地球は自転し、万物は移ろい歳月は流れゆくが、以前から書いているように、私には晩年時間を、あのように過ごせればいいのだというお手本がある。
亡き両親の晩年の過ごし方と、義理の母の生き方、暮らし方である。 本当にありがたいことに、84歳の母は、いまも元気でひとり暮らしをしながら、そっと私たちの暮らしを遠巻きに見守りつつ支えてくれている。
このご時世、まったくもって有難きかな というほかはない。なるべく少しでも母のように生きることを実践することができれば、まさに清貧の豊かさも、ここに極まれりということになる。
今の私には、なかなかに難しいことではあるものの、なるべく家族や社会に迷惑を(やがてはそうはゆかなくなるにしても)かけないように生きてゆければという、淡い望みは持ち続けたく思う、今の私である。
さて、肉体労働者に、週3回ではあるが、なったことは前回の五十鈴川だよりで触れた。この年齢で、私にとってはなかなかに大変であるということも書いた。
穴の開いた作務衣を母が見事に野良着にしてくれた。 |
だが先のことは考えず、私はただやれる範囲で体を動かし、あまりにも世代の異なる未知の人たちと出合い、いうに言われぬ未知の時間を過ごしている。
なかなかにスリリングである。いつまでできるかはわからないが、会社に使ってもらえるのであれば、その間は、体を動かし続けたいというのが正直なところ(リストラの可能性だってある)だ。
日中は、外で体を動かし、おいしくご飯を頂き、日が暮れたら、疲れた体をゆっくりと休める。もうこの年齢になるとこのシンプルさがたまらない。
7日のうち3日働き、ほかの4日を自在に過ごせれば、いまのところ、これ以上の過ごし方は望むべくもない。
18歳から世の中に出て 、生きるがためにいろんな仕事を経験させてもらって、なんとか今を生きているが、改めて労働のというか、仕事についてというか、つまりはヒトは何をもって労働に生きがいを(特に私の場合)持ちつつ、エネルギーを持続できるのかを、私は考え続けている。
その考えを書くことは、面はゆいので控えるが、私は内的にささやかな幸福感というものが、実感できないければ、きっと五十鈴川だよりを書くことはないだろう。
母は言う、こころが貧しくなってはならないと。何十年もつましい暮らしを実践してきた母が言うから言葉に重みが伴うのだ。(空虚さが飛び交う政治家の言葉にはほとほと愛想
言葉は生活の実践の裏付けがなければ、虚空に消える。みずみずしい言葉をわが体に取り戻すには、どうしたらいいのかを、ささやかに考えつつ実践したい。
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