以前は、ずいぶんといろんな情報に、一喜一憂したものだが、歳を重ね面の皮が厚くなったのか、又は感性が鈍くなったのか(おそらくは後者だろう)は判然としないが、あらゆる情報には懐疑的、振り回されなくなってきた。肝心なことは、画面や、紙面の中ではなく今の私には足元にあるのである。
アンソロジー、すぐに読めるが内容は重く深い。 |
ところで、8月末から、正確には9月から週に四五日、(半日だから引き受けた)午前中だけの肉体労働の仕事が、とある方からの紹介で舞い込んできた。五十鈴川だよりに書くのは初めてだが、今日は雨なので、仕事がないので五十鈴川だよりが書ける。(うれしい)
小さいころから、私は体が弱く痩せていて、夢想的な子供であった。世の中に出てあらゆる試練の中で、世の中にもまれるにしたがって、少しずつ少しずつ体が 普通の丈夫さになってきたように思う。そして精神も鍛えられた。
何度も書いているが、わけても肉体労働ということに関しては、相当なコンプレックスを若い時から持っていた、割愛するが、今では青天井の下(天と地と自分がつながっている感覚)体を動かすことが最も気に入っている自分がいる。人間は変わる、だからこそ素晴らしいのである。
この歳になり身体が動き、お声がかかるなんてことが、私にとっては冥利である。若いころ、演劇世界に夢中になり、あらゆるアルバイターをこなしてきたおかげで、私には労働に対する貴賤的な感覚が、ないというより薄い。
まだ舗装道路がなく、機械化される前、小学校の行き帰りに観たお百姓さんや、漁師さん、職人さんたち第一次労働に従事する田舎の人々の姿が、私の働いている大人たちのイメージの原点である。(鍛冶屋、畳屋、鋳掛屋、皆カッコよかった、貧しくともおっとりのんびり、人間らしかった)
あの方たちには、直接的間接的に お世話になった愉しい記憶がある。記憶満載のわが小学校時代。今となっては、まさに夢のようによみがえる。それがいまはない、ああ、何という寂しさ、悲しさ。今の子供たちはどのような思い出を大きくなって持てるのであろうか。
話を戻す。体を張って銭を稼ぐ。自分という肉体が動く間は、わずかでもいいから、一日でも長く動かしたいと思い始めたのは、望晃くんの力がやはり大きいといわざるを得ない。
私は、身体を張って働いている人たちにシンパシーを感じる。明治生まれのサトばあちゃん、私がもの心つくころには床屋さんの仕事はやめていたが、恵じいちゃんも芸術や文化的な事とは、無縁な世界でひたすら家族のために動いていた。
真っ当という言葉以外にない、家族のためだけに働いた、普通の人たちの原風景の面影が、歳を重ねるにつけて蘇る。
わが先祖宇納間村。戦前まで、病院もないような村でわが先祖の人々は暮らしてきたのである。そのことの重さを、ようやくにして感じる。
働ける重さを感じながら、祖先に想いを馳せ、望晃くんの未来にも想いをはせる私である。
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