一雨ごとに、季節が進み秋が深まり、人間界のかまびすしさをよそに、自然界は確実に移り変わっていく。
雀位一羽落ちるのも 神の摂理とは、ハムレットの有名な言葉だが、落ち葉一枚落ちるのも同義である。
ちょっと話が飛躍するが、生老病死もまた、神の摂理である、と小生は考える。だからこそ、生れ落ちた、選べぬ運命の(命を運ぶと書く)尊さ、または苛酷さを厳粛に受け入れる、勇気が必要だと、今は考える。(実際そうなったらじたばたするにしても)
まったく生きてゆくことは、厳粛な綱渡り(大江健三郎氏のエッセイのタイトル)であると、この年齢になると、この言葉がますます染み入る様になってくる。
肉体労働を終え、自転車で家に帰ると、同時に妻(ようやく体調が少し戻りつつある)が仕事から帰宅した。犬のメルの散歩がてら二人で、図書館に本を返しに行ったのだが、瞬時雨が上がって見事な日没時の夕焼けを愛でることができた。
このところ 土曜(夜の弓の時間以外)日曜日は、ほとんどの時間を妻と共有しているが、土いじりなどを含め、伴にやれることがあるのは有難きかなである。
妻と出合った日、我々は共に、アルフレッド・ヒッチコック監督がインタビューに答える、ドキュメンタリー映画を見ていた。今でもはっきりと覚えているのだが、あなたにとって幸せなひと時とは?という問いに対してヒッチコックは、日没を眺めているときですと応えたのだ。
緑化公園で拾ったプラタナスの落ち葉 |
以来、日没を眺めるときに、特に還暦を過ぎてからというもの、染み入る厳粛性は毎年深まってゆくように思えるし、落ち葉の季節の夕日はなんとも言えない。
ところで カズオイシグロ氏がノーベル文学賞をとった、知らなかったのだが【日の名残り】というフィルムの原作者であることを知った。
アンソニーホプキンス主演であったと記憶する。私好みのフィルムだった。初老の男が田舎での別荘で暮らす 淡々とした何気ない日常生活が描かれているだけのフィルムであったと記憶する、細部は忘れてしまったが、忘れられないシーンがある。
メイドが夕刻、窓を閉めようとすると、まだ陽が残っているから閉めないでくれ、と語り掛ける、窓からの日の名残りに魅入られる、アンソニーホプキンスのクローズアップ。今の私の年齢でもう一度見たいフィルムである。(原作を読もうと思う)
多くを語らない、観客の想像力にゆだねるフィルムが私は好きである。秋、これまで見た私の好きなフィルムをもう一度、DVDで見たいものだ。
かまびすしい世界から、精神の別荘世界へと、束の間隠遁生活へと、あこがれる初老の秋である。
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