介護の勉強が妻のおかげで突然始まり、この夏は全く予定が変わってしまうという、意外な夏になった。暑いさなか重い介護の本4冊とオーバーではなく、私にとってこれまで全く触れることのなかった別世界の内容の本を、ひたすら学ぶという貴重な夏を過ごすことができた。またもや無知を思い知った。
退職後、これからは過去にやってきたことに執着せず、可能ならどんなにささやかでもいいから、新しいこれまでやったことのないことに挑戦しようとの思いが私のなかに生まれた夏ともなった。
明日の修了式で私のこの夏が終わる。ところで私は運転免許を北海道で富良野塾に入る前、31歳の時、歌志内というかって炭鉱町で栄え、今は廃坑となっている、さびれた町にある、自動車教習所で取得した。(その時の経験はいつか文章にしたい)真冬の合宿免許で、運転したのはもちろん雪道、初めての北海道の冬でとにかく寒かった。怖い教官だったが、私が合格すると、良くやったとほめてくれた。
その教官が、もってて損することはないし、富良野で役に立つこともあるかもしれないから、余裕があれば、大型特殊の(トラクターなんかが動かせる)免許も取っといた方がいいと薦めてくれた。いつの日か堅実に暮らす日のためにも、私は言にしたがい取得した。
富良野に行く選択をせず、あのまま東京暮らしを続けていたら、私は一生車の免許を持たない人生を歩んだかもしれないのだ。以来30年、他に私は何の資格も持たずに生きてきた。明日、61歳で介護初任者研修の資格が頂けることになった。
子育てもほぼめどがつき、家人の理解もあり、退職後自分ではいい感じで過ごしていたのだが、御正月長女が婚約したことから、私の中に孫というか、未来というか、そういういわく言い難い何かが芽生えてきて、フルタイムではなくとも、今しばらく、家族のためにも自分のためにも働きたいという意欲が湧いてきたのだ。
考えてみると、18歳から生きるがために何がしかの生活の糧を得るために、私は働いてきた。夢と現実に引き裂かれながら。書物と労働、この二つが、いまの私をなんとかここまで生きさせた。おかげさまでかけがえのない家族とも巡り合えた。そのことへの感謝の念は、いま静かな生活を得て深まる。
ともあれ、どのような仕事であれ、私に仕事が与えられるのであれば、私は全力で事に当たるつもりでいる。
幸い、これも挑戦するという気持ちで4月から始めたシェイクスピア遊声塾も素敵な生徒さんにも恵まれ(現在5名)週一回いい時間を過ごしている。
介護の勉強に明け暮れた夏は、この先どんな仕事をするにせよ、富良野とはまた異なる新しい生活を、私に与えてくれるような予感がする。私が落ち込むと母がよく言っていた。文学座を受ける27歳の時、もういい年だからと弱音を吐くと、今が一番若いんだよと。
働きながら、企画する。人間の善悪を、存在の不可思議を素晴らしさを学び企画したい。
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