昨日は、朝一番弓にゆき、(1時間)そこから竹韻庵に向かい、(2時間半)帰って昼食を妻と共に二人で済ませ、昼寝(1時間)ののち、来ていた母の指導のもと3人で穴の開いた(猫の花がよじ登り破いた)網戸の修理をした。
まさか、このようなことまで自分でできるようになるとは思わなかったが、母に言われる通りやってみると、これがぶきっちょな私にもできたのである。
何事も案ずるよりも、まさにやってみることにしくはなし、である。徐々にコツがつかめると愉しくなってきて、ものの30分もかからずにピーンと張りのある網戸が完成した。ささやかな喜び。
その後、雑事と読書のあと、早めに簡単に夕飯を済ませ 、弓道教室に出掛けた。(18時半から20時半)そしてちょっとうれしいことがあった。
前書きを読んですぐに買いました、新幹線の中で読みます |
約4カ月以上、弓を持たないで、想像上の素引きの稽古に始まり、一月後くらいから弓を実際に持っての素引きの稽古を続けて4か月。
ようやく昨夜、実際に矢を放っての、巻き藁稽古のお許しが出たのである。これから、実際に矢を放つ巻き藁稽古ができるのだ。私にとっては大きな喜びの日となった。
この4カ月、本質的に怠惰で飽きっぽい私なのだが、時間は短くても 自主稽古によく通った。その成果の巻き藁稽古のお許し。
この年齢になると、打ち込めることがあって、気分良く体が動け、こころに不安要素なくば、日向灘育ちの、能天気な私は極楽とんぼ気分なのである。
日々伝えられる、世相の暗いニュースの多き中に在って、いかに自分自身の生活を、ささやかにではあれ社会の片隅で、明るく充実した一日を送れるのか、送れないのか 、自分自身と問答するしかないのだが、その問答をするのには、弓の稽古と、野良仕事、声を出すことは最適であると確信しつつある。
とくに弓は、立禅ともいわれるらしく、こころとからだを、研ぎ澄まさないと矢が放てないので、私のような極楽とんぼ的人間には、はなはだ修養を要する。おかげさまでこの年齢で弓の稽古ができることの、ありがたさを噛みしめながら、一日の終わりの帰路についた。
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