沖縄で夏風邪をひき微熱がいまも続いている。だがずいぶん書いていないので、ほんの少しでもかいておきたい。何とかブログを書く気になるくらいには回復してきたのだから。
那覇を発つころからのどの痛みが始まったのでやばいとは思ったものの時すでに遅し、覚悟を決めて帰ってきた。
沖縄での3日間がきっとあまりにも刺激に満ちていて、わが体が久方ぶりに発熱をしたと、私はどこか能天気に受け止めている。
実は私は扁桃腺が弱く小さいころからよく脹れて40歳ころまで、季節の変わり目や疲労状態が続くと必ず体が発熱して、そろそろお休みしなさいというシグナルを送ってくるのだ。
最近歳とともにあまり発熱しなくなったので、体のセンサーがさびて老いてきつつあるのだと受け止めていた。
だからこの久しぶりの発熱反応は、私にとってはいまだセンサーが生きていることの証で、どこか有難く受け止めているところが私 にはあるのだ。
しかしそんな悠長なことは言っていられないやんごとなき事情が、いい年なのに生じてしまっているわが生活、だからいつもより長引いている。七転び八起の心境をどこか楽しんでいる。
それは、ご存じ畑のチシャトウがぐんぐん伸び私が収穫しないと誰も収穫してくれないからである。沖縄に行っている間にチシャトウはぐんぐん大きくなっていた。
那覇から戻った翌日、のどの痛みと発熱で最悪のコンディションの中私は畑に行き、いつもの倍くらいの時間をかけて、何とか収穫を終え家に戻って横になった。
月曜日は幸い出荷なしだったので、事なきを得、すべてをオフにし終日横になっていた。火曜からは微熱になったものの、のどの具合がいまいちの中、今日も含め出荷のために畑に行き働きながら 体とお話ししながらしのいでいる。
一昨日の夜は遊声塾もあったので、どうなるかと思ったが、塾の稽古が始まったら普段とは違うエネルギーが体の奥底から湧いてきて我ながらちょっと驚いてしまった。
とはいってもそんなに無理はしたくないので、必要なこと以外はできる限りしないようにして、今も身体を休めながら過ごしている。書き終えたら横になって本を読むつもりである、微熱の中での読書もまた一興だ。
だが油断すると元の木阿弥になるので、収穫作業を続けながら、なんとかコンディションが元に戻るまではのらりくらりと自分の体をいたわりながら生活したい私なのだ。
ところで、沖縄の3日間は本当に愉しく意味のある、ゆくべきタイミングに行くことができた素晴らしい記憶の底に残るかけがえのない旅になった。親友K氏にこの場を借りて感謝したい。
体調が完全に 復活したらつたなき拙文をきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。
桑江ご夫妻との異次元の楽しい語らい、親友との辺野古と普天間への旅 、桑江さんの絵を求めたこと。那覇を発つ前にたまたまみた【あの日の声を探して】といフィルムのことなどなど。
お大事になさってください。「愛と暴力の戦後とその後」 読み終わりました。感想は いずれまた。
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