思わず見とれ、そのままおはぎを買いにゆき、家の戻って夕飯前妻と共に中秋の月を眺め、夕飯の後二人で 食した。
これが雨だったら月は望めなかったので、ただ単純に嬉しかった。このところお天気に恵まれていたので、徐々に月明かりがまし、フルムーンに近づく姿をひそかに楽しんでいた。
できることなら老いの楽しみ、毎月一回その神々しい光を浴びたいものだと、小生は願っている。さて珍しく真夜中五十鈴川だよりを綴っている。夕飯後いつものように早めに床に就いたのだが、目が覚めたので起きて外に出てみたら、月は中天に移動し煌々と真白き光を放っていた、寸暇月光浴。
最近高齢で素晴らしいお仕事をなさって方の本に惹かれる |
しっかり目が覚めたので、月明かりで何とはなしにリビングが明るいので、夜中だし電気はつけず、感覚を研ぎ澄まし、明るい闇の中で弓の素引きの稽古を10回ほどやってみた。(いったいこの初老男は何をやっているのだ)
漆黒の闇であったらまず不可能であるが、満月の夜なら闇の中での、瞑想的な弓の稽古が可能であることが分かった。(もう好きなように時間を生きるのである)
大方の現代人にとっては、闇は恐ろしいという感覚が大勢を占めるに違いない。私だって闇は怖い、小さいころの記憶の原風景の夜は、まだ裸電球のみが灯る(くらいの)明るさで、闇の方がはるかに勝っていた。
街が都市化され超速の照明の変化、家がの隅々までが明るくなり、人間の中に闇に対する恐れが消え、コンビニはいつも明るく、昼と夜の境界が消えつつある時代が訪れている。
だが、絶滅危惧種的な感覚を持つ私は、あの恐ろしいまでの雨の日の漆黒の闇の幼年時代の記憶を忘れることができない。光と闇のバランスが 崩れたら、おそらく人体もまたなにがしかの異変が起きるのではないかと、アナログ初老男は月明かりのもと、あらぬ不安を抱く。
あらゆる文明は、行き着くところまでゆくのであろう。満月の明かりは初老男を不安にさせる。不安を消すには、真夜中の弓の素引きはまたとない特効薬である。
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