ただただ単純に、毎週毎週、あの膨大な作品群の膨大な長いセリフの、言葉言葉を声に出している。なぜ今、自分がこのようなことにある種の情熱を傾けているのか、ようやくにして少し考えてみる。
それはきっと27歳で(最年長でした)文学座の俳優養成所を経たのち、シェイクスピアシアターで3年間明けても暮れても、アルバイトに明け暮れながら、30歳まで口を動かした、あのギリギリの経験があるからなのだと思える。(おもえば18歳で世の中にでていつもギリギリのところで何とかしのいで生きてきた感が否めない)
高村薫さんや団塊世代の本をこのところ読んでいる |
人は 追い詰められ、ギリギリの場面になると思わぬ自分が生まれてくるという経験を始めて、演ずるという行為を通して学んだように思う。(ごまかせない何かが生まれてくる)
結局体が悲鳴を上げ、蕁麻疹が出たのを機に 大転機をむかえ、わが体と心は、青春時代最後の大勝負、富良野塾に(ここでも最年長でした)向かうことになるのだが、ここでもまたギリギリまでわが心と体はそれまでの人生では経験したことのない試練をあたえられる。(いまとなっては青春最後の宝)
その後、一人の女性とのご縁から私の人生は一気に安定するようになって今を迎えているのだが、夢が原退職後の今後を考えた時に、逡巡の果てに思いついたのが、シェイクスピアを今再び声に出して読んでみようとの、自然な思い付きの流れだったのである。
夢が原での企画者としての仕事が長かったので、いつしか自分でも忘れそうになっていたが、自分の一番得意なことは、シェイクスピアシアターで習ったあの声を出すことではないかと、はたと思い至ったのである。
よもやまさか5年間も塾を続け、(このような私のきわめて個人的な塾に数は少なくとも参加してくださっている塾生のおかげもあるのだが)られていることに関して、時折不思議な思いにとらわれるが、五十鈴川の流れのごとく、紆余曲折の果てに65歳の夏、ささやかに情熱を傾けられる心と身体があるということの有難さが、しみるのである。
この世に生を受け、たまさか出会えた貴重極まる塾生と声を出しあいながら、玉響の時を過ごせるなんて、至福である。そして、このようなことがいつまで続けられるかはまったくわからないが、とりあえず、いまはでる声と体にしがみつき、今しばらく声を出す暮らしを続けたく思う私である。そして、声が出せなくなったら、潔くあきらめようと思う私である。
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