寝ることが私は好きである。昼寝もよくする。よく体を動かして、精神もよく動かして、欲するものをよく食べ、よく眠る、これが今のところの初老生活でのわが心得である。
雨上がりの今朝、犬のメルを伴い運動公園へ。裸足での軽いジョギングののち(約20分)その後40分ほど、声出し。ロミオとジュリエットの2幕を読む。
朝一番の声出し読書は、部屋の中での読書とはやはり異なる。よく休んだ脳は、新鮮に文字を追う。緑の芝生に残る水滴に朝日が当たり 、宝石のように無数に輝く、雨に洗われた樹木の無数の葉が朝日に照り輝き、見上げると青い空、これで気分がよくならないわけがない。
私がジョギングや声出しをしている間、つないだ愛犬メルはじっと木陰で私を眺めている。我が家から一キロくらいの距離にある運動公園と図書館は、私の心身の調節機能空間として、晩年ライフの必須トポス、居場所である。
もうほとんど内容は忘れてしまったが、本のタイトルはよく覚えている。若いころ粋な方だと憧れた、植草甚一さんという方の本に、【僕は散歩と雑学が好き】という本があった。
今ときおりそのタイトルを思い出す、こころと足が動く間は、よしんば声出しや、そのほかの楽しみがかなわなくなっても、散歩だけは生涯の友としたいと念ずる、自分がいる。
散歩の延長が旅である。もうなくなったがBSのNHKでわが心の旅という、私の好きな番組があった。若いころ過ごした思い出の地を再訪するという旅番組である。私にも再訪したいところがある。それは生まれて初めて海外自費留学した 思い出の地ロンドンである。
ロンドンの北、地下鉄ノーザンラインで20分くらいの、スタンモア駅から歩いて15分くらいのところに私は下宿した 。ミセス、ウォルトン未亡人が一人で住む一軒家の一室を間借りしたのである。
18歳で上京、試行錯誤の後、25歳で初めて手にした自由時間、まさに水を得た魚のようにおのぼりさんロンドンライフを、私はどこかに異国暮らしに不安を抱えつつも、満喫した。
我が家の夏の最後のひまわり |
あの青く純粋なロンドンライフ(一年4か月を過ごした)があったればこそ、私は何とかその後の 人生の試練を乗り越え、今を生きていられるのだという実感がある。
話がそれた。私はおそらくこれからますます思い出を、よすがとして初老生活を送ることになるような気がする。
だがそれは単に思い出に、耽溺するのではなく、これからの人生時間、時に首を垂れるように思い出し、明日を豊かに送るための栄養剤のようにできるのではないかとの、淡い思いがあるのである。
失念したが、女性の高名な児童文学者が、青少年時代の思い出が豊かなヒトは、豊かな老年時代を送ることができる、との言を読んだことがある。
そういう意味では、うれしいこと悲しいこと、数々の思い出が私の脳裡にはしまわれている。ありがたいことである。
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