ページ

2015-06-20

沖縄2泊3日の旅、その1.

ようやく平熱に近づきつつある今朝である。熱が出た後の体は何やらすがすがしい。

さて、沖縄初日、那覇は真夏の暑さ、本土とはやはり気候が異なる。親友K氏とはケータイの電波の不都合で那覇空港での再会は叶わず、那覇の県庁前のモノレールの駅での再会となった。(桑江さんの個展はその駅のそばのデパートの5階で開催されていた)

那覇空港は軍事基地である。そのことをあらためて思い知らされた、日の丸を掲げた、自衛隊機が間断なく目に入った。ケータイの電波が届かないわけだ。

沖縄県は日本の中のまさに基地の県なのである。漸くにして、私も一人の日本人として沖縄の置かれている状況が、どのような歴史の上に現在あるのかを、この目で肌で爪の垢くらいには認識しておかないと、という気持ちになっている。

それは、沖縄にかけがえのない友人ができたことに由来する。まず良健さんの絵を見ること、そして彼らから直接謙虚に沖縄の思いを聞くことが、今回の旅の大きな私の目的。

無知は恥ずかしいことではない。これだけいろんな情報が新聞紙面でも常識的に大きく伝えられているのに、何も行動を起こせない自分ではありたくなかっただけである。

駅で落ち合った我々は、真夏の日差しの中即桑江さんの個展会場に向かい、まずはご挨拶。

新しい100号の人物絵を6点、お父さん、お母さんの肖像画、ほかを見た。絵のことは門外漢の私だが、独特というしかない桑江さんの絵は人物が生き返ったかのように存在感が、あった。

歴代の沖縄県知事と、沖縄の芝居し(役者)、両親の顔が、桑江さんの絵筆で、沖縄の歴史上の欠かせない人物として蘇えり、絵画の中でこれからの未来時間を生き延びて ゆく、心血を注いだ仕事が私の眼前に在った。

自分の絵が、沖縄の絵画の歴史上に残る仕事をしたいという、ただ苔の一念で青年時代から、独学で絵を学び、パリを中心に世界を放浪ののち、沖縄の指人形の名人純子さんというこれ以上は望めない伴侶に巡り合い、数十年沖縄に腰を落ち着けて絵を描き続ける希代の画家、桑江良健氏 。

生れ落ちてから背負っている何かが、わたくしごときとはまるで違うのである。そのことをあらためて絵を通じて私は認識しなおした。

以前よりいくばくかは深く絵を感じることができる自分がいて、理屈はともかく今現在の良賢さんの絵を沖縄まで見に来たことは、正解だった。

夜また会う約束をし、昼食がまだだったので親友K氏とともに昔いったことのある県庁の近くのダルマ食堂で遅めの 食事。

おばさん二人でやっている。500円以上のメニューはない。ビールも何もない。食べ物屋さん、素晴らしい。那覇に行くことがあれば、必ずゆきたい、また来ようとK氏と 話した。

二人して沖縄そば、なんと400円。昔とまるで違っていなかった。国際どおりは限りなく観光地化されているが、ちょっと裏通りに入ると私好みの人間臭い庶民ゆきつけの店がたくさんあって、私の心は限りなく落ち着く。

夜は桑江さんご夫妻が、我々をマキシの市場の近くの居酒屋に連れてってくださり、おいしい沖縄料理とお酒でもてなしてくださった。お刺身、チャンプルー、もやし炒め,(もやしが絶品)醗酵した豆腐、カツオの塩辛、最後のおじやまで、すべておいしかった。

これまた再び行ってみたと思わせるほどに感じのいい年配のご夫婦がやっている地元の店で、桑江さんたちのおもてなしがしみた。旅人気分は一気に盛り上がった。

愉しい再会の宴、語らいは深夜まで続き 沖縄への久方ぶりの旅の初日は瞬く間に過ぎていった。

遠方の友との君子の交友は、まさに人生の最高の贅沢というほかはない。現地で会い語る、沖縄のことは、沖縄の友と語らないと何も見えては来ない、そのことがしみた夜となった。




0 件のコメント:

コメントを投稿