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2019-10-01

市民手作り映画私の出番の3回目の撮影が無事に終わりました、そして想う。

一昨日の日曜日、日本代表がアイルランド代表に歴史的な大勝利をおさめた翌日、実に気分良く私は市民手作り映画の3回目の撮影のために、長島愛生園のある島の突端に、かってあったという新良田高校跡地に、今も残る講堂に午前9時過ぎに集合した。

その日は、台詞のないボランティアの(参加者全員がボランティアだが)エキストラ、スタッフ含め50人近くが参加し、まず入学式シーンが午前中撮影され、昼食後は生徒たちと面談シーン、話し合いのシーン、最後生徒たちとの抱擁のシーンが撮影され、私は夕方4時過ぎまで現場で過ごし、私のシーンのというか、シナリオのかなめのシーンをほとんどとり終えた。

いきなりはじめて出会う(何人かには2回目の撮影の時に会っていたが)生徒さんがかなりいたのだが、まな板の上の鯉ではないが、監督の指示通りひたすら集中し、生徒さんたちとのコミュニケーションに、エネルギーのかなりをそのことにのみ費やした。

繰り返し、恥をさらしてコミュニケーションに努め、シーンが進むにつれて緊張もお互いにほぐれ、徐々に徐々に笑顔も増え、撮影は思ったよりも順調に進み、私の出番は終わり、最後にその日の出演者との記念撮影の時には笑顔がはじけた。
この写真をアップするのは2度目である

もう私の出番はあとわずか、またいずれ五十鈴川だよりでゆっくりと書くこともあるかもしれないが、この日ちょっとうれしいことがあった。生徒会長役の高校2年生の男子生徒から、一緒に写真を撮りたいとの申し出があり、撮影の合間に、本当に久方ぶりに現役の高校生と直に話をしたのだが、いきなりどうしたらあんなに堂々と演技ができるんですかと、訊かれたのである。

簡単には答えられない、言葉では何とでもいえる気がするが、また試写会などで会えると思うので、またゆっくり話そうとだけその場では伝えた。世の中に出てわたくしごときでも、ささやかに(おそらくどんなひとでも)多くの生き恥をさらしながら、そして今も恥を忍びつつ生きている自覚のある私には、自分の弱さから目をそらさない勇気のようなものが不可欠なのである。

ともあれ、隔離された長島愛生園のかってあったという、敷地の講堂で時間が逆戻りしたかのような場所で出会った現代の高校生徒の方々と過ごせた、普段とは異なる休日の一日の意味、有難さをきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。

1 件のコメント:

  1. 今日ある企業様に訪問して、ちょこっと改善をしようとしたら、まるで大人が子どものように駄々をこねてイアイヤするのであった。あまりにも唐突でビックリしてしまったほどだ。30代のように思われるが、まるで小学校の低学年の悪ガキのような態度だった。

    戦後アメリカのGHQの指図で、道徳教育が廃止されてしまいました。大家族の結束力や代々の言い伝えや躾をさせましとしてきた目に見えぬ悪しき習慣がはびこるようになったと感じました。

    師の思うは、想うになっています。とても共感します。思うより深いのです。
    この前の劇の時に、師は右手を握り、さらに人差し指を一本差し出し床に突き刺そうとして、台詞を腹の底から地面に突き刺すように捻じり込んでおられました。

    わかるなあ、その氣もち。台詞を読んでいるではなく、訴え突き刺す感じだった。
    伝えたいという意志が、高校生の若者にも通じたのだろう。熱意というより、情熱だろう。それが共感を生み伝播すると思った。

    8人の仲間は、素敵な空間と時間を共有化されておられます。すごく大切な時間と空間です。大いにお楽しみください。その成果を、ぜひとも味わいたいものです。

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