初めてロンドン暮らしをしたときに、異国の地でいやというほどに、自分は日本人なのだということを、骨身にしみて思い知らされたことが、その後の日本に戻ってきてからの、自分なりの生き方を変えたのだということが、この歳になるとよくわかる。
ブログで書くことは、時間的にちょっと無理だが、一言でいえば、大きく自分は日本的世界に回帰したということが、言えるかと思う。だからこそ、中世夢が原で働くことができたのではないかという気もする。
異国の地では、パスポートが命綱である。国家の存在というものの、日本においては普段はあまり気にもしないことを、異国の地で暮らすとたびたび自覚させられることになる。その微妙な感覚は、やはり体験しないと、わからない感覚としか言いようがない。
旅をするということと、現地で一年以上暮らすということは、やはりちょっと異なるような気が、私はする。特にビザを延長したりする際の、国際社会の厳しさは、経験しないとなかなか理解されにくいと思う。
よく言われることに日本人は、安全と水はただのように感じている、ということがある。島国のかなり単一的(ではないと思うが)な感覚文化と、陸続きの過酷きわまる国々の文化とは、宗教、習慣、歴史民族的文化、言葉、地理的環境、あらゆることが違うがために、理解するということは、日本に生まれた私の場合は、ちょっとあきらめている。
それは、いい意味でのあきらめとして、である。理解するのではなく、あるがままを受け入れ、認めるということに徹するという態度が、絶対的に肝心なことだという結論に、私の場合達したのである。
いい加減、融通無碍、ファジー、白黒つけない、グレーゾーン、虚実皮膜のま、言わぬが花、間の文化、非対称、何でもアリ、家の畳や、ふすまをはじめ、余白や隙間の私の文才では語りきれぬ独自性は、やはり特殊な気がする。
そのことに若いころ、わずか一年4カ月の異国の暮らしで、身にしみて、身体で腑に落ちたのである。
生活の美とでも呼ぶしかない、オリジナル感覚。四季おりおりの中で、いかに祖先がささやかに、貧しき中でも生を遊んできたかということ。
異国で初めて私は日本的なるものを、相対化できたのだと思う。私自身が、限りなく極楽体質なのは、むべなるかなといったところ。
さて、いきなり集団的自衛権についてであるが、私の個人的な考えは、すでに述べた記憶がある。
憲法改正論議が盛んになりつつある。性急に急がず、私を含めた責任世代は、やはりまずきちんとおのおのが憲法を読み、一人ひとりがきちんと考えないと、と、私は思う。だから、遅まきであれ私も考える。独りで自立して考える。
ヒトは学ばなければ、論議のしようもない。雰囲気で流されては、まずいと思う。いかに、自分の頭で考えられるかだ。それでなくても、私も含めながされやすい体質が、、ヒトの顔色をうかがう風習は、いかんともしがたくこの国では根強いのだから。
戦後の新しい憲法がどのようないきさつで生まれたのかについても、私は詳しく中身も含めて、きちんと学校で習った記憶がない。他の人はどうであろうか。歴史も含め、自分の国の憲法をきちんと教えてもらえない、なんてのはちょっと悲しいし、おかしいと私は思うが、いかがだろう。
ともあれ、ワールドカップやオリンピック報道の、うかれたにぎやかさの背後でいろんなことが、我関せずの間に決められ、きちんと考える力を持たなかった国民がやがてはそのつけを払わせられる、なんてことにはならないようにしたい、と個人的にごまめの歯ぎしりではあれ、思う。
家族も含めた、平和や、穏やかな暮らしは、おのおのが必死で守らないと、誰も守ってはくれないというのは、歴史的な哲理だと私は思う。選挙にも行かない人がこんなにも多く、現実に不満や愚痴をこぼすのは、社会的に大人の態度とはいえない、と思う。
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