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2021-01-02

2021年、明けましておめでとうございます。年頭にささやかに想う朝。

あけましておめでとうございます。一寸先何が起こるかは神のみが知るこの時代、何はともあれ五十鈴川だよりを書けるということ、書ける環境に自分がいて、書こうと思う自分がいるということを、確認している。

私は怠け者であり、自分という存在に世の中に出るまでまったく自信がなく 、何度もかいているが文章を綴るなんてことも、大の苦手だった。そのような私が、今デジタルのおかげで、ささやか細き五十鈴川だよりを、折々書いているのが不思議である。

何度もかいている気がするが、私には自己分析する意欲がまるでない。そのような事より、いかに今日を気持ちよく過ごすかという、一点に焦点を絞るような暮らしを老いゆく身体に心かけているし、そのことは昨年のそして未だようとして終息の見えないコロナ渦中生活で、いよいよもって深まってきた。

アクセス数の多寡ではなく、読んでくださっておられる方がいるということは誠に大きい。書き始めた当初は家族や身近な兄や姉たちに、またささやかな己の生活雑感記録になれば、いいというくらいの気持ちで、軽く書き始めた五十鈴川だより。このように長くつづれていることを、年頭に当たって寿ぎたい。

書き始めた当初、二人の娘は結婚していなかった。次女も家庭を持ち、長女には息子がいる。その息子が3月、3歳になる。爺バカであれ何であれ、このコロナ渦中オンラインで何度孫の無垢な声にすくわれたことか。まことに人生の旅路は未知との遭遇である。長くなるので簡略に記すが、大晦日と昨日東京家族全員が長女のマンションに集まりオンラインでのお正月を堪能することができた。

5月で88歳の米寿を迎える母も年末からやってきて今も我が家にいる。身近な方々全員が健康で穏やかでいられるからこそ、私は五十鈴川だよりを綴ることができる。とくに母がいまだひとり暮らしで自立した老境を健康に生きている母は、すでに何度もかいているが、私のこれからの足元を照らすお手本としたい。

年末、父の形見の丹前がほつれていたのだが、陽だまりの中さっそく針仕事で見事につくろってくれた。老いてゆく摂理はあらがえないが、いまだ自転車で我が家までやってくる元気さをキープしている。

娘たち家族が、母のことを気遣い、母も気遣う。私にはまねのできない、家族第一主義の理屈抜き、良し悪しではなく戦前の教育の面影が色濃く残る昭和の母である。田舎の貧しい家に生まれ、母性が強く、兄弟姉妹が多く、長女として下の妹弟優先自分は高等教育を受けることもかなわなかった。だがきちんと生きて子育てしてきた。立派な母である。

私はこの数年だんだん母の世界に傾斜、土に親しむようになってきたのは間違いなく母の影響である。折々私は反省する。何が立派な生き方なのか。以前は上を目指すことに情熱を傾けてきたが(何が上なのかは置くとして)特に還暦を過ぎてからは、下ることに情熱を傾けるというか、自分のことよりも家族をはじめとするまずは、身近な他者の安寧を優先する母を見習うようになってきた。気づき始めると周りには上下左右お手本にしたい方々に私は恵まれている。テレビなどでいけしゃあしゃあと語るような輩にはとんと感性のアンテナが響かなくなった。底辺でそっときちんと生きている多くの方々からより静かに学びたい。

これは、上下の問題ではなく、私の憧れる方たちは己は先ず置いといて他者のために、心血注ぐ生き方を実践するマイノリティの方々である。生まれながらのマイノリティの弱者や困難な状況下で不条理に生きざるを得ない方々側からの視点から、きちんと物事を冷静に判断したんたんと実践する、勇気あるしたたかなつわものから学びたい。

中村哲先生先生をはじめとするしなやかなつわもの、いちいち名前をあげないが50代に入り書物を通じて知り、読み続けている方々の側に身を置いて考える勇気を持たなければいけないとおもう年頭の朝である。

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