10月31日釜山最初のブランチ |
釜山につき、138番のバスでホテルにたどり着き、近くのカフェで親切なアジョシにインターネットに接続してもらって、とにかくラインをつなぎ家族に無事にホテルについたことをしらせたので、いままででもっとも短い五十鈴川だよりになる。なん十年ぶりに訪れた釜山は大都会に変貌をとげていた。
さて古希を過ぎた私にとって、これからの3日間の旅がどのような展開になるのか、若いときと違っていくばくかの不安はあるが楽しみである。ともあれホテルのチェックインまで付近を歩いて見よう。
パスポートを使うのは、長女の結婚式でドイツはドレスデンに出掛けて以来だから、本当に久しぶり。来年の6月まで有効だからギリギリ使える。眠っていた旅の虫がむずむず動く体があるのが嬉しい。
おじじの私が読み染みる本 |
この10年、音読や企画など、に随分とエネルギーを使う日々を続けてきた果てに、再び原点である旅に、これからの時間、重きを起きたいという気になってきたのは、やはりこのコロナ禍での思索思索とその渦中生まれてきた、新しい命、孫たちとの出会いが大きいと思う。
そのことを今朝の五十鈴川打よりで、打つことは時間的に不可能だが、自由ということの素晴らしさを孫たちにあらためて再認識させられたのが大きいと思う。この年になると、あらゆるしがらみに、ややもするとからめとられそうな不自由を感じてしまう。年齢は関係ないのだ。気持ちに正直に生きるのである。
今後は自由感覚を最優先、義理を欠いてもしようがない、というスタンスで、秋風を浴びに旅行かばの気持ちで、五十鈴川だよりに向かう朝である。夜の出港なので下関までは、本を片手の鈍行旅である。下関発のフェリーで釜山に行き3泊、もどりもフェリーである。昔一度下関釜山往復フェリーにのって以来だから、ずいぶん昔のことである。
あれ以来だから、老いたりとはいえ、どこかワクワクそわそわする自分が未だいることが嬉しい。孫たちは天真爛漫、自由自在の極致を生きている。その事が私にエネルギーを注ぐ。万分の一でも孫のように自由に風に当たり、老いゆく下山旅で体に新鮮な風を入れたい。ただそれだけである。
フェリーで一泊、釜山の宿に3泊し周辺をぶらぶらするだけのあてのない旅である。出来るだけ余分な情報は入れず、ガイドブックも持たないのは、若い頃から変わらない。情報は体で、足で得る。旅で出会った一期一会の匂うヒトからの情報をこそ起点にして動く旅。リアルな虫のようにうろつく旅がわたしは一番楽しい。
そのためには普段から動き回れる最低の足腰をキープしていないと、旅はまったくといっていいほど、わたしの場合つまらなくなる。歩ける範囲は狭くても孫たちはまったく退屈しない。無理しないで休み休み釜山の人間のすむ町を歩く、ただそれだけの旅である。そのなかで溜まりになまっている精神の紋切り型を洗えれば、と夢想するのである。
大昔からヒトは旅をする。古希を過ぎ、可能な限り、すべてをリセットするにはわたしの場合旅が一番、それしかないのである。単独で見知らぬ人たちが暮らす異国の町を歩き回り、思考しないと、ボケる。(のだ)
10月の肉体労働バイトは25日で終え、来月4日までお休みをとった。すでにお休み3日目の静かな朝を迎えている。妻が児童館に出掛け(午後3時過ぎには帰ってくる)一人静かなひととき五十鈴川だよりを打てるのが、私にとっての、ささやかな喜びである。
巨石の写真を見ていたら旅がしたくなった |
秋の朝の陽光を浴びながら、穏やかによしなしごとを打てるのは、ありがたきかなという他はない。10日間もお休みをとったのは、たぶんこの4、5年では初めてである。今週は家でじっと過ごしたのち、来週月曜日から週末金曜日まで、韓国は釜山経由光州まで旅をすることになっている。
40代から50代にかけて、ソウル中心に何度も韓国には足を運んでいるが、この10年は行っていないので、きっと浦島太郎的な気分に陥ることになるのではという気もどこかでするのだが、幸いなことに妻にお伺いをたてたところ、すんなりとお許しが出たのである。
その上、予約他デジタル音痴(この際返上し学ぼうという気になっている)の私の指南役を務めてくれ、安心してゆける。50代までは思い立ったら、ほとんどなにも考えず出掛けていたが、さすがに古希を過ぎ無謀なことはしなくなってきた。老いの功徳は至るところで私に変容を迫る。その事を私は努めて冷厳に受け止めながら、老いを見つめる新たな旅を見つけられればと、どこか風任せに構えている。
とはいえ、何せ随分と近いとはいえ、外国にゆくのだから私にしては用意周到にと、今日は旅の準備をするつもりである。昔に比べたら比較しようもないほどに、静かな生活が板についたかのような塩梅だが、やはり未だ旅心がうずくのは、きっともって生まれたカルマのようなものだろうと、自覚している。
どんなに好きなこともやがてはできなくなるのだから、動けるうちに、行きたいと思ううちに実践したい。ただそれだけである。理由は要らない。行きたい。行けるということが自由ということである。いつもとは異なる環境に身を置くことできっと新鮮な風が体に入る。未知の風景、未知の人に会う。その事を大事にしたい。
金銭的にも身の丈に合う生活、身の丈に合う旅を若いときから続けてきたので、そのスタンスはまったく変わらない。
静かな生活と、時おりの異国への旅。先のことはわからないにもせよ、健康で動けるうちは、続けたいという欲求は健在である。旅と読書の非日常体験と、静かな日常生活、この2極を往還する70代を送りたく思う。そのために日々しっかり生活したい。
前回打ってから随分と打っていない。イスラエルとパレスチナの間での戦争(もはや紛争ではない)ウクライナで続く戦争が、遠い島国の一庶民老人の気持ちを萎えさせている。そのような世界の痛み、出来事に無関心であるのは、なぜだかの理由はおくとしても、忸怩たるおもいが、どうにも能天気に気軽に五十鈴川だよりを打つ気にならないのである。だからこれ以上はその事に関しては沈黙する。
私にとっての今の時代、鬱ぎの虫におちいりがちな生活のなかで、いちばんの精神の免疫力をキープできる安寧の支えは好きな肉体労働アルバイトと、真夏は控えていたが10月から再開した、シェイクスピア作品の長い台詞の書写である。すでに16作品の書写を終えたところである。この調子で継続すれば、健康が持続すれば、来年中にはほぼ終えられそうな目算がたってきた。(困難な時代、まさにシェイクスピア作品の数々は私の羅針盤である)
書写には音読とはまたまったく違う興趣があることが、続けてみてわかってきた。(ひっかく)何事も好きでないと持続は難しいが、松岡和子先生の丁寧な注釈を読みながら新しい翻訳日本語で、新たな気持ちで書写する。シェイクスピア作品だからこそ続けられる。(運命的な困難状況と格闘するオセロー、ハムレットの台詞は何度読んでも素晴らしい、随所に新しい挑戦がある。。この作品に巡り会えただけでも生まれてきてよかった。絶望に立ち向かえる)
この10月中旬から、余っていたノートの隙間を、シェイクスピア作品をより深く味わい学ぶため心機一転、松岡先生の翻訳の文庫本の注釈を書写する勉強も始めた。一番始めに注釈を書写したのは、やはりハムレットである。以後ロミオとジュリエット、オセロー、ベニスの商人の注釈書写を終え、今、ウインザーの陽気な女房たちの注釈書写の一幕を終えたところである。
肉体労働と、土いじりと、シェイクスピア作品の長台詞と注釈書写と、散歩が今のところの私の日常生活の4本柱である。もちろん他にもいろんな雑事をこなしながらの日々なので、一日が瞬く間に過ぎてゆく。平凡この上なく我が人生で初めてといっていいほどの静かな暮らしである。
素晴らしい日本語翻訳で読める幸せ |
執着しない。手放すということを知らず知らず進めているかのような案配。身軽になりたいと思う。古希を過ぎあらゆる関係性の見直しを進めている。そのような日々を生きていると、手放せないものの大事、小事が感じられる、見えてきたように思う。
以前も打ったような記憶があるし、きっとこれからも金太郎飴のように似たようなことを打ち続ける老人一人呟き五十鈴川だよりになるのだろう。今はもうこの世に存在しない方たちのことを追慕し、思い出に生き死者のエネルギーにあやかり、今を大切に生きたいと私は考えている。
どんよりと曇り空の土曜日の朝を迎えている。気分もまた同じように晴れない。イスラエルとパレスチナの正視にたえない映像は、(報道されない映像がほとんどであろうと想像する)この世の地獄そのものである。
78年前の広島、長崎、東京をはじめとする大都市圏も時代が違うとはいえ、言葉を失うほどの地獄絵惨状であったのだろう。体験したことがない世代として、綴り打つことが虚しくてならない。だからこれ以上の言及は止す。ただ一個人として、人類の上に降りかかっている、ウクライナ他、戦争地域、その他報じられる扮装地域の国々に暮らす、数多の普通の人々の困難を想像すると、五十鈴川だよりを打つ一人の老人として、解決の糸口が見つからないかのような歴史的世界が厳然と存在することに、絶望的に憂鬱になる。
今朝も運動公園にいって、老人ライフ、ゆっくり大地を踏みしめ裸足散歩を行ってきた。地球の反対側ではイスラエルとパレスチナの間で、複雑極まる歴史の糸がほどけないほどに絡まり、戦争になっている。
穏やかに裸足で秋の朝を、過ごせることの平和(この言葉が日常生活のなかで軽くなっていると感じるのは私だけではあるまい。平凡のありがたみはなくしてみないとわからないというのが、人の世の常なのかもしれない)のありがたさをひしひしと感じた。
ひしひしと感じるからこそ、五十鈴川だよりを打つのだろう。老いたりとはいえ、日常生活のなかで揺らぎ、揺蕩い、様々なことにおもいを馳せながら生きる。それが私にとっての当たり前なのである。遠い国の出来事、皮膚感覚では知覚できない、耳を塞ぎたくなるかのような悪夢のような映像に無感動、無感覚になってしまったら、終わりである。
もっと老いて、そのような感覚に自分がなってしまったら、五十鈴川だよりを打つのは止めると思う。いまはまだ辛うじて五十鈴川だよりに打っておかねばという気持ちがあるのが救いである。
五十鈴川だよりというよりは、最近は老いの五十鈴川だよりになりつつあるのをどこかで、自覚していて、正直自分の皮膚感覚に遠い出来事を、五十鈴川だよりに打つことは、気があまり進まないのだが、世界が嫌でも抱え込まざるを得ないようなような、気が遠くなるほどの難問課題に、無関心を決め込むようになったらそれこそ高齢者である。(と思う)
日常感覚と非日常感覚の加減をいったり来たりすることのなかで、感性のアンテナに耳を澄まさないと危ない。善きにつけ悪しきにつけ、平和ボケではなく、平和にならされると思考低下は免れない。だからなのだと想う、五十鈴川だよりを打つのは。打つことでなにがしかの思考が起きる。答えを求めて生きるのではなく、知らないことをわずかでも知る。その事を続けることで安易な思考の落とし穴にはまらないように、留意したい。
雨が上がって静かな午前中、一仕事終え五十鈴川だよりタイムである。昨日夜、ワールドカップ日本代表ラグビー対アルゼンチン戦、一昨日の夜、日本代表男子バレーボール対スロベニア戦を見て、静かに感動した。相撲以外、もう特別なスポーツしかテレビを見なくなっているのだがじっと、画面に見いった。
二日連続して、若い男子の流す美しい涙を見て、若いときにしかできないスポーツの醍醐味、不可能を可能にする姿勢の情熱の発露に、老人の私はただただ打たれた。先のバスケットボールのワールドカップの日本男子の活躍でも、思い感じたのだが、明らかに世界に通用する新しい世代が育ってきている。その事が老人の私にはとても嬉しく、頼もしい。(日本の経済政治は無惨である)
今日はこの本を読みます |
限られた報道のなかで、目にする範囲では、ネガティブな報道に時代の閉塞感が増すなか、ややもすると気が塞ぎがちになりがちなのだが、そのような閉塞感にまさに風穴を開ける快挙を目撃できたことは幸せである。老齢ライフに喜びを与えてくれる新鮮な新しい世代、選手たちが躍動している姿を目の当たりにすると、俄然元気がわいてくるのは、私だけではない。多くの方々が世代を越え勇気と感動を共有できた一夜であったと思う。
前回のワールドカップラグビーからのにわか🏉ラグビーファンの私だが、笑わない男である稲垣選手始め、松田選手、姫野選手、レメキ選手他、全員の汗と涙には心から感動した。勝負の勝ち負けではない、言葉にならない、なにかにヒトは感動する生き物なのである。理屈ではなく、スタジアムがまるで生きているかのような興奮の坩堝に包まれたのが、画面を通して伝わってきた。
それにしても、ラグビーというスポーツのなんという激しさ、厳しさ、容赦のなさ、ひたむきさ、男同士のなんとも言えない武骨極まる美しさに、老人の私は限りなく打たれた。大きな男たちの俊敏な動き、全力で走り飛ぶ、空中トライ。手の届かないゾーンを必死で追いかける、あの厳粛な美しさはラグビー🏉ならではの世界である。
その事を改めて眼底に刻み込み、老齢である私も、下り坂肉体を引きずり、こけつまろびつ必死で下らなければと、あらためておもわされた、その事が私に五十鈴川だよりを打たせる。
感動する。ワクワクする、その事が人間に与えられている特権である、と私は思っている。イデオロギーや民族、宗教を越え、人間の根源に迫り届く世界。すれすれを戦ったものだけが関知しうる他者をおもいやれる深淵世界。
日々の辛抱とやる気、辛い稽古に耐えてきたものだけが放つ唯一無二の輝き。日本代表の野武士軍団に、無私の美しさを感じたのは私だけではないだろう、狭義の愛国者軍団ではまったくない。美しい人類愛、多国籍友情軍団が日本代表であったことが、新しく素晴らしいのである。
ノーサイド、相手アルゼンチンも素晴らしく、フェアプレー、まさに名勝負に私は酔った。名勝負には勝者も敗者もない。勝負を越えた世界があることを、おもい知らされた試合だった。
一気に季節が進み、すこし戸惑いつつも、私にとってはありがたい秋の到来である。手術後弓の稽古を諦め、(もう2年半になる)好きなシェイクスピア作品他、書写を折々やっている。だがこの夏の間まったくといっていいほどやる気が起きなかった。だが10月2日から再開している。
主に10行以上のなが台詞を書写しているのだが、長台詞が少ない作品は8行までを書写している【冬物語】の5幕から再開、それを終え今【尺には尺を】(この年齢で読むとまた味わい深い)第3幕の途中であるである。口のなかでぶつぶつ呟きながら、長い台詞のところになると書写をする、といった案配で進んでいる。
まるで尺取り虫のように書写していると、一人時間が瞬く間にすぎてゆく。灯火親しむ秋、私にとっての秋の老齢時間の過ごし方が実現できている。頭の中を涼しい風が吹き抜けるかのように書写をするのが楽しい。手を休め、松岡和子先生の丁寧な注釈を読みながらゆっくり読み書き進むのだが、幸いにして一人時間には事欠かないので、まさに言うことがない。
小泉八雲と節、私はこういう小説に弱い |
書写の効用は、生活の面でも微妙な変化が芽生えている。せっかちな私なのだが、万事何事にもゆったりと(しか出来ないのだが)を楽しめるようになってきている。(気がする)五十鈴川だよりだってゆったりと、画面を開くまでなにも考えていない。
ただ、思い付くよしなしごとを手がかってに打っているだけである。一行打って又一行、枯れた落ち葉がはらりはらりと落ちて地面にたまるように、何とはなしにその日の五十鈴川だよりが生まれるといった塩梅。
ところで書写をしていない長い夏の間、生活、労働だけをしていたのでは勿論ない。枯れつつも本を読むのが遅い私なのであるが、この夏はふるさと帰省や、長野への往復などでの非日常時間涼しい電車のなかで、随分と読書が出来た。今年の猛暑を乗り越えられたことは、来年からの夏の過ごし方の過ごし方のヒントになった。夏の移動読書は最適である、ということをこの夏はひときわ学べた夏となった。
若い頃誰だったか、読書は真の体験足りうるか、といった議論がなされたことがあったと記憶するのだが、私にとって読書はまさに体験足りうる。本を読まなかったら旅をしようとは、私の場合まったく思わない。旅と読書はほとんど同義なのである。旅では思わぬ意外性が起こるし、意外性と好奇心こそが心身の健康には欠かせないのである。
要は加減、塩梅、日常生活と非日常時間とのさじ加減、バランスこそが大事なのである。そして眠りこそが薬、私はとにかく肉体労働者なので体調管理には(とくに術後)気を付けていて、体が疲れたら横になり眠るのである。見たいテレビなどがあっても見ない。体第一である。そのために時代の話題についてゆけなくても、まったく頓着しない。
無為を楽しむ。体が喜ぶこと、気持ちがよくなるようなことに集中するように心かけている。書写も続けていると疲れる。あかんと思ったらほかのことをし、気分を変え、体を休めまた進む。楽しいから続けられる。無理はもう決してしない。
古希を過ぎたら義理を欠き、他者に迷惑をできる限りかけず、一人遊び時間をこそ大事にしたいと想う私である。
先週の日曜日、大阪の国立文楽劇場小ホールまで筑前琵琶を聴きに行ってきた。忘れもしない、筑前琵琶を生まれて初めて聴いたのは5年前のことである。場所は梅田のとあるホールであったと記憶する。奥村旭翠というかたの。これまでの人生で何回か琵琶の演奏は聞いたことがあるのだが、このかたの筑前琵琶を聴いたのは初めてである。
妻が丹精した秋の向日葵 |
なぜ聴きに出掛けたのか。聴いてみたかったからとでも言うしかない。当時リア王の発表会を終えたばかりで消耗していた私は、なにか聴いたことも見たこともないような世界に触れたいという欲求が強くわいていていたのだ。そんなおり新聞でたまたま大阪で奥村旭翠さん(気軽に呼ばせていただきます。人間国宝であられる)の演奏会があるのを知り出掛けたのである。
以来今回も含め3回、奥村旭翠さんの演奏を聴いている。ただ前2回と異なり、今回は無料の発表会。というのは長くなるのではしょるが、奥村先生が後進の指導育成のために7年前から始めた光の会の発表会だからなのである。
中学生、高校生、大学生、社会人30才未満、計8名(男性2名)による発表会。奥村先生はお弟子さんたちの演奏会に足を運んでこられたか方たちのために最後に一曲【熊谷と敦盛】を謡い演奏してくださった。流れるように自然体、素晴らしかった。
筑前琵琶を伝えてゆくために、後進の育成に心血を注いでおられる先生のお姿を遠くから拝見できただけでも出掛けてよかったことを、ただ今日の五十鈴川だよりに打っておきたいだけなのである。
琵琶のつま弾き、音色謡いにききいる体、そういう年齢に自分がなっているのだとしか言えないが。奥村旭翠先生のなんとも言えないお人柄が演奏から伝わってくるから、それに触れたいがために、多分足を運ぶのである。今聴いておかねば(それは多嘉良カナさんにも通ずる)
それは気品の香り、日本人の伝統の粋(すい)が匂いたつからとでも言うしかない体のものである。まろやかな物言い語り口も先生は独特(凛として静かで琵琶独特の佇まい)自然(じねん)まったくお上手がない。ひたすら芸道に真摯に邁進しておられる。それが私のようなものにも伝わってくる。
縁というものはまったくもって不思議という他はない。聴けば聴くほどすこしずつ染みてくる。音色が耳に優しい、心身が休まる。先生の演奏姿は美しく比類がない。老いの美が燦然と輝く。無比だから先生がお元気であられる間は聴いておきたいと、今後も私は出掛けるのである。最初に聴いたときに住所を書いておいたら、以来案内を送ってくださる。いまや奥村旭翠さんの私はファンなのである。
PS 文楽小劇場は大阪の盛り場道頓堀の近くにある。小ホールには100にも満たない観客ではあったが、その中の一人として若い方たちの筑前琵琶を受け継ぐ情熱に触れることができ、出掛けて本当によかった。