お休みの朝もほぼ普段通りの時間にめざめる。平均すれば7時間から8時間は寝ていると思う。高齢化すると眠りが浅くなるというが、肉体労働をしているせいか、午後9時を回ると私の体は眠くなってしまう 。
若い時十分に見たテレビには、とうの昔におさらばして(時折のこれはというのは、妻と共に録画してみたりはしているが)可能な限りの昔人的な早寝早起き、朝日を浴びる男的ライフを実践している。
さて、年明けから東京をはじめ全国的に冬の大寒波の襲来と共に、コロナ感染は一気に加速、増え続けている。不気味である。凡夫には想像を超えた出来事が起こるやもしれず、余計なことは書きたくはない。
自分や家族が、コロナウイルスに感染することだって十分にありうる状況になっているくらいの自覚認識がわたしにはある。もう書いた気がするが責任のある大人が自覚をもって行動実践しないと由々しき事態は当分収まらないような気がする。
ともあれ、一庶民としてはそのことの自覚を深め、穏やかな終息を願うくらいにしかなすすべがないのだが。
きょう今年初めての弓の例会稽古、無謀な人生を選択してきた自分ではあるが、少し迷うが、おそらく稽古には行くだろう。昨年も時折の弓の稽古はずっと続けることができたし、かんせんしゃは出なかった。弓道場は射る場所以外は青天井、風が吹き抜け、極端に言葉を交わさずとも稽古ができる。
もう間もなく弓を始めてまる4年(途中半年遠ざかっていたが、故郷の兄の家の近くの個人道場のI先生との出会いで再び始めた)になるが、65歳の誕生日にひょんなことから始めた。いま、弓をひかない暮らしは考えられない。
昨年、遊声塾のレッスンが突然の休塾に見舞われ、今に至るもいつ声が出せるのか見通しは立たない。が、その間弓の稽古を継続できたことが、今も続くコロナ渦中生活の中でどれほど大きかったことか、痛感している。
おそらく生活の中にどこか張りのある、持てる、集中力持続時間があるということが、今の私には大切、元気でいられること証左なのだとの思われる。それとやはり一人でできる肉体労働、アウトドアライフと家でのインドアライフのバランスのおかげで、つましく穏やかに生活できている、のだと思える。
昨日よんだ俳句(私は今年から本格的に俳句を始めた)【寒風に・仁王立ちして・草を刈る】お粗末。仁王立ちといえば、弓は先ずまっすぐ立つ訓練から始まる。40歳から開園前や冬場に中世夢が原で、22年間体を動かし、とくに草刈りをはじめとする肉体労働を続けてきたからこその【今】なのだと思う。
演劇のおかげで自分の体の弱点がわかり、細い体にいかに息を入れるかに腐心してきた私だが、弓のおかげで丹田に息が満ちる感覚が持続できている。いつの日にか声が出せる日まで弓の稽古で丹田呼吸を深めたい私である。
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