロン株の広がりは不気味であるはあるが、何はともあれ我が家のお正月儀式が2年ぶり無事ににおえられたことは慶賀である。

さて、今年はどのような一年になるのか。どのような年を送りたいのか。五十鈴川だよりもいよいよ10年目を迎える。よたよたしながらよく打ち続けていると、飽きっぽい私なのに驚いている。

私には財産らしきものはほとんどないし、娘たち、義理の息子たちが五十鈴川だよりを打ち続けてほしいと、言ってくれるのでその言葉を励みに、そして何よりもこれからの老いの下り坂で見えてくるわが内なる心象風景のようなものがつづれればとも想う。

何よりも打って綴ることで、自分自身が活性化し、日々の生活の中での自問自答時間を持つことの重みを私自身に課し、2022年もよたよたの蛇行を繰り返しながら、流れてゆきたいとの年の初めの穏やかな決意を打っておく。