昨夜は遊声塾のレッスン日だったが、珍しく男4人に女性ひとり、私も含め6人で充実した稽古ができた。
お仕事柄月に一度しか参加できない、香川からのI氏の参加もあり私としてはやはり参加メンバーの、情熱の発露次第でかくも雰囲気が変わってくるということをあらためて知らされたし、ともかくおもしろかった。
塾生一人一人が私に火をつけるのである。お互いが刺激を受けあうし、6人くらいいるときわめて充実したレッスンができる、理想はそうだがここまでこぎつけるのに丸2年以上かかっている。
何事もままならないが、その間じっとただひたすらレッスン日には、数少ない塾生とともにシンプルに楽しんでやってきたからこそいまがあるのだ、と私は考えている。
もともと、晩年生活をささやかに生きるために、自分自身が無になれる大きな声が出せる居場所が必要だと考えて出発した塾である。
いつまでできるかはわからないが、そんな余計なことは考えず毎週、毎週足元を確認するようにやれるメンバーと、淡々と老いてゆくなか、シェイクスピアを声に出せる悦びを確認したいと思っている。やがてはできなくなる日まで。
そのような思いのわが日々、簡単に記すが今回初めてのチシャトウの収穫をもって農業からは思い切って撤退することにしました。
これはただ単に体のことを考えて出した結論である。夏風邪を 引いてはっきりした、やはり相当な負担が体いかかっていたのだということが。
やはりあれもこれもはできないということだ。考えた末の結論、本当にいろんなことをこの1年8か月学ばせてもらった。そのことに関してはまったく感謝しているし、我ながらよくやったとの思いである。
開墾から初出荷までできたこと、悔いはない。農業に割いていた時間をこれからまた新たにシェイクスピアを読む時間やほかのことにあてられるし、今はすっきりしたおもいで今朝のブログもかけている。
さて話はいきなり変わる。今日はこれから急きょ上京することにした。土曜日、初めて藤原新也さんのオフ会に参加するのと、その前に渋谷で行われる安全保障法案に反対するための集会に参加するためである。(フットワークを軽くするためにも農業をやれない状況も生じてきている )
この数年、個人的に引きこもり的に思えるくらい、静かな暮らしを夢が原退職後はしていたが、そうも言っていられないような政治的な状況がこの国ににわかに漂い始めている今、そう安穏とは暮らしてはいられないといった思いの私なのである。
似たような思いの人たちと私は限りなく連帯したくなっているのである。藤原新也さんの WMの読者の人たちにとても私は会いたいし、岡山でもWM会員のオフ会をしたいと思っている。
思想信条は多種多様であれ、基本的に穏やかな平和を希求する骨のある人間に私は限りなく会いたくなっている、自分を感じる。
この年になっても、心は揺れ惑い時に 震撼とした思いに至るが、胸突き八丁、正念場という言葉もある通り、いざというときに人はどう動くか(動けるか)である。
とああれ、上京への時間が迫っているので落ち着いて書いている余裕がないのだが、何かが終わり、何かが始まる予感がいまはしている。
師であるピーターブルックのいうように、シンプルにヒトとの出会いの中での、自分のこれからを充実してゆけたらこれにまさる贅沢はない、と私は考える。
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