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独学のお手本私の先生 |
このところというか、仕事を辞してからというもの、親の責任がもう少しもう少し残っている私は、限りなく慎ましい生活を送っている。
18歳から本当にお金には不自由な暮らしを、否応なく選択してきた我が人生の過ぎし来し方を振り返ると、本質的にはいつもお金の工面をすることでしかない、私の親なんかもそうであったが、ごく庶民の姿の私が浮かびあがる。
還暦を過ぎた我がブログであるから、これからは徐々に恥ずかしきよしなしごとも、緩やかに書けるようになってゆくような予感があるとはいえ、まだまだ煩悩を抱えた生身の人間、なかなかには指が動かないのだけれども、基本的には身の丈に合う暮らしをすればいいという両親の教育のおかげで、なんとか生き延びて来られた、人生途上の我が身を思う。
生来痩せていて、食べ物の好き嫌いが激しく、身体が弱いくせに鼻っ柱だけは強かった私が、上京する際に母親が私に言った事を、かろうじて忘れないで守ったがゆえに、なんとか今があるのだということが言えるように思う。
母親は言った、生き馬の目を抜く東京での生活、身体だけは大切にしなさいと。
子供は親を選べない(親も)が、いま振り返りあの両親のもとに生を受けたことに、この年になり心から感謝している。
青春真っ盛り、あらゆる誘惑や、やんちゃな演劇青年生活の中で、ややもすると道を踏み外しがちになる寸前、両親の顔や言葉が私の脳裏でささやいたからこそ、なんとか生き延びられたのではないかと、今思う。
大陸から艱難辛苦の引き揚げ生活の中でも絶望の中を生き延びて、戦後私達姉兄弟5人を育てた両親の心中を想像すると、私の今の生活なんぞ、限りなく極楽生活にひとしいのである。
両親が亡くなって、50過ぎから母が私宛に書いてくれた葉書や、父の遺した文章をときおり読み返すのだが、しゃきっと元気が頂ける。有難いことだと天に感謝する。
お金という魔物とは、可能な限りギリギリのところでお付き合いしたいとおもっている。
ささやかな我が人生、夢を持てたおかげで、ためたお金を有効に使い、いろんな国ぐにを旅することができ、その中で出会った人たちとの宝石のような御縁で、かろうじて脱皮を繰り返しながら今の自分が在るということを痛感する。
あのまま安きに流れ、旅をしなかったらと考えると、ゾッとする。決断・洗濯・後悔しない。わずかなお金を宝石のように使えた青春時代あればこそ、還暦までたどり着けた。
上京し昼はバイト、夜は演劇学校、本を買うお金がなかった私が一番過したところは、バイト先から一番近いところにあった、中央区立の図書館だった。そしてそこが田舎から出てきた私が最も落ち着く場所でもあった。本(世界)に出会わなかったら、ゾッとする。
そして今あれから幾歳月、いま私が最も時間を過ごすところが、やはり図書館というわけだ。先のことは分からないとはいえ、もし世の中が平和であれば、これから私の人生で最も過ごす場所は、図書館になりそうな気がするこの頃だ。昨日も午後3時間を運動公園と図書館で過ごした。
一円もかからず充実した時間が過ごせる事の在り難さ。お金は持続可能な生態系の維持、後世の人たちのことをおもんぱかり、海山川、地球環境をキープするために使う、新しい産業、新しい資本主義にシフトしてゆく感性の持ち主の経済人や、政治家、その他の叡智のグローバルな結集が今ほど求められている時代はないというのが、庶民のささやかな私の認識だ。
おぞましき劣化ウラン弾をはじめとする筆舌に尽くしがたい武器の数々、地球を何十回も破壊する核兵器を持った人類の行く末にたいしては、思春期の頃から絶望的感覚をもちながらも、生きさせてもらってきた我が身としては、唖蝉坊ではないが、ああわからない。
武器は武器を呼び、血は血を呼ぶ。価値観のコペルニクス的転換が起きないことには、人類の未来はかぎりなく暗いというしかない。
ところで、このところ私は高峰秀子さんの本を愛読している。私の母親世代の方だがあまりの凛とした生き方、潔い身の処し方に心が揺さぶられる。すごい。
今しばらくはじたばたしなければならないという運命を引きずらねばならないが、やがては爪の先でもあのように生きて行ければなあと(これは義理の母を見ていてもおもう、御手本として)おもう私がいる。
戦後世代の自分は、なんともはや情けない限りではあるが、両親も含め、過去の素晴らしい生き方をされた人たちから、生き抜く勇気を頂きながら、これからの人生の時間を生きてゆきたい。そのためには何をしたらいいのかと、自問自答するほかに方法はない。
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