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2018-09-20

秋の深まる雨音を聴きながら、想う。

秋の深まる雨音が体に優しく染み入ってくる朝のいっときである。雨が降ると肉体労働はお休み、一人きりの晴耕雨読時間がやってくる。ありがたいことこの上なしである。

何やら達観してきたわけではないのだが、五十鈴川だよりも、マンネリ化してきつつあるのは、否めない。だが、いま私はマンネリ化をどこかで楽しんでいる。

ほとんどは自問自答、精神調整的な綴り方を、己に課しているかのような五十鈴川だよりなので、今後もおそらくよたよたとではあるが、つづりたいという内なる情熱が続く間は、我流自然に、奇をてらわず平凡を、低きに向かって流れたいとおもう私である。


塾生一期生のY氏に頂いた秋の実り
晴れた日の平日の午前中は、肉体労働に従事し、水曜と木曜日の夜はシェイクスピアの言葉を声に出し、土曜日の夜は弓道教室、日曜日は家人としての役割を果たすべくこまごまとやるべき季節的な家事をこなしていると、一週間は瞬く間に過ぎてゆく。

何をするにも、集中力、持続力をキープするには体の健康がすべてである。だからなのだ、初老生活で私が肉体労働をするのは。

汗をかく、無心になる、ある程度の負荷を肉体に賭けながら、一定のコンディションをキープするには、それなりの日々の暮らし方のやるべき時間配分を、体調と相談しながら、努めないとまず無理である。この年齢になるとそのことの肝要さが、しみるように自覚できる。

同じようなことの繰り返しの中での、日々の蓄積にしか、思いもかけないことは起こりえない。日々同じようなことが、(でもそれは同じではない、肉体は日々生成され生まれ変わる)今日もなんとかやれたということの安ど感の中で眠りに落ちるささやかな幸福感。

さて、読書の秋である。猛暑であるにもかかわらず、この夏はよく本を読んだ。(良き読書は次々に本が本を呼ぶ)自分にとっての良き本に巡り合うと、ささやかな幸福感に満たされる。

本はまさに想像力の源、精神のビタミン、雨の日の午前中 活字世界に身も心もゆだねることにする


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