私の部屋に差し込む、陽光の力を浴びて、今年初めての五十鈴川だよりを打ちたい。
北陸をエリア襲った、今も続く大震災でお正月気分が吹っ飛んでしまい、ただひたすら静かに今日まで生活している。昨年暮れの五十鈴川だよりでも触れたが、老夫婦静かな年明け生活である。(あらゆる困難生活を余儀なくされているかたのことを勘案すると言葉がない、いつ自分にも天変地異が襲いかかっても不思議ではない。悲しいかな我が身で体感しない限りの、限界感覚を私は生きている)
逆さまですみません |
だが、久しく年賀状を出さない生活を続けていたのだが、というより年賀状は数年前卒業したのだが、今年は55通もの手書き賀状をすでに投函した。55人ものかたに一文を添えて投函できる事の幸福、手で文字を書くことの、書けることの喜びを感じつつ、私なりのつましくも充実したお正月を過ごしている。ひとつ年を重ねる、老いゆく時間を積み重ねるごとに、感謝の念のは深まる。
体動かし老いバイトも、4日5日と勤め、今更ながら冬の日差しを浴びながら動ける喜び感覚、働ける感覚を噛み締めつつ、一年を全うする養生健康が願いである。
体にオキシトシンが分泌されるような生活を続けられたら、もう年よりの私はほかに多くはなにも望まない。何よりも家族や近しいかたたちが平凡にすごせ、世界の秩序安寧を祈るのみである。
ところで詳細は長くなるので省くが、一昨年出会ってひょんな事から多嘉良カナさんのポスター、フライやーをつくってくださったNさんが、福武文化振興財団の助成を受けて取り組んでおられる事業のひとつで、参加者がいれば3月から吉備路文学館でシェイクスピアの音読レッスンをやる事になり、フライやーを仕上げるために、N氏が今必死に年明けから取り組んでくださっている。一月中には出来上がる。
福武文化振興財団の郵便物のなかにフライヤーが同封されるとの事(その数2000通以上)、幾ばくかの反応があるや、なしや、楽しみである。そのフライヤーを私自身もあちらこちらに配布し、私がレッスン出来る間は、シェイクスピアの作品、現代日本語の翻訳によるシェイクスピアの素晴らしさが、一人でも多くの岡山に(岡山以外でも)住むかたに伝わるようにと、希望は膨らむ。テキストはシェイクスピア作品の【間違いの喜劇】松岡和子訳、筑摩文庫である。
出会って45年になる神奈川に住む親友(真友)からタイミングがあえば、参加したいというメールを昨日もらった。世界は広いのだ。どのようなヒトが生活し生きておられるのか、未知である。未知の存在に出会うべく、どのような音読レッスンがやりたいのかを、N氏に箇条書きにして、送ったのできっと素晴らしいフライヤーが出来ると確信している。(チラシが仕上がったらすぐにまずは五十鈴川だよりにアップします)
コロナで遊声塾をあきらめ、あれから4年、この間個人的に二人の新しい命、孫が授かり、その輝きは年よりの私を新たな世界へと誘う。60代でやっていたようなレッスンはもう出来ないし、あえてそのようなレッスンはやりたくはない。参加者からオキシトシンが溢れ、幸せ感に満ちるようなレッスンがやりたく、今日もこれから無になって間違いの喜劇を再読音読自分のためのレッスンをする。
世界は日々移ろうが、五十鈴川だより打ち続けたおかげで、自問自答時間を過ごせ、家族を含めた新たな出会いや再会が私を変化させる。【ゆくかわの流れは絶えずして・淀みに浮かぶうたかたは・消えかつ結びて・久しくとどまり足るためしなし】といった案配である。
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