これほど情報科学が発達したにもかかわらず、国民の思考力度が増したのかどうかはやがて歴史が証明するだろう。個人的に歴史的岐路に立たされているかのような重大な法案が、次々と多数決のごり押し論理で決められてゆく。あたかも国民の意志であるかのように。
ごまめの歯ぎしりのように、だが絶望はせず、五十鈴川だよりに、きちんと、やがて狂暴化してゆく可能性のある共謀罪については反対の旨きちんと再び書いておきたい。(それにしても何と悪が勢いを増してゆくかのような、陰鬱な出来事が続くご時世であることか、身の回りくらい悪を避ける知恵を張り巡らせないと)
私を含め大方の人間は、今日のような日が明日も続くであろうことを、どこかで祈りながら生きているに違いないが、やがてこのまま安穏と考える力を身につけないまま 、権力者たちの思うがままにさせておくと、先の大戦のように、そのつけは大方の国民の上に降りかかるのは、歴史が証明している。
話は変わる。詳細は省くが、昨日午前中たまたま、琉球世界が生んだ、偉大な芸人、照屋林助さんのNHK再放送ドキュメンタリー を見た。深く胸を打たれた。(夜はほとんど私はテレビを見ない)
その数日前に、金城実氏という沖縄が生んだ凄い彫刻家の作品世界のドキュメンタリーも、たまたま同じ時間帯に観たのだが、これもすごかった。魂の慟哭。是非その作品に触れるつもりだ。
おごった 権力者たちには見えない、底辺社会にの民の声なき声を、広い救い、芸能の神として伝える、真の芸術家、芸能者の存在をまざまざと視た。
沖縄での唯一の友である桑江良健氏は、これらの沖縄が生んだ偉人の系列に連なる人であることを、確信した。
母が育てたゆり芳香が漂う |
わたくしごと気に、何ができるかは全くわからないが、これらの少数マイノリティの声なき声の側に私も身を置きたいとの念が、静かに湧いてきつつある。まだまだわたしの血と肉は生きているのである。
わずかな一握りの人間に富が集中する、狂乱資本主義、弱い邦や、弱者切り捨て、あまりの経済格差や理不尽さ、不条理にたいして、五十鈴川だよりを書くものして、ちょっとまってよ、ということぐらいはきちんと書いておかないと寝覚めが悪い。
ということで、明日日曜日から火曜日まで上京することにした。神奈川近代美術館葉山での、砂澤ビッキ展の最終日が18日までなので。
このような偉大な芸術家の存在を、たまたま必死で知らせてくださる方と の出会いが、私を葉山まで向かわせることになった。
0 件のコメント:
コメントを投稿