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2018-09-02

望晃くんがやってきて九日目、そして想う。

あの灼熱地獄は、いったいどこに行ったのかと思えるほどに、朝夕は幾分涼しくなり、過ごしやすくなった今朝である。

流れるように時が流れ、早9月、正直どこかにまだ夏の疲れが、のこっているかのようなわが体であるが、その体と自問自答しながら過ごしている。

さて昨日、やろうやろうと思いながら 、夏の暑さ、リアの発表会などを言い訳にやらなかった、我が家の収穫を終えた、トマトや野菜、庭の雑草ほかを引き抜いて片づける作業を、午前中一人で、小雨の降る中続けた。かなりはかどり気持ちが落ち着いた。

何事も手入れをしなかったら、荒れ放題の庭になる。体だってきっとそうなのである。

今日も五十鈴川だよりを書きあげたら、午前中は枝の剪定や、草取りをするつもりである。30過ぎまではまったく苦手だったことが、苦手でなくなったのは、富良野塾での体験や、中世夢が原で、体を動かし続けたことが、いつの間にか私を変えてしまったのである。
野菜の枝葉他

今現在のわが体は、ありがたいことに声も出せるし、弓も引くくらいの体力をキープしている。一日でも身の回りのことを、きちんとひとりでできる日々を持続するためにも、ある意味では最も大切な雑事を、あだやおろそかにはしたくないと思うのである。

歳と共に、普通にできることの当たり前の有難さが、にわかにしみるようになってきた。当たり前ではないのである。

ところで、今日で九日目だが、たまさかの、孫の望晃くんと娘、我々夫婦とでの4人暮らし、中心はやはり孫である。詳細は割愛、孫の命の日々の変化の精妙さに、おじじは驚くばかりである。

天然、自然の、まろやかな表現、声の響き、泣き声が日々、我が家に満ちる。それを一心で受け止め、対処する娘の姿には、頭が下がるほどの、揺るぎのない母性が存在している。

あの小さいころの、わが娘の面影は、いまだ容易に思い出せるが、母となった娘は全くといっていいほどに、どこか遠くに行った見知らぬ人、と見間違うほどに成長している。望晃くんは日に何度も娘の子守唄で、安心して眠りに落ちる。

望晃くんの足

赤ちゃんは日々変化する。この歳になってますます感じ入る。赤ちゃんという最も大事な、人生の始まりの二度とない大切な時間の過ごし方がいかに大切かということを。

昨日午後2時、NHKのBSで動的平衡で著名な、福岡伸一先生の最後の講義という番組を、全員で視聴した。

一年でほぼ全部の細胞が、入れ替わるとのことである。食べ物で入れ変わる人体、命。いまだ解明しきれていない命の不可思議なメカニズム。自然、宇宙の精妙さは、どこから来たものであるのか、 望晃くんを眺めながら、いまだおじじは、殊勝で厳粛な気持ちにさせられる。

もうあと一週間母と娘は我が家にいる。この時間を大切にしたいとおじじは考える。

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