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2020-02-19

間もなく8年目に入るシェイクスピア遊声塾、今夜のレッスン日の朝に想う。

今夜は遊声塾のレッスンなのだからもう少し睡眠をとらないといけないのだが、いつにもまして早くに目が覚めた。アルバイトは8時からのお昼までなので、この朝の数時間は私にとっては、一日の黄金時間なのである。

コロナウイルスの新型肺炎のメディア報道に関してはいささか唖然とする。予測できないことに関しては、沈黙するしかないが、それにしてもこうも予測のつかない出来事が、次々と起こると、やはり人間の心は不安になるのは、私だけではないだろう。

だが、いたずらな不安にはおちいらないように、終息に向かうのを念じながら、浮き足立たなように、静かな暮らしを続けるだけである。五十鈴川だよりを書き始めてまる7年が過ぎたということは、シェイクスピア遊声塾も今年8年目に入ったということである。

本当に毎週毎週があっという間にやってくる。還暦を過ぎて始めた塾のおかげで、私の熟年ライフはおかげさまで、熟年という言葉がまさにぴったりという感じで過ごさせていただいていられる今を、誰に感謝したらいいのかと臆面もなく書けること自体が幸福なことである。

思い煩う時間があったら、とにかく掃除散歩他なんでもいい、体を動かす。動いて声を出す。という心がけで毎週毎週声を出してきたという感じなのである。声を出せる身体にあやかり、わが体にしがみついて声を中空に放って今を生きていることを、確認してしてきたのだ。(と思う)ましてシェイクスピア作品の言葉、不足はあまりになさすぎる。

33歳の時に求めた本最近改めて読む、素晴らしい。
いつ何時声が放てなくなっても、悔いの残らないように今日も今日の声を 発したいと念じるだけである。塾生の数が少なくても、けっしてあきらめず、腐らず自分を信じて声を出してきたからこそ、今現在7名の塾生に巡り合えているのだと、天に向かって感謝する。

アルバイト先で、足先や指先を使うことをとても最近意識する。のこぎりで枝の剪定をしていても、足腰の重心を下におろし、手先を意識し引く。繰り返し繰り返し、波のように体を動かす。剪定ばさみでのハサミ動かしもそのように。根をつまんで、引く動作も然り。

体全部に気が廻り、おじじの体の細胞に血液がゆきわたり、冷えた冬であれ一時間も体を動かしていると温まってくる。かじかんでいた手足も温まってくる。生きているがゆえに味わえるのだ。防寒具の有難さ。

吐く息は白いが、身体は温まっている。天空の下で暖かいお茶を飲むとまさにうまいのである。生きているということは(幸福とは)実にシンプルなのであるということがこの年齢にしてようやく実感としてわかる。苦楽は不即不離よじれてつながっている。

快感と悦楽は、敢然と立ち向かうことの中にしか見つけられないというのが、私の現状認識、とくに男という性は。 女性は男の私にはわからない。朝から何を初老おじじは書いているのだ、ろう。だがもう何を書いても、ヒトにに笑われようが一向に構わないのだ。

命の輝きというものが、いまだ老いの身にも宿るのであれば 、輝かねばばちが当たる。ご先祖に、あまたの報われぬ死者に顔向けができないと思ってしまう、粗忽者無骨者がどうやら自分らしいのである。窓から東の空に花王石鹸のような月が見える。さあ一日が始まる。

2020-02-17

午前中新聞記者というDVDを見て午後ブレディみかこ著ぼくはイエローで、ホワイトでちょっとブルーを読む、そして想う。

昨日は終日雨で夕方図書館に出掛けただけで、じっと家で過ごした。午前中妻と珍しく二人で【新聞記者】という映画をDVDで観た。長くなるのでストーリイは省くが、国に忠誠、滅私奉公する官僚の心理というものが、微妙に描かれていて、引き込まれてみた。

国民にとって現代の身近な問題を 下敷きにした、フィクションだがかなりのリアリティをもって迫ってくる。監督は私の知らない、30代の若い監督だという。もうすっかり最近の若い監督の作品はみなくなって久しい私だが、反省した。

私が引きこもりおじじ化している間に、多分野に新しい才能があちらこちらに出てきていることを知らされ、うれしかった。芸術や文化、小説映画芸能など、時代を映す鏡としての機能を果たしている。このような作品が創られていることにほっとする。五十鈴川だよりを読んで関心のある方はみてほしい作品である。

ひとりで静かに観たい作品もあるが、妻と二人で観たい作品もある。幸い映画の好みが近いので、妻とは休日二人で共に良き映画をこれからの人生で見ることが増えそうである。

ところで主役の新聞記者を演じる、韓国の女優さん、シム・ウンギョンが素晴らしい。映画でしかできない、アップの時の表情や、台詞のない時のさりげないしぐさが。この女優さんを見ているだけで、映画世界に引き込まれてしまう。

私はこの十年以上韓国映画を随分堪能させてもらっているのだが、その一番の理由は、男女とも俳優が素晴らしいからである。もちろん内容もだが。いい俳優が出ているフィルムは押しなべてやはりいい。 随分韓国に行っていないが、またふラリ旅をしたくなってしまう、そして現地で現地の人と共に映画を見るのである。

韓国では国民に映画を見るように国策として推進していると聞く。国が多額のお金を文化振興政策として投入している。韓流ドラマがいまだ健在なのはゆえなしではない。韓流ドラマは特にアジアで多額の外貨を稼いでいる。

売れるのはスマホや物だけではなく、文化は人の心を打ち、お金を生むのは当たり前である 。日本も何がクールなのかを、今からでも他国に良きものは虚心坦懐に学ぶべきである。とはいってもこの新聞記者のような作品を創っている日本の映画人がいることには、どこかほっとする。深いことは置くとしてやはり私は日本人である。

ところで、昨日の午後読みたいと思っていた【ブレディみかこ著ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー 】全16章を一気呵成に読んだ。実に面白かった。著者にしか書けない文体が躍動していて読みだしたらやめられないほどに引き込まれた。

望晃くんがおじじにプレゼントしてくれたように感じる
長くなるのでもうよすが、今の時代の国籍を超えたカップルの間に生を受けた子供とその母親の奮闘記 というありきたりな本ではなく、まさにこのグローバル化の多様性の渦中をしなやかな感性で生きてゆく、未知の国の母と子のリポート、成長期の物語。

そのしなやか、グルーブ感あふれた文章には打ちのめされた。どのカテゴリーにも属さない、属せない、どの言葉でもってもぴたりとは当てはまらない、新しいというしかない感性の登場。

ブレディみかこさんは、新しい日本人である。あらゆるボーダーを彼女の言葉でしなやかに軽やかに歩む。乗り越える。その行動力、父はアイルランド人母は日本人、二人の間に授かった息子、実践力の母と子の感動的というしかない英国底辺中学校生活のリポート。

 越境しながら根源的に国や人種間のあらゆる階級差をはじめとする、現代の英国社会が抱え込む諸問題に、曇りのない目で果敢に思考し、彼女ならではの感性での前例のないリポート。五十鈴川だよりを読んでくださっている方には、読んでほしいと切に思う。ブレディみかこさんの息子のように、きっとわが孫望晃くんも世界の風に当たるだろう。このような国籍が異なるカップルは今後増え続けるだろう。そこに希望がある。

ブレディみかこさんのリポートは限りなく、マイノリティカップルの今後を照らす希望の手引書になるだろう、時間が来た今朝はこれにて。

2020-02-15

冬の陽を浴びクローバーの根に指先をマッサージしてもらい、そんなひと時にふと想う。

2月は例年というか、そろそろお墓参りを兼ねての、五十鈴川詣で、帰省の虫が動いているのだが、やはりコロナウイルスの新型肺炎の猛威が国内にも及ぶにしたがって、この調子では 国内の人々の移動心理にも影響が出そうな気がする。

だからといってどうすれば、思案中である。もう私くらいの年齢になればとは、どこかで観念するしかないが、(でもいざとなったらうろたえるだろう)若い現役バリバリの還暦前のあらゆる男女世代に 与える、心理的な不安は想像に余りある。

それにしても、東北の津波災害原発事故以来の、全世界をおおう得体のしれない、心理的に重くのしかかる予断を許さない、現代の逃れられない喫緊のあまりの多くの課題の山積は、老いたとはいえ、やはりあれやこれやと胸がざわつく。

終息、ピークアウトが長引けば、オリンピックにも影響が及ぶだろう、すでに流言飛語が出ている。あまりにもそれをネットなどで流す人間の質の低下には言葉を失う。

だがただじっとしていても社会は活力を失ってしまうし、初老男にも悩ましい。来月は孫が2歳になるので、会いにゆくのを楽しみに今もしているのだが、そのころには事態がどのように推移しているのかではんだんするしかない。

普段であれば梅の開花のニュースが飛び交うこの季節、電波はコロナウイルスの新型肺炎にハイジャックされたかのような按配。何度もかいているがはっきりとしない情報には距離を置き、私自身の静かな暮らしを続けるだけである。

話を変える。アルバイト先では冬の季節は草も伸びないし、身体に負担のかかる作業は少ないのだが、冬の時期にしかできない仕事はいろいろとある。

仕事というのは、自分で見つける気があれば、人生ののあらゆることに通じると思うのだが 見つかる、見つけるのである。この数週間暖かい時間帯、私は生まれて初めてクローバーの根を採る作業に取り組んでいる。
次女の旦那さんが作ってくれたお誕生日プレゼントの名刺

詳細は長くなるので省くが、根気のいる作業であり腰が痛くなるし、老いつつある身にはきつい労働と思われるのだが、私は肉体訓練のつもりで取り組んでいる。本格的に意識的にクローバーと格闘するのはこの冬が 初めてである。やればやるほど知恵がついてくる。

正直はじめは年齢的にもいくばくかの不安もあったが、このところこれが面白くなり始めている。地面を這う山登りのように、なめくじのように芝生の上に点在する緑のクローバーの根の採取に、スコップで掘り返し素手で挑んでいる。

クローバーの根がこんなにもすごい根であるのを私はこの歳ではじめて知ったが、クローバーの根をきれいに根絶するのは半端な覚悟ではなかなかに難しい。だが時間はかかるが、ある程度採り終えた時の達成感は、やったものにしかわからないほどの充実感がこのところの私に生まれている。

指先の感覚がじんじんして時になくなるが、これも生きているが故と見つけたり。夜お風呂の中でで指先をマッサージするとピンク色の指先になり、指先がつるつるになって美しくなる。きっとクローバーの根が指先をマッサージしてくれたのだということがわかるのである。

やはり体は動かさないと駄目であると痛感する。静かに深呼吸しながら動かすのである。何事も楽しめるか否か。とくに最近思うのは足先と指先を鍛えることの大事、大切さ、弓や声出しの呼吸法に通じる。肝心なことはやはり細部に宿ることの気づきである。社会不安から逃れるには、小事生活を豊かに生きるしか私には方法がない。





2020-02-14

無事に68歳を迎えることができました、そして想う。

昨日無事に68歳を迎えることができた。もう還暦を過ぎてからは特段なことは全くせず、普段通りの一日を過ごしているが、娘夫婦たちからささやかだが、心のこもった一品が郵送され、一文が添えられていて単純にそれだけで私にはいい誕生日だった。何と望晃くんのサインまであった。

娘たちの旦那さん二人からも、ラインで私の晩年ライフを祝うメールが届き、これがまた私にはうれしかった。そして夜、本当に久しぶりに 夫婦二人で外食、妻がご馳走してくれた。

妻とは物のやり取りはしなくなった。お互いほしいものがほとんどなくなってきたからである 。ただ元気な間は外食し、お互いがおごるということくらいのシンプルな取り決めをしている。お互いが健康で生誕日を確認し合えるだけで十分である。

昔、永六輔さんが誕生日は生んでくれた母に感謝する日である、との一文を読んだ記憶がある。まさに然りである。日本の歴史始まって以来の、この数十年の未曾有うの物質的な豊かさを謳歌してきた日本人の暮らし。

果てに、日本人が健康で豊かで文化的な生活を個々人営んでいるのかは神のみぞ知る。奢れるものは久しからずである。私はこのところ、いろいろと反省、自省し、足るを知る暮らしをできる限りやれる範囲でやろうと心がけている。(言うは易しであるが)

とくに65歳の誕生日から弓を始めてのこの3年間は、自分でいうのもなんだが、宮崎にお墓参りに帰るのと、小さな旅をするくらいで静かで充足した初老ライフを過ごしている。

何しろ毎年、初めて経験する老いゆく時間を生きているわけで、この老いてゆくスリリングな時間を可能なら、こうやって五十鈴川だよりを書きながらトボトボ、だが新鮮に下って往きたいのである。(言うは易しであるが)
このところ素晴らしい本につぎつぎと出合う

話は変わる。先日野村克也監督がお亡くなりになった。たまたまクローズアップ現代で生前最後の半年を追った映像を見た。

いろんな感慨が私の中に湧いてきて、今もその余韻が残っている。監督がおっしゃっていたが、私の人生を奮い立たせたのはコンプレックスであると。

比較するのもおこがましいが、18歳で世の中に出た井の中の蛙が、今現在こうやって家族を持て、生きていられるのはやはりコンプレックスなのではないかという気がする。可愛いささやかなコンプレックスなのだが。

思春期の屈辱、おもいでをばねにして、今もささやかに踏ん張っているのではないかというのが、正直な気持ちである。もしもっとこの先生きることができ、シェイクスピア作品が声に出せなくなってきた時、肩の力が抜けて10代、20代のあのお恥ずかしくも、赤裸々なまぶしい青少年時代の いっときがつづれるかもしれない。でも今はまだ恥ずかしくとても書けるものではない。私は老いつつもいまだ青いのである。

またもや野村監督の話に戻る。ある面見事な一生、生の終え方、でも悲哀感はぬぐえなかった。功成りて万骨枯るという言葉が浮かんだ。凡人の私は想う、考える。死は思い通りにはゆかない。ならないものを考えるのは愚かである。現時点で私が思うのは、死のことは考えるな、今日をいかに生きるのか、そのことに一意専心する。死は万人に等しくやってくる、ささやかでいい、いかに生きるかだ。

2020-02-12

命ははどこから来たか、最もかけがえにないものは何か、夜明け前粛然考え想う朝

気が滅入るニュースがひきも切らない。コロナウイルス新型肺炎により、多くの工場他が稼働できなくなり、経済的な打撃ニュースが世界をおおい、おかねにたよらざるを得ない、この世界の構造が人類にに与える心理的な社会不安は計り知れないものがある。

いつも思うことだが、備えあれば患いなしという言葉があるが、それが通用しないこのようなまったく予断を許さない、処方箋ががなく、対策に手間取っている時間の長さは関係者にとって気が遠くなるほどのものだろう。

自分がそのような当事者ではないからこそ、このように五十鈴川だよりが書けるのである。だが敢えてこのようにつづれるときににつづらないといかんという気もする。

前例のない、得体のしれない、病原菌の発生はペスト他、過去にもたくさんあった に違いない。これほど瞬時に情報が伝わらない時代であったから、さほどの困難にも動ぜず、病原菌の及ばない国々の人々は、ごく普通の暮らしができていたのだろう。(でも人類は乗り越えてきた)

だが現代は全く異なる。情報というものはある面恐ろしい。流言飛語にいかに人間が弱い存在であるのかは、人類の歴史が証明している。私は最低のデジタル機器にしか触れない、初老アナログおじじである。いたずらに不安を覚えるような情報にはあえて触れないようにしている。(あえて明るい心が上向く本を手に静かに手にして過ごす)

写真をアップするのは2度目、素晴らしい本に出合えた
このようないまだ対処の方法がきちんと解らないウイルスに対して、おそらく全世界の心ある科学者が敢然と立ち向かっているのを信じ、今は待つほかはない。

経済が減速しようが、何とか食えればいい、国籍など関係ない、まずは命、家族の命の安息を迎えることができる日が、一日でも早く来ることを望むしかないではないか。

いつも思う、切迫した状況に自分がなったらどうなるのかは、なってみないと分からない。当事者ではないからこのようなことが書けるのを承知であえて書くのだが、命ほど大切なものはなく、ヒトは肉であれ野菜であれ、命を食べ命を日々生きのびる。今日あ在る、居ることの感謝だ。

繰り返し書く、歳を重ね毎年命時間が短くなるにつけ思うことは、命ほど大切なものはこの世には存在せず、命はいただいたものであり、自分で作ったものではないという、粛然たる事実である。自分の思い通りにはならなく、またはしてはならないものである。

いたずらに不安を覚えるような、情報には距離を置き、できる限り静かに穏やかに暮らせられるようにるように、付和雷同 せず、明るい話題を探しながら終息待つこと以外にない。

2020-02-11

コロナウイルスの新型肺炎の猛威は何を暗示しているのか不気味である。

コロナ新型肺炎がいよいよ不気味さを増してきつつある。何とか終息に向かうように祈らずにはいられない。人間には共感力や、想像力というものが備わっているので、船やホテルなどに閉じ込められている方々のことをおもうと、この件に関して五十鈴川だよりで書くことは控えたい。

もし身内や家族があのような情況に閉じ込められたら、想像するだに 恐ろしくにわかに自分もパニック化してしまうだろう。それにしても、予断を許さないというか、とてつもない時代の始まりを、一庶民の私はいやでも感じてしまう。

この数十年のグローバル化の上に連鎖のように、引きも切らず発生する新手の変異ウイルスが、人類社会の倦むことを知らない傲慢さの上に、起因するものではないことを祈るのみである。

南極大陸での温度の急上昇、今週末は2月では考えられないほどの気温が予想されている。プラスチックのごみ、森林火災、映像を見るのが嫌になるほどの、むき出しの地球の傷んだ姿、人体に例えればあちこちが無残に傷つきながら、かろうじて息をしているのでは、といった体である。

猛暑の夏、特にアウトドアの競技、見る方も選手も大変である。東京湾の汚い海を泳いで金メダルを目指す選手たちには同情を禁じ得ない。そもそも今回の夏のオリンピックに関しては、一個人としては若干のアスリートに関しての関心があるくらいで、あまりに派手に肥大化する商業主義演出が(放映権ほかの利害が絡む)蔓延する 一大イベントには、私は懐疑的である。国を挙げて金メダルの数を競うなど、まったく関心がない。人間の存在感、アスリートの人間性、研ぎ澄まされた精神と肉体の素晴らしさをこそ堪能させてもらいたいだけである。

2月5日の新聞で見つけた記事
このようなことをつらつらいくら書いてもごまめの歯ぎしりの域を出ないのは、承知だが、ごまめはごまめなりに、書くことで自己セラピーをするしかない。

コロナウイルスの新型肺炎が、欲望の塊の資本主義時代の終焉を告げているのではないか、との気さえしてしまう。

自国ファーストなどといってはいられない(全人類のこれまでの歴史的な英知を結集しないととの危惧を持つ)ほどの、全地球的人類死活問題の始まりではないことを、ささやかに五十鈴川だよりを綴りながら 祈らずにはいられない。限界は承知の上でわずかではあれ、我が身のこととして想像する力を老いたとはいえなくしてはならない。

経済優先至上主義は、暗澹たる多大な負の面(もちろんいい面もある)の肥大化を未来にもたらしてきた。その行き先の見えないつけが世界を鵺のように覆っている。このかけがえのない水の惑星の持続的な循環型未来の在り様モデルをこそ描ける、若い実践力のある未来哲学を持った、経済企業人、政治家、そして最も私がのぞむのは安全な食べ物を作る農(脳)人の出現を私は心から望む。

2020-02-09

昨日大阪まで、名取洋之助写真賞受賞作品写真展に行ってきました、そして想う。。

もう間もなく68歳になろうとする私は、おとといの五十鈴川だよりでも書いたが、もうあまり余分な情報は入れず、これまで生きてきた時間の中でのあらゆる出会いで、得ることができた自分なりの考えや、物の見方を、ささやかではあるがシンプルに深めてゆく、五木寛之さんの教えでいえば、林住期的な現世時間を生きたいという思いの中にいる。

だがこの歳になっても、いい意味でこれこそが生きている証左なのであろう、とりとめのない初老男の心はいまだ揺れるのである。その揺れの起因は、やはり中村哲先生の死であり、私より年上の土取利行さんのいまだ枯れないこんこんとわき出流かのような 、今を生きる情熱との再会である。

一瞬一生という言葉がある。まさに今生きていることの中にしか、世界は存在しないのである。というわけで、思い立ったが吉日、昨日大阪にある富士フォトサロンで行われている名取洋之助写真賞・受賞作品展に行ってきた。

すっかり閉じこもったかのような、静かな暮らしで余分な情報には触れないようにして入るが、新聞だけは目を通すようにしている。昨年10月22日、簡略に記すがこの写真展のことを新聞で知り、切り抜いて壁に貼り付けていた。(ほんとうに必要な情報は目に入る、感性のアンテナを枯らさないこと、信頼できる方からの情報、中村先生のような)

ゆく気になったのはバングラデシュで廃船になったなった船の解体処理に従事する子供、少年たちの過酷な労働現場の写真であったからだ。それを撮られた和田拓海さんが31歳の若い写真家で あったから。タイトル【SHIPYARD~翼の折れた天使たち】

このような写真展はなかなか岡山や地方では見ることができないのが残念である、一言やはり出かけてみる価値がある写真展であった。詳細は割愛するが、30点余りの写真に写っているあまりに低賃金で長時間労働に従事せざる負えない現実の世界の子供たちの姿をきちんと伝えてくれるジャーナリストや写真家が、中村哲先生のような、見て見ぬふりのできない、人間性を失っていない若い写真家の存在は救いである。

私たちが手にする生活に必要な、あらゆる食品、家電、車、衣類ほか 必須アイテムはきっとどこかで、極めて過酷で安い労働力の上に搾取された、無数の地球上の老若男女問わず生活弱者の血と汗の労働の上に、成り立っていることを知らされる。

18歳から時代のおかげで、飢えることもなく今を生きられている私だが、ささやかに今も体を動かし、賃金を得ているものとして思うのは、世界のあまりの言葉では伝えられない天国と地獄といってもいいほどの格差である。あの子供たちの鋭い眼の光は老いゆく我が身を照らす。

生れ落ちたところの運命とだけで済むことではない。自分がそのような苛酷な現場で何も知らされず、もし働かされていたら、との想像力をなくしてはならない、と思う。

裸足、何より防塵マスクがないから、さびた鉄くずの埃を働いている間中吸うことになる、これでは身体が病むに決まっている。やけどもする、手袋がないからだ。日本では100円ショップに行けば簡単に手に入るものが、バングラデシュの解体現場の子供たちにはない、素手で、汗まみれで、埃にまみれて 家族を養うために生きて教育を受けることもなく生きているのだ。

一日働いて、一ドルくらいにしかならず、同じように働いても大人よりずっと安い。和田さんによると、地球上で教育も受けられず、劣悪な環境で働かされている子供たちは、一億5千万人くらいいるという。しらなかったでは済まされない。

見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬではさもしく悲しい、安穏と生きられる側の人間は、(私のことである)このような写真に出会ったことを、一人にでも知らせるべく、可能なら関心を持ってもらうべく、つましく生き五十鈴川だよりを書く。老いゆきながら書くことも行動と思いたい。 和田さんとたまたま会え、わずかな時間話ができてよかった。



2020-02-07

立春が過ぎ小さな旅をこの週末はしたい朝。

今週は雨が降らないので、今日で五日連続で働いている。この一年半風邪もひかず、定期的に歯医者に行くくらいで、検診も一二かい、あまり医者を信じていないのは、数字を見ての紋切型の診断がほとんどだからかもしれない。私は自分の体が発する情報に頼る。

数字や統計といったものを私はほとんど信じていない。(だって これだけ改造や、捏造がまことしやかに行われているのだから)桜を見る会に関する、データの破棄、国民を愚弄するにも余りある。日本はあまりに公文書の管理他がずさん極まりない。

現政権の、国会の私物化、野党とのあまりに不毛な両者のずれまくり、 やり取りの貴重な時間の浪費国会審議は、老いの身にさえこの国の行く末を、震撼とさせる。国民はもっと怒らなくては。初老男だっていまだ怒るのであるから。

子育て真っ最中の世代、現役で働いておられる世代は、もっと政治に関心を持って生活しないと、とんでもないつけが回ってくるのを、一初老男は案じる。

子育てが終わり、老いゆく我が身としては、後続世代のこれからをささやかに見守るほかはないが、おちおち老いてなどいられないほどに、暗澹とするような話題がひきも切らない。
このような本を片手に小さな旅がしたい

このような時代、人間の感性他、大事な感覚が摩耗するのを防ぐためにはどうすればいいのか、私の場合は余計な情報を体に入れないことである。

世界を得体のしれない鵺のようなコロナウイルスの新型肺炎が猛威を振るっているが、私に言わせれば、得体のしれない猛威のような真に受けるのに値しない情報ウイルスが、このインターネット時代、あまりに蔓延しているというのが、初老男の感慨である。

夜、外は寒い、月が徐々にまあるくなってゆくのを初老男は、身を縮めながら眺める。午前中冷えた外で働いていると、血が温まり生きている実感がいまだ湧いてくる。動かないと頭まで冷えて動かなくなる。

冷暖房のなかった時代のついこないだまでの先人たちは、厳しい冬を凛として生きていたのに違いない。それに対しての今の自分の暮らしのあまりの、先人たちとの相違には、ライフスタイルの劇的な変化のゆえばかりではない 、何か人間にとって大事なものが抜け落ちたのではないか、という気がするのは私ばかりではなかろう。

暦の上では立春も過ぎた。小さな旅がしたくなっている。いつもとは異なる週末を過ごしたい。

2020-02-05

2020年、亡き父の命日の朝に想う。

父の命日である。2000年に亡くなったので、まる20年が瞬く間に過ぎた。娘がまだ10歳と6歳だった。五十鈴川だよりを書き始めてから、命日が来たらほとんど書いている。

これからいつまで五十鈴川だよりを書けるかはわからないが、命日には心からの感謝を込めてささやかに一文を綴りたく思う。思春期からことごとく対立した親子関係であったが、そのあまりに大きな存在、感矛盾した存在で、(人間の摩訶不思議さ)今にして振り返れば私は鍛えられたのである。

18歳で親元をを離れたのちの、今現在でさえ心の奥底で私を支えているのは両親の姿である。戦前の教育勅語を基本にした教育を受けた父と、戦後民主主義教育を受けた、なまっちょろい浮かれた私と父親とは、ことごとく対立したが、今となっては夢か幻のようである。小学生のころはまさに鬼、本当に怖かった。

ただいえることは、あの父の息子として生まれたがために、今現在も何とか生き延びて今現在の暮らしを営んでいられるのだということへの感謝である。強烈な愛と憎しみの二律背反する言うに言えぬ感情は父によって鍛えられたのである。今に至るもきれいごとをのべ、権威だけの薄っぺらい実践力のない大人が私は大嫌いである。
父の命日に読むにはぴったりの本

私がシェイクスピア作品の登場人物のに惹かれるのは、理由がある。

引き裂かれた絶対矛盾、まるで綱渡りのような、どっちに転んでも不思議ではないような情況を選択せざるを得ない時に、男として父だったらどうするのか、時に考えながら子育てをしてきたし、今もしている私である。(実に私は古い)

いまだ父と母は背後霊のように私の体の奥深くに棲んでいるのである。私が一文を綴れる間は、両親が私の脳裡から消えることはない。きっと私の存在が危うくなるまで、私は父との想像上での対話をしながら生きてゆく(のだろう)。

親子鷹という言葉があるが、幼少期から思春期までそれはそれは、今思い出しても怖い厳しき父親に鍛えられた。だが一輪の深い優しさがあった。ひ弱であった私は人生を生ききるための基礎体力をあの父に鍛えられたからこそ、今があるのだと臆面もなく書ける。

時に弱気になるときに、【人間だれしも】いつも最後父に叱咤激励される。【小さきは小さきままに・花もちぬ・庭の小草の静けさを観よ】父の愛した詠み人知らずの歌。男子の本懐を失ってはならない。お線香を一本 立て手を合わせる。





2020-02-03

2020年、節分の日の朝に想う。

何か書いて気分を確認したり、整理したり、ルーティン化に組み込む。ほかにもルーティン化してやっていることが、5つくらいある。そして晴れている日の午前中天の下での体動かし仕事も。

三日も体動かし仕事をしていないと、私の場合ちょっといまだなまる。だから今週は晴れマークが多く、決まったような余計なことに描かずりあうこともなく、 自分の思いのままに声を出すかのように、体を動かし仕事ができることが、ただただうれしい。

生活にリズムが生まれ、一日が気持ちよくスムースに流れてゆく。この思いのままに動かせる、生きられるリズムこそが、わがまま幸福である。

オーバーに言えば、オジジアンの今、再び子供のようにわがままに生きられるのは、幸せの極致である。このようなことを臆面もなく書くから、私はきっと極楽とんぼなのである。

だが、一人の冷静なもう一人の自分は、世の中や世界の流れには、ほとほと愛想が尽きつつあるが、言葉遊びではなく私にとっては、絶望は希望の裏返しである。

絶対矛盾を抱えこみながら、自分の一回こっきりの、この不確かで予断の許さない人生を、きっと自分なりに物語り化して、平衡感覚を失うまいとしているのだ、と思う。

シェイクスピア作品の登場人物たちは、物語りを語って倦まず飽きない。私が息も絶え絶えにシェイクスピア作品の登場人物に感情移入して、時におじじを忘れるかのように、声を放てる今現在の体にしがみつくのは、そういうゆえと、自己認識している。

働くのもそうだ。私は動くことが好きなのだ。だから旅も大好きである。動き声を放ち働くと疲れる。そして栄養を取り、ひたすらぐっすりと寝る。不思議睡眠の魔法で、老いた体が蘇る(ように思える)。

私は何度もかいているが漁師さんとか、職人さんとか体を動かして生計を立てている方が好きであり、そういう方々の言葉の方が、俗に知識人といわれる方々の言葉よりはるかに 信じられる。

中村哲先生の言葉には、実体験の経験則の果てに紡ぎだしている言葉だからこそ、感動するのである。土取さんの文章や言葉も若き日の血のにじむようなドラミングの修練鍛錬の礎の上に紡ぎだされている言葉である。

土取さんとの出会いはやはり運命である
生きた人間の苦悩から逃げないで、真正面から受け止め、受苦の中からの言葉であるからこそ、私の胸に届くのである。

話は変わるが、私の好きなシェイクスピア作品の登場人物のキャラクターは、私ごときの手には負えないほどの、複雑怪奇な諸相をもって私の眼前に立ちはだかる。

時にもう無理であるとの、内なる声も聞こえてくるが、先延ばしで一年一年と続けている、いわば遊声塾のレッスンは私にとっての険しい山登りである。毎週毎週のレッスンの積み重ね、もう私にはあれもこれもやれる時間はない。

が、縁あっての土取利行さんの企画だけは、土取さんがやる間は企画者として並走、復帰する。伴侶出会った桃山晴衣さんが逝去されて十数年、そのお仕事を土取さんが受け継ぎ、取り組んでいる 添田唖蝉坊のあの明治時代の壮士演歌の今の時代の空気感の中での再発見は、慧眼的というほかはない。

土取さんの企画は半端な覚悟ではできないが、私の胎は決まった。お声がかかったのは成り行きである。背負えるうちに背負う覚悟である。

2020-02-02

9年ぶりに元企画者としての血が騒ぐ朝。

私に孫が授かったのがおととしの3月、(この年リア王を音読できたことは本当に良かった)昨年次女が嫁ぎ、年の暮れ中村哲先生が凶弾で逝去され、本当に久しぶり先週土取さんに会い、陰りゆく黄昏時間を静かに生きていた初老男の私の中に、言うに言えぬ感情のさざ波が起きつつあるのを感じる。

感じているからといって、私の静かな今の暮らしが 急に変わるわけのものではない。が、この感じを大事に今年は、自分自身と対話しながら、何か企画できるのではないか(企画したい)という思いが湧いてきた。五十鈴川だよりを書きながら、実践できる力をわが体に養いながら実現に向けて走れないので歩むことにする。考えるのはこの冬の間がもっともいい。
凄まじい人生、時代が産んだ傑物というしかない

そのために一番肝心なことは、体調管理の維持である。シェイクスピア作品を音読するだけでもやったものにしかわからないエネルギーがいる。だがシェイクスピア作品の音読は私にそのエネルギーをくれる。

間もなく68歳になる私にとって、この年齢で新たに何かを企画するということは、やったことがないので、未知の世界だが、土取さんが現役で情熱を燃やし続けている間は、私も並走する感じで寄り添う覚悟である。

だが先週も書いたが、次の世代の企画者のためにも、一人ではなく若い方とタッグを組みたいのである。最低10年は企画できるくらいのエネルギーの持続力がある人間が育ってほしいのである。私がそうだったように。

企画などしたことがないような人の方がいい、意外と面白い可能性が開けてくるのではないかという気がするのだ。まず、最低3人必要である。核を作ってからことを進めたいのだ。若くはない今だからこそ落ち着いてゆっくりと企画する、その方法を見つけたい。

土取さんは年内9月までは、予定が詰まっているとのことであり、企画が実現するのは秋か来年になるかもしれないが、要はやるかやらないのかを決めるチーム作りから、冷静に頭を冷やしながら考えてゆきたい。

間もなく亡き父の命日がやってくる。父との無言の対話をこの20年間続けている。節目節目をやはり感じる。20周年。死者たちと孫、家族、遊声塾を含めた 現世の面々が私に力をくれる。あらゆるこれまでに縁のあった方々と、意外性のある面白い一隅を照らす企画を9年ぶりにやりたくなってきた。微力を尽くし今を生きたい。