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2013-06-27

今日からに日曜日まで上京します。


今日から3泊4日、久方ぶりに上京する前の少し慌ただしいのですがブログを時間まで。

 

7月から個人的な講座を8月まで受けることになり、多忙になる前に4月から働き始めた娘を訪ね、そのほかどうしても会わねばならない方や、用事があるので上京します。

 

22年間過ごした東京は、青春時代の全てでしたから、私にとっては特別な想いの大都会です。

 

年に数回岡山を離れ、一人の時間を過ごすことは私の場合現役でじたばたと活動をするにあたっては、やはりどうしても必要なのです。大都会の雑踏をただ無意味に歩くそのことだけでも、何がしかの精神のリフレッシュになります。

 

さて、昨日は遊声塾の日でした。週に一度ではありますが他者と無心になって声を出し合う時間が持てるということは、とても楽しい(つらさも含め)ということを度々書いていますが、昨日は天神山文化プラザの広報の担当の方が取材に来られ、その中でレッスンが行われました。

 

他者に見られながら、レッスンをするということははなはだ、余計な意識にとらわれやすいのですが、わずかではありますが我が塾生たちは堂々と声を出していたので、私としてはあらためて、根のある塾生に出会えたことを確認できたレッスンになりました。

 

働きながら、体調管理をしながら、いろんなことをやりくりしながら、月謝まで払って何かを求め、情熱を継続するのは、相当なわけのわからない精神の根拠がないと続けられるものではないからです。

 

少しずつ一ミリでもいいから、続ける中からおのずと自分がいい方向へ、変化してゆくことを確認探求するでありたいものだということをおもいながら、雨上がり帰路に着きました。

 

止まれ、今日のブログはここまで。読んでくださった方々、梅雨真っただ中御身体大切に。

 

 

2013-06-26

やがて限りなく穏やかにつつましく本を読む平凡な暮らしに還りたい


独学のお手本私の先生

このところというか、仕事を辞してからというもの、親の責任がもう少しもう少し残っている私は、限りなく慎ましい生活を送っている。

 
18歳から本当にお金には不自由な暮らしを、否応なく選択してきた我が人生の過ぎし来し方を振り返ると、本質的にはいつもお金の工面をすることでしかない、私の親なんかもそうであったが、ごく庶民の姿の私が浮かびあがる。

 
還暦を過ぎた我がブログであるから、これからは徐々に恥ずかしきよしなしごとも、緩やかに書けるようになってゆくような予感があるとはいえ、まだまだ煩悩を抱えた生身の人間、なかなかには指が動かないのだけれども、基本的には身の丈に合う暮らしをすればいいという両親の教育のおかげで、なんとか生き延びて来られた、人生途上の我が身を思う。

 
生来痩せていて、食べ物の好き嫌いが激しく、身体が弱いくせに鼻っ柱だけは強かった私が、上京する際に母親が私に言った事を、かろうじて忘れないで守ったがゆえに、なんとか今があるのだということが言えるように思う。

 
母親は言った、生き馬の目を抜く東京での生活、身体だけは大切にしなさいと。

 
子供は親を選べない(親も)が、いま振り返りあの両親のもとに生を受けたことに、この年になり心から感謝している。

 
青春真っ盛り、あらゆる誘惑や、やんちゃな演劇青年生活の中で、ややもすると道を踏み外しがちになる寸前、両親の顔や言葉が私の脳裏でささやいたからこそ、なんとか生き延びられたのではないかと、今思う。

 
大陸から艱難辛苦の引き揚げ生活の中でも絶望の中を生き延びて、戦後私達姉兄弟5人を育てた両親の心中を想像すると、私の今の生活なんぞ、限りなく極楽生活にひとしいのである。

 
両親が亡くなって、50過ぎから母が私宛に書いてくれた葉書や、父の遺した文章をときおり読み返すのだが、しゃきっと元気が頂ける。有難いことだと天に感謝する。

 
お金という魔物とは、可能な限りギリギリのところでお付き合いしたいとおもっている。

ささやかな我が人生、夢を持てたおかげで、ためたお金を有効に使い、いろんな国ぐにを旅することができ、その中で出会った人たちとの宝石のような御縁で、かろうじて脱皮を繰り返しながら今の自分が在るということを痛感する。

あのまま安きに流れ、旅をしなかったらと考えると、ゾッとする。決断・洗濯・後悔しない。わずかなお金を宝石のように使えた青春時代あればこそ、還暦までたどり着けた。

 
上京し昼はバイト、夜は演劇学校、本を買うお金がなかった私が一番過したところは、バイト先から一番近いところにあった、中央区立の図書館だった。そしてそこが田舎から出てきた私が最も落ち着く場所でもあった。本(世界)に出会わなかったら、ゾッとする。

 
そして今あれから幾歳月、いま私が最も時間を過ごすところが、やはり図書館というわけだ。先のことは分からないとはいえ、もし世の中が平和であれば、これから私の人生で最も過ごす場所は、図書館になりそうな気がするこの頃だ。昨日も午後3時間を運動公園と図書館で過ごした。

 
一円もかからず充実した時間が過ごせる事の在り難さ。お金は持続可能な生態系の維持、後世の人たちのことをおもんぱかり、海山川、地球環境をキープするために使う、新しい産業、新しい資本主義にシフトしてゆく感性の持ち主の経済人や、政治家、その他の叡智のグローバルな結集が今ほど求められている時代はないというのが、庶民のささやかな私の認識だ。

 
おぞましき劣化ウラン弾をはじめとする筆舌に尽くしがたい武器の数々、地球を何十回も破壊する核兵器を持った人類の行く末にたいしては、思春期の頃から絶望的感覚をもちながらも、生きさせてもらってきた我が身としては、唖蝉坊ではないが、ああわからない。

 
武器は武器を呼び、血は血を呼ぶ。価値観のコペルニクス的転換が起きないことには、人類の未来はかぎりなく暗いというしかない。

 
ところで、このところ私は高峰秀子さんの本を愛読している。私の母親世代の方だがあまりの凛とした生き方、潔い身の処し方に心が揺さぶられる。すごい。

 
今しばらくはじたばたしなければならないという運命を引きずらねばならないが、やがては爪の先でもあのように生きて行ければなあと(これは義理の母を見ていてもおもう、御手本として)おもう私がいる。

 

戦後世代の自分は、なんともはや情けない限りではあるが、両親も含め、過去の素晴らしい生き方をされた人たちから、生き抜く勇気を頂きながら、これからの人生の時間を生きてゆきたい。そのためには何をしたらいいのかと、自問自答するほかに方法はない。

 

 

2013-06-23

17歳のモスクワの女の子カーチャが8月10日まで我が家の家族のとして過ごします


カーチャのお母さんが作ったお土産のナプキンとスプーン

長女が社会人になり新生活を始め、我が家は次女との三人暮らしになっているところに、7年ぶりくらいに、ホームステイを受けることになり、4日前からロシアのモスクワから17歳のカーチャという娘さんがやってきている。

 

娘たちが小さい時は、毎年のように海外からのいろんな国の人たちを我が家にホームステイを受け入れていたのだが、娘たちが思春期を迎えるころから、なかなかに受け入れる余裕がなく、そのままに慌ただしい時が流れていたのだが、家の中にスペースができて、余裕が再びできた今、タイミング良くホームステイのお話があり引き受けたのである。

 

久しぶりのホームステイなのだが、これからひと月我が家に、ロシア人の娘さんが増え、何かと妻が嬉しそうにしているのを見るのは私も嬉しい。我が家にしばしの間とはいえ、新しい異国の風を運んでくれる、若いお嬢さんと、家族のように過せるのは、平和なればこその素晴らしさだ。私もやはりそこはかとなく嬉しい。

 

この10年の間に私も妻も、それなりに歳を重ね少しは大人になり、以前よりもあらゆる意味で余裕を持って、受け入れられるのが分かる。たった一人それも異国の17歳がいるだけで、こうも家の雰囲気は変わってしまうものなのかと、久しぶりに感じている。

 

もちろんカーチャという女の子の個性が、我が家族の相性とあっていることもあるのだとは思う。雰囲気が17歳とは思えないほどに、おおらかで落ちついた、さすがはロシア娘といった、雰囲気を醸し出しているのだ。モスクワにゆかなくてもいまのモスクワをを感じるのだ。

 

ところで、カーチャは双子の姉妹の妹で、お姉さんのバレンタインは、他のお家にホームステイしている。滞在中に我が家に姉のステイしている家族とのホームパーティもしたいと考えている。

 

ふたたびところで、個人的なことだが私は26歳の時、初めての異国ロングステイを終えロンドンから陸路で日本へ帰る途中、当時ソビエト社会主義連邦であったモスクワに一泊し、真っ暗であったクレムリン界隈を、11月の寒い夜ほんのわずかな時間散策したことがある。森閑とした静けさを思い出す、おそらく今は別世界だろう。

 

あれから35年の歳月が流れ、ロシアの社会体制は壊れ、あっという間に経済発展を遂げ、こうして岡山の我が家にロシアの新しい世代が日本に関心を持ち、学びたいとやってきている現実に関して、一言でいえばやはり隔世の感を持つ。

 

日ロ戦争から、100年と少し。時代は刻一刻とその時代の相貌を変える。私たちの心も否応なくその影響を免れることは不可能だ。世界の歴史の真実は多様に変化する。

 

メディアの間接情報ではなく、一人のロシアのiPADを抱えた女の子との、直接の出会いは、生身の人間のロシアのいま現在の姿を伝えてくれる。グローバリズムの大潮流の中ヒトはやはり直接出会うことでしか得られない何かがある。カーチャとの出会いをしばし新鮮に過ごしたいとおもう。

2013-06-20

遊声塾K氏と梅雨を吹き飛ばす熱きレッスンの後、遠来の友と久々の語らいの宴


妻が育てた今年初めてのキューリ

昨夜は遊声塾の日でした。激しい雨の中びしょぬれになりながらK氏が(他の方は御都合で参加されず)やって来られ、梅雨の雨をモノともせず、二人だけで、充実した個人レッスンができました。

 

0だったら出来ないのですが、一人でも参加者がいれば、そのしばしの時間を楽しくあらゆる可能性を探求しながら過す、これが現在を生きる、シェイクスピア遊声塾のささやかな私の考えです。身体と身体でまっさらに、お互いにシェイクスピアの台詞を声に出し合いながら向かいあう、何もない空間で。

 

K氏は57歳、5人のお子さんの父親。熱心で真面目に取り組む姿勢がなんとも言えない気持ちを、私の中に呼び覚ます個性の持ち主です。まだわずか8回のレッスンしかしていないのですが、かなりの変化が氏の中に起こってきているのを緩やかに感じています。仕事をしながら日生からやってくるのは、かなりの情熱がないと続けられるものではありません。

 

一時間半、無心に声を出し続けたK氏の顔は身体全体が上気し、レッスンまえとは顔つきが穏やかに変わっていました。ただ声を出すのではなく、限りなく意識を集中してシェイクスピアの台詞を声に出すのはなかなかに大変なのです。

 

無心になって、全神経を使い集中し、自分の身体で声を出す時間を過ごすということが、あまりにも私たちの日々の暮らしの中に無くりつつある世相の趨勢の中、天神山プラザの教室で熱きレッスンができるということ、参加者がいるということは有難いとしか言いようがない。

 

昨夜はもう一つ嬉しいことに、大切な友人が一仕事を(単身赴任していた)終え、群馬から自宅のある福岡に車で帰る途中、これまたどしゃ降りの雨の中、わざわざ私に会うために岡山にホテルを取り立ち寄ってくれ、レッスンを終えるころ天神山に姿を現し、K氏はその友人の前で最後の声を出した。友人は私のレッスンぶりをほんのわずか覗いたのだが、そのコメントは私を勇気づけた。

 

レッスンを終え、車すしという(友人がゆきたいという)、私もよく知っているひいきの店で、久しぶりに旧交を温め、友は私の人生再出発を心から祝ってくれた。友遠方より来る、また楽しからずや。

 

私は、心から大切な友人に恵まれている我が人生の今を、天に向かって感謝した。

 

 

2013-06-19

梅雨の雨音を感じながら静かに過ごせる幸福を噛みしめブログを書く



天と地と身体は繋がっているということが実によくわかる最近の天候である。昨日結局雨は降らず、終日重苦しい雲が立ち込めていたが、今日は午前中洗濯物を干し終わってしばらくすると雨が落ちてきた。雨の午後静かに書いている。

 

ようやく梅雨本番という感じ、風疹の流行が衰えないというし、食中毒の季節でもあり、これから梅雨がやがて明けると本格的な夏がすぐやってくる。私を含めた中高年齢者にとっては厳しい季節になる。そこをいかに過ごすか、そこをいかに楽しめるかによって、日々は色合いを変える。

 

身体は小さいころから弱かったくせに、性格的に何かと無茶をしがちなところがある私なのだが、これから歳を重ねてゆくことにたいして、可能な限り意識的でありたいということを、度々書いている。無理にではなく、61歳の今を意識的に全開する方法のようなこと、頭ではなく身体で考える癖のような事を、あきらめたくはない自分がいる。有難いことだとおもうことにしている。明らかにいつの日か意識は終わりを告げるのだから。

 

一日の過ごし方にしても、若い時とは異なる方法で、メリハリをつけ、なるべく脳と身体が活性化することを心かけている。意識と体は密接に繋がっている、不思議だ。塾であれ、トークであれ、恥を覚悟でいまやりたいこと、やれることをひた向きにやる、しかない。

 

さて、なかにし礼さんという、有名な作詞家、作家がいる事は御存じだとおもいます。気にはなっていて、いつか本を読みたいと思っていました。というのはこの方が満州からの引き揚げ者だということを知ったからです。(私の父母姉兄が北朝鮮引き揚げなので、すごく関心があるのです、それにしても引き揚げ者には素晴らしい仕事をしている方が多い)

 

当時8歳の眼で見た、引き揚げ船の地獄絵を、わずかですが書かれている一文を、御自分が食道癌と戦った本の中で読みました。何げなく手に取り読みだしたら、眼が吸いつけられてゆき手が止まりませんでした。

 

私には派手な作詞家の印象が強く、遠い世界の方のように感じていたのですが、その赤裸々な、おぞましき体験の果てにつかんだ、氏の哲学的世界観は、土取さんや、椎名さんにも共通するのですが、潔さと、諦めないしぶとさが同居していて、73歳にしてなんとも精神が若々しいのです。

 

私は自分が今がんを宣告されたら、何を思うのか、なかにしさんの本を読んで少し考えはじめている。呆然としながらのあの冷静さはどこから来るのか、修羅場をくぐった人だけが到達する何かがあるのだとしたら。短いブログで書くことではないと承知しつつ考える。

 

ただ、何度も書いているが、手にとり巡り合う本には、何がしかの縁があると私は考える。その年齢で巡り合える本が、必ずある。そしてそれは探していなければけっしてめぐり会うことはないのだということも、この年になると沁みるのだ。

 

そんな本に出会った日は、静かなある種の幸福感に包まれる。実体験から生まれてくるうそのない文章。心の奥深いところで、こんな豪放磊落、繊細、無頼バンから、知的胆力人間が存在することに、元気を頂き、まさに生と死は隣り合わせの日々なのだということを思い知るための訓練を還暦を過ぎた私はしなければならない。

 

それにしても、命の重さ、人間がしのぎを削って生き延びる運命の過酷さは、シェイクスピアの間違いの喜劇の父親のイージーンの台詞に在るように、身を引きずってでも生きている間は考えなくてはならない。

2013-06-18

動き回ったこれまでの日々と、動き回らなくなったこれからの日々。


先日つけた梅酒

梅雨はまだまだこれからが本番ということなのだとは思うが、いまのところ梅雨入りしいてからさほど雨が降らないのは空梅雨だからなのか、素人には判然としない。予報では今日の午後から雨とのことなので、それまでに乾いた洗濯物を取り込まなくてはなんてことを、考える自分がいる。

 

わずか3カ月とはいえ、8割は家にいるような暮らしを続けていると、何とはなしに家庭的な感覚が、自分の中に育ってきているような按配の私の日々の暮らしなのである。

 

以前は、あんなにも動き回らざるを得ないような暮らしをしていたのが、何とはなしに遠くに感じてしまうのは、いかなる内なる変化なのかと、いささか考えてしまう自分がいる。(21年間かなり動き回ったた自分自身とはこれからゆっくり、自問自答してみたい)

 

さて、次女が通っている大学の学長(ちなみにこの方の父は2・26事件で殺されていることを最近知りました)が書かれてベストセラーになっている本、置かれたところで咲きなさい(私はまだ読んでいません)ではありませんが、人間は環境や、情況が変化してもある種の適応力を持って生き延びる生きものであるということを、自分のこととして感じている。

 

私がまがりなりにも、18歳からなんとか生き延びることができたのは、父親に嫌というほど鍛えられたことと、持って生まれた楽天性と、いまもそうだが過去を引きずらない(引きずっても前向きに引きずる)性格のおかげなのだということを感じる日々である。

 

もうひとつ、これは何度もブログで書いているが、演劇的に何事も遊び・PLAYとして転化して考えるという癖のようなものが、有難いことに若いころ演劇を学んだおかげで身についているということがあるのだなあ、と感じている。この世は舞台(シェイクスピア)

 

そんな私を、妻はあきれながら、眺めているといった光景(図)。ギリギリまでは何事もドンキホーテ的に突き進むのだが、駄目だとおもったら、すんなりあきらめるのである。だからこそ生き延びられたのかもしれない。つまりはいい加減な性格という事に尽きる、とおもう。

 

それにしても、自分の本質はぐうたらなのだということを、43年ぶりくらいに実感している。これからは何を言われても、ひんしゅくを恐れず、可能な限り許されるものなら、面白半分ぐうたらに生きてみたいとおもうこの頃の私だ。細胞の隅々にストレスをためず、のらりくらり、だらりゆるりと、そしてたまにしゃきっと、なんてライフを夢見る61歳のわたしだ。

2013-06-16

梅雨の晴れ間61の手習い、初めてらっきょうを漬けて見ました


初めて漬けたらっきょう

この間ブログを書いてから、一週間近くパソコンに触れていなかった。別に取り立てて深い理由はない。自然の流れでそうなっているだけで本人は全くのんびりと、退職後の日々を過ごしているだけである。

 

ただ先ほど、これまで私が過去に企画したものをS氏がDVD化して下さる件で、電話をしていたら、ブログをしばらくアップしていないので、元気ですかと案じてくださったので、私のブログを量ではなく楽しみにして下さっている方もいるのだということで、何も考えず、とりあえず書いている。

 

さてこの一週間一番やっていたことは、やはり本を読むことである。私は本を読むことが遅いので、この21年間ゆったりと時間を気にしないで本を読めたらなあ、おもい続けていたわけだが、もうすぐ退職3カ月、いま私は満たされた日々を送っている。

 

おそらく健康であれば、本が本を呼ぶという感じで、よほどのことがない限り(アルバイトをするなんてことが始まらない限り)今しばらくこの悦楽的時間をはなはだ我が儘に過ごしたいという、趣なのである。

 

図書館が開いている日は、一日おき位に本を借りなくても、図書館で過ごしている。図書館のそばには運動公園もあるから、こちらはほぼ毎日散歩とささやかな身体動かしのために通っている。

 

そんな合間に、先日初めてラッキョウをつけた。梅酒もつけたが、ラッキョウは土のついたのを2キロほど買ってきて、母に倣ってきちんと初めて漬けた。61の手習いというわけだ。これからは出来合いのものを買わなくても、時間の許す限り食う事に関しては、自分で作れそうなものは失敗を恐れず、やったことのないことをやる気があるうちにやってみたいのだ。

 

発酵食品の本なんかにも、母のぬか床のおかげで関心が湧いてきた。何事も3年位はかかるだろうけれど、ようやく急がなくてもいい人生の季節が訪れたのだから、これまでやったことがない時間を過しいてみたいのである。

 

ところで、今日は父の日である。次女から一文付きのプレゼントをもらった。その一文は親ばか丸出しで申し訳ないが、退職してお父さんは変わったということが、綴られていた。

 

掃除・洗濯・家事全般、今は妻が家の中心なのだから、私としては過去とは決別し、限りなく古き日本の温故知新的ライフスタイルを探求し、人生の4幕目を日々送りたいのだ。

2013-06-10

第1回・ヒダカトモフミの人生途上トークを7月7日にやることにしました


1回 ヒダカトモフミの人生途上トーク

日時     201377日(日)13時半~17

場所    天神山プラザ第二教室

参加費   1000

定員    30人(要予約)

問い合わせ 日高 090-5378-5433

          Eメール(hidakatn@green.megaegg.ne.jp

                 ブログ(五十鈴川だより)

 
 人生途上トークは、ヒダカトモフミを支援して下さる方(直接お会いしいたことがない方もいらっしゃる)を対象にした、61歳から始める極めて個人的な企画です。311以前と以後、本質的なことはともかく何かが私の中で変わりました。何故こういうことをやりたいのかは、自己分析的なことが苦手な私には分からないのですが、やはり年齢なのかもしれません。元気なうちに、企画者・表現者としてヒダカのこれまでの拙い歩みを、可能な範囲で整理し伝えられたらとの思いで始めるものです。第一回は土取利行さんとの出会いを中心に、古里、生い立ち、自己紹介的なトークをすることにしました。現在、支援会員が40人以上(県外10人)いらっしゃるので、案内は50通くらいしか、出しません。隠居者のトークです。気軽に物見遊山でお出かけくださることを、心よりお願い致します。支援会員は御招待です。友人知人にお声かけくださると嬉しいです。



2013-06-08

梅雨の晴れ間、木陰で風と空を時折眺めながらの読書


私はこの方の本を愛読している

退職して本を読む時間が増えた事はすでに書いたかもしれないが、きちんとは書いていないような気がするので書いておきたい。

 

世の中に出るまで私は、映画は観ることがあっても、レコードを聴くことはあっても、活字を追うことはほんとに苦手な子供だった。五感の中で眼と耳に重きを置いた、手っ取り早く楽しめることに耽溺し、好きなことに関する以外の本はまず読むことはなかった。

 

いまでもそうだが、感覚的であり感性的であり、(でも少しはおかげで考えるようになった)じっくりと腰を据えて物事に取り組むというタイプではなく、時代の流行を追う、たんなる軽いタイプのどこにでもいる、あの時代の空気をたっぷりとすった、ちょっと夢多き田舎の少年であったのだ。

 

私の意識が変わったのは18歳で上京し小さな演劇学校に入ってからだ。まさに井の中の蛙というしかなかった。あれから43年、これまでの自分の人生を振り返ると、ほとんどすべてのことにと言っていいほど、私は奥手であったのだということが今、理解できる。

 

大胆であるかのようなわりには、小心翼々としていた自分の青春時代、でもそれなりに生き延びて黒沢明の映画のタイトルではないけれども、わが青春に悔いなし、(少しの悔いついては70過ぎて元気だったら書きたい)というくらいの按配でなんとか今を生きている。

 

ところで恥ずかしい話だが、本当に本を読み始めたのは、私の人生で初めて、心から読みたいという気持ちと、読める時間環境が、異国の街で一致してからで、25歳で初めて海を渡りロンドンで、日本語に飢えた生活をするようになってからだという気がする。

 

あの時ほど、日本語が沁みるように、自分の身体に入ってゆく読書体験がなかったらと考えると、いささか冷や汗が出る、理屈ではなく自分という存在が日本語でできているという実感を持ったことはない。それほどに私は異国で日本語に飢えたことによって、日本人である自分を強烈に初めて意識した。

 

持参した、翻訳されたシェイクスピアの文庫本や、山本健吉の歳時記、丸谷才一の文章読本、小林秀雄の近代絵画など、かな文字、日本語独特の言葉の綾,漢字のかたち、が沁みるように身体に入ってきた事の体験は、大きい。芯からの幸福な読書体験といってもいいと思う。遅まきの春のめざめ。

 

日本に戻ってきて、またもやパンを得る、生きるに忙しく、自分が痩せた貧血気味の身体をただ引きずって生きている存在のような気がした時には、まさにすがりつくようにして、本の世界に韜晦した。戯曲、文学、詩、随筆などなど、日本語による豊かな言葉の海の表現は、無学無知蒙昧の田舎者の私の薬となり、滋養となり、私を奮い立たせた。

 

大学にゆかなかった(ゆく能力もなかった)私はささやかに、働くことも含め独学する喜びを糧に生きてゆこうと、何とはなしに考えるようになったし、いまもそのように考えながら生きているのだ。

 

そして何よりも、仕事であれ企画であれ何であれ、物事をひとつひとつ実践しながら、歳を重ね、本を読むという行為の中でかろうじて精神のバランスを保ち、なんとか生きてきたこれまでの自分の人生を思う。拙い表現しかできないが、本には眼に見えない人類の叡智歴史知的財産が詰まっている。そのことにわずかであれ、本を読むことで気づいた私は幸せである。

 

有限な人生の時間の中で、本も人も含めて、あらゆる出会いは、限られている。ヒトは森羅万象との出会いなくして、己は存在しない。会いたい人には、いま会えるときに会っておき、巡り合えた本は今しか読めないのである。

 

退職し、ゆっくりと精神の散策をしながら、本を読めるということは、人間に与えられている、これ以上はない手軽さでできる、無上の悦楽ではないかと最近私には思える。リタイアした高峰秀子さんは、やがてゆっくりといろんな整理(家も小さくし、あらゆるものを処分し)をしながら、本を読むことをこよなく愛されていたそうである。

 

憧れる。なんともさわやかな、その一途さにしびれる。ゼロから出発し、名人的な域にまで達した、艱難辛苦の上に咲いた見事な花というしかない。

 

今しばらくは、煩悩の花を生きるしかない私なのだが、やがてはあのように老いてゆきたいというお手本的な素敵な方々を、読書体験で間接的に巡り合うことができた。一冊の素敵な本は、その瞬間私の世界の全てである。

 

本を読まなかったら、今頃お金(をいかに使うかが今ほど問われている時代はないとおもう)がすべての世界にすっぽりと精神が汚染され、みじめな人生になっていたであろうことは、言をまたない。

 

昨日も、散歩と、ささやかな身体動かしと、ゆきつけの公園の木陰での読書で終日を過したが、梅雨の晴れ間風が気持ちよく、しばし昔の人たちはこんな感じで、各々が自分の時間を過ごしていたのに違いないとの確信をもった。

 

 

2013-06-04

梅雨の晴れ間、生きていることの不思議なありがたさを、花を愛でながら思う朝



昨日の夕方、この4 から東京で働き始めた長女に初めて手紙を万年筆で書いた。メールや、スカイプ全盛ではあるけれども、私はやはりプライベートなことは、手で書いた方が落ち着くという、アナログを愛するという、いわば時代遅れを自認する、初老の域に入った私である。

 
以前の何十年にもわたるせわしなき日々から、ようやっと解放されてから、さらさらと日々が流れてゆき、6月に入って早4日です。退職すると始めは新鮮に感じるがやがて退屈するという声を多くの方から聞いたりしておりました。

 
果たして自分はどうなるのかということを、ある意味での内なる変化があるのかどうか、ということに関して少し興味がなくもなかったのですが、離職してやりたいこと、生き方がより明確になりつつあり、そのために時間を費やせる幸せを噛みしめる日々、それに向かってやらねばならぬことが、つぎつぎと起こってくるという按配で、退屈には程遠い日常を送っております。

 
勤勉を美徳とする我が国の風潮から、逸脱するような人生を歩んできた私には、有難いことに妻の理解、家族の理解の上に、これ以上は望めないほどのいわゆるセカンドライフが始まったという感じであり、金銭的なことはともかく、時間に追いかけられないということ、意識次第で時間がまるごと使えるということは、至福としか形容のしようがありません。

 
したがって、ほとんどストレスがない日々を、人生で初めて経験していると言ったかのような感じです。先のことはともかく、とにかく日々是好日を、以前のようには頑張らず、かといって怠けるでもなく、年齢なりの身体で、自分の感覚・感性に忠実にできるだけ正直に生きるということを、心かける日々なのです。

 
交友関係も含め、あらゆる面で焦点を絞りこれからの人生上のリセットを何とはなしに始めたような気がしています。おそらく予感ですが、これから私はますます静かな生活を限られた人たちと共に生きてゆく道を選択してゆくような気がしています。しなやかに狂おしゅうものぐるほしけれ。

 
こう書くと何やら、はかなくさみしげですが、(全然そんなことはないのです、さっぱりと実に気持ちがいいのです)それを良しとする自分がいるのです。それは充分に生きてきたという実感、裏付けがあることにも起因しているかもしれませんが、この年になると、リタイア後の父の姿がしきりに思い出されるのです。父は晩年自分の創った庭を母と眺め、碁を打つことだけを楽しみとし、そのほかの時間は母とのたまの旅行に費やすくらいで、人生を終えました。見事な晩年だったと思います。

 
その父の息子である私には、父の遺伝子が限りなく受け継がれているように、最近しきりに感じます。あやかりたいと思う私がいます。今を生きる私の中では父はくっきりと生きています。私は父のようには生きられず、今しばらくジタバタしますが。

 
短いブログで書くことは控えますが、土取利行さんの音や、エリックマリアの音に、私は真実の音の神秘を体感しました。真のアーティストは冥界と現代を繋ぎ、死者たちを蘇えらせるシャーマンなのだと。老春の生命力を吹き込まれました。

 
我が家の蔓バラは盛りを過ぎ枯れ始めましたが、歳のこうなのでしょう、枯れゆく花を落ち着いて眺めながら、ささやくように花に語りかけ、命を活性化する今日の私です。