7月5日から受けていた講義も昨日で一段落、御盆休みに入り残すところあと2日となった。
退職して初めて迎えたこの夏は、又一つ私にとっての転機になる夏となりそうな気配である。
熱い夏が続いている。誰もいない家で部屋を開け放ち、風がときおりぬける場所にパソコンを持ってきて、何とはなしに文字を書きたくなった。妻が丹精した朝顔の日よけのおかげで、網戸越しに、ときおり涼やかな風が、なんとも言えず肌に心地いい。
私はこの10年くらい、新聞は御休みの日にまとめて眼を通すようにしている。今日も二時間くらいかけて眼を通した。新聞ひとつでさえ、心穏やかにゆっくりと落ち着いて読んでいると、いろんな驚きや発見があり、ときおり気分がグルーミイでも、ささやかに元気を頂ける。
とくに、8月は6日、9日は一人の日本人として、けっして忘れてはならない、風化させてはならない、世界史的にも空前絶後の出来事が起きた日である。若いころは生きるのに忙しく、自分自身の生理的な感覚の遠さ、受けとめる力の無さ、ある種の虚無的な無力感にとらわれていた。
がしかし、歳を重ねるにつれ一人の人間として、スローガンとしての核廃絶ではなく、よたよたと考えているというのが、正直な気持ちである。時に至らない自分を恥じながら。とくに最近だが、被爆をされた方の新聞記事とか、いまだに突然発症される方がおられるドキュメント番組なんかを見ると、以前よりずっと前向きに、読んだり見たり、切り抜いたりする自分がいる。
今でもはっきり見た映画館を覚えているのだが、19歳位のころ、池袋の文芸坐で、黒沢明監督の・生きものの記録・というフィルムを見た。今よりはるかに純粋多感な少年だった私は、オーバーではなくかなりの衝撃を受けた。
愚直な位のストレートなフィルムで、見終え(まさに夏だった)外に出て、ひとり茫洋と懐は貧しく大都会の喧噪の中で、主人公とは全く世代も何もかも異なるのに、ある種の共有する孤独感と絶望感にさいなまれた。全く田舎から出てきて何の自信もない、吹けば飛ぶような、発達障害のような痩せた少年だった。
黒沢明監督は、まさに予言したかのように、晩年の・夢・という、オムニバスのフィルムで原子力事故が起きた現実をえがいている。
私が上映会を企画したい、祝(ほうり)の島は、40年にわたって、原子力発電の誘致に反対し続けている島民たちの根のある暮らしを数年追い続けたドキュメントである。
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