今朝はかなり冷えたが、休日の朝のルーティンを終え、冬の日差しが差し込む我が部屋にいると、オキシトシンがわいてくるのかなにか打ちたくなる。昨日夕刻、刷りたての間違いの喜劇のフライヤーを、N氏がわざわざ自宅まで届けてくださり、またまた恐縮、ありがたく、見事なフライヤーの仕上がりの余韻にひたっている、私である。
とは言うものの、そのフライヤーに負けないように今日も時間を見つけて、私自身のリーディングレッスンをする。一行一行集中、いつの間にか、一幕が終わる。昨日はお休みだったので、時おりお休みしながら、間違いの喜劇全幕を、午後2時から一人で全登場人物の台詞をリーディングした。
シェイクスピアの作品の中で一番短い作品なので、とりあえず久しぶりにまるごとリーディングしてみたのである。口の筋肉がいかように動くのかを、ゆっくり意識しながら、現在の自分自身の集中力と口力を確認しながらリーディングを無事に終えることができた。その事で吉備路文学館での音読リーディングレッスンに向かう打ちなる覚悟がまずは決まった。
これから2月いっぱい、生活仕事の合間合間に、各登場人物の抜き稽古声だしを持続的に続け、週に一回全幕全登場人物を通しリーディングすることで、気づいたことをノートに書けば、自分がどのようなレッスンをやりたいのかが、おのずと見えて来るように思える。
何事かに気づく、何事かが思い付くのは、無心に集中して完全にリラックスしているときにしか、私の場合アイデアはわいてこない。意識を集中し打ち込んで気持ちがいいときにしか、なにかは訪れないのである。キモチがのらないときにやっても効果は薄い。しかし、キモチがのらないときにでも、ゆっくりゆっくり体と相談しながら、音読を続けていると、徐々に集中力が増してきて、意外にも長い時間音読できたりもするから、体というものは実にいい加減不思議な器なのである。
薪作りと音読はセットである |
ともあれ、3月から始まる、吉備路文学館での音読リーディングに向けて、どのようなレッスンがやれるのか、間違いの喜劇の各登場人物のリーディングを、まずは自分自身がやってみることで見つけてゆくつもりである。
間違いの喜劇の劇中、アンティフォラスと召し使いドローミオとの、時問答があって、意味もなくおかしいのだが、時、時間というものといかにうまく付き合ってゆくのかが、私にとってはこれからもっとも大事で大切なことなのである。
まずは念頭、間違いの喜劇のリーディングをやりながら、一日の時の過ごし方を充実して送らねばと、冬の日差しを浴びながら、もの想うのである。
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