特に65歳になって思うのだが、その気持ちの変化は、ゆるやかにゆるやかに流れながら、ある日突然決壊するかの如く変わってゆく。
親子関係も含め、あらゆる関係性が流れながら緩やかに変容してゆく。これがいわば自然で人生というものの、あるがままの無常という真実である、といまは受け止めるしかない。
長女が数年前結婚し、次女がいよいよ独り立ちし、岡山市内で近々自活を始める。私はこれを応援している。寂しくはなるが、子供が家を出て巣立ってゆくのが自然の摂理 だからである。
いよいよ夫婦二人での暮らしが始まる。私はこれを新しい始まりとして受け止めながら、日々をいかに生きてゆくか、思考を続けたい。
ようやく石牟礼道子さんの御本を手にする年齢になりました |
いま、私の脳裡に浮かぶのは、晩年の父母の姿である。父は生きてゆくのが、はなはだもって不器用な性格であったが、私はその父の遺伝子を強く受け継いでいるなあ、と歳を重ねるにつけて思い知る。
晩年生活、父はどこに出掛けるにも母を伴っていた。長女が生まれたばかりのころ、世田谷の小さな2Kの団地にも母と共に来てくれたことがある。あのころの父は私とまだ口論できるくらい元気だった。
1998年、母がなくなった後の父は、まるで戦友をなくしたかのように元気が なくなってゆき、2000年あとを追うかのように旅立った。あれから17年の歳月が流れた。
少年時代から思春期まで、ゆく手に立ちはだかる大きな壁のような存在であった父たが、思うに父の存在があったからこそ、なんとか私自身今をこうして生きていられるという、そのことが身に染みて覚る。心から感謝している。
ぼんやりとだが、あの両親のようなイメージで、私も妻と共にこれからの人生を過ごせたらいいなあ、と思う。果たしてどのようになるのかは、神のみぞ知る。
この歳だから恥ずかしげもなく臆面もなく書けるのだが、ヒトは時代の異なる千差万別の家庭事情のなかに生を灯す、選びようがない。何という過酷で厳粛な事実。
現在私には妻の母しか親がいないが、その母が元気でともに近くで暮らしていられる幸運の重みは図りれない。
とりとめなき、梅雨の朝のブログになったが、ご容赦を。