が、寂しいという感情には程遠い、肉体労働を始めたためか、以前にもまして体調に気を遣うようになってきたためか、あるいは、ゆるやかに生き方をよりシンプルに整理し始めたせいなのか、体調がことのほかいい。
さて、週に3日働き始めたために、妻が お弁当を久しぶりに作ってくれるようになって、自分でお昼を作るのは、水木の二日間になってしまったが、以前にもまして、私は料理というには程遠いが、自分流のお昼ご飯を、作って楽しんでいる。
読書の秋、大変感動しました。 |
圧倒的に麺類が多いのだが(野菜焼きそば、野菜うどん、野菜ラーメン、野菜スパゲッティ、野菜カレー、プラス果物、などなど、)とにかく、やはり何事も続けることが肝心の要諦。
そして、ことのは始めは必要に迫られてにもせよ。苦手と思い込まないことが肝要、とても大切だ。
この歳になっても、苦手だと思っていたことが、意外と好きになる、というほどでもないが、苦も無くできるようになってきたりするのは、思わぬ喜びの一つである。
歳と共に動きや、反射は鈍くなってゆくのだけれども、何事も経験や蓄積が、やはりここ一番ものをいうのだ。脳のニューロンというのか、よくは知らないが、料理をするのは、段取り 、いろいろ考えるし、何よりも旨いと、毎食感じられると、次はもっとああしよう、こうしようといういい意味での欲が湧いてくるのだ。
人間には、いろんな欲望が渦巻いているが、可能ならいい意味での、シンプルで、晩年時間ならばこその、下り坂時間を楽しめる未知の欲望を深化させたいと思う最近の私だ。
それは料理にとどまらない。生活の雑事一般すべてのことに言えて、すべてをまめに丁寧にやれるようになったら、生きていること自体が、とても楽しくなってくるのだ。まったく予期しなかった生活些事をもっとこなしてみたくなってきた私である。
数年前、家の外壁を自分で塗ってみてわかったのだが、かなりのことが自分でやれるというということの発見、そして何事も自分でやれれば、つましくもかなり充実した面白い、ジジイライフを送ることができるのだ。
まずは基本は健康に動けること 。その基本を支えるのは食である。食欲の秋、肉体労働を始めてから、ことのほか夕食が楽しみである。妻と娘で、手早く調理してくれる。
労働をした後の、夕飯はことのほかにうまい。3人で食卓を囲み、時折母も加わる。団欒食事、生きている今、小さい秋を日々いつくしむ私である。
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